Love live round




ふ……と、瞼を持ち上げて。
カーテンの隙間から漏れる陽光のキツさに、寝過ごした………と。
慌てて上体を起こしたところで、今日が非番だった事を思い出した。

立て膝に頬杖を付いて、前髪を掻きあげて。
ふう……と息を吐いたところで、静かに開かれた部屋のドア。

顔を覗かせたヨメさんの瞳が、僅かに円くなって。
その薄茶の瞳を優しく細めながら、ふんわりと彼女は微笑んだ。

「お早う…起きてたんだ………?」
「ん……丁度今、目ぇ覚ましたトコ」
「そう」

ゆっくりと、こちらに近づいて。
静かにベッドの縁に腰掛けると、彼女は一層深く優しく表情を笑み崩しながら、俺に告げた。


「お誕生日、おめでとう………」


俺は一瞬、目を見張って。

「……ああ、そうか。今日って十五日だっけ………」
口の中で呟きながら、がりがりと頭を掻いて。

「幾つになったんだっけか………」
無意識に口に出してしまった言葉に、思わず軽く舌打ちをする。


三十代半ばを過ぎた頃から、とっさに自分の年齢が口から出なくなった。
若い頃、そう嘆く先輩医師やベテラン看護士さんの言葉を、「そんな馬鹿な」と思いながら聞いていたものだけれど。

実際に、自分がその年頃になってみたら。
確かに質問された瞬間、即座には答えられなくなっていて………。


歳を重ねること自体には、それ程抵抗のないほうだけど。
流石に…言葉に詰まったその瞬間、に……は。
ああ、これが歳を取ることの哀しさか……と、思わず苦笑したものだ。



「四十二、か」
ぽつり……と、こぼす。

もう、立派に中年の仲間入りだ。

小さく幼いとばかり思っていた子供達も…もう、中学三年生で。
娘は、出逢った頃のヨメさんの面影を色濃く映すようになり……。
息子の背も大分、俺の身長に迫ってきた。



「今夜は、パーティーだからね!」

ベッドから立ち上がり、カーテンと窓を開けながら。
ヨメさんが俺を振り返り、弾むように言う。

「一護君の大好きなおかず…たっくさん作るから、楽しみにしててね?
あの子達も、部活早めに切り上げて帰ってくるって言ってたし」
「パーティーねぇ……」
軽く、後ろ首をさすって。

「ご馳走は嬉しいけど……もう、誕生日がオメデタいっていう歳じゃねぇよなぁ………」
苦笑と共に、そうつぶやけば。

ゆっくりと……でも、きっぱりと。
胡桃色の髪を揺らしながら、首を横に振るヨメさん。

「幾つになったかなんて、関係ないよ?」

もう一度、俺のすぐ傍……ベッドの縁に腰掛けて。
真っ直ぐに俺の瞳を見つめて。
静かに彼女は口を開く。

「お祝いするのは『生まれてきてくれて、有り難う』の日、だからなんだもの………」
「『生まれてきてくれて、有り難う』の日……?」

半ば、呆然と。
鸚鵡返しに呟いた俺に、ヨメさんは深く深く頷いて。

そっと伸ばされる、白い腕。
ごくごく緩く俺の首に巻き付いたその腕に、ほんの僅かに身体を引き寄せられる。

こつり……と重なる、額。
そこから伝わる、優しい体温。

「ありがとう、一護君……」
目を伏せた嫁さんが、きれいなソプラノで囁いた。

「あなたが生まれてきてくれて…この世に存在していてくれて……本当に本当に嬉しいよ?」
「織姫………」

額を、少しだけ離して。
至近距離で俺の瞳を覗き込む、薄茶の瞳。
ふわり……と、柔らかく笑って。

「あなたが居なかったら…私は今頃、生きてない………」
「それは……俺があの頃、たまたま死神代行やってたからで………」
「違うよ」

ほんの少し…ヨメさんは困ったような顔をして。

「一護君が一番最初に私の命を救ってくれたのは、お兄ちゃんが死んだ日なんだよ………?」
「え………?」

彼女の瞳に、大きく目を見開いた俺が映る。
口の端に微かに笑みを刻つつ、彼女は言った。

「あの日…クロサキ医院を出る直前に……私の腕を掴んで…あなた、言ったの………」



………『生きろ!』って。





その、瞬間。
四半世紀を超える過去の時間に、引き戻される意識。

目の前に、は。
病室のベッドの上…冷たく物言わぬ身体となった青年に、取り縋るおかっぱ頭の少女が居て。


死なないで!
置いていかないで!
何度だって、謝るから……。
嫌いだなんて、もう二度と言わないから……。
だから……。

戻ってきて、お兄ちゃん!!
私を独りにしないで………!!!






………その言葉、に。

共鳴する想い。
痛くて、痛くて、苦しくて。
まるで…胸を潰され、身体を切り裂かれるような………。

そして…脳裏に蘇る、記憶。
母親を探して、河原を彷徨った日々の事。
幾度か…このまま水底に沈んでしまおうか………と。
水際に身を乗り出した事があった。
それを踏みとどまれたのは、ひとえに親父と妹達が居てくれたからで………。

泣き叫ぶその言葉から、おそらくは天涯孤独となってしまったのであろう少女の。
しかも、兄の死に酷く負い目を感じているらしき様子に。
どうしても浮かんでしまう、暗い未来図を打ち消したくて。

………声を、かけた。
かけずには、居られなかった。


生きろ………と。


たとえ、どんなに辛くても。
生きて、生きて…生き抜け………と。





………そして。
今更ながらに、気付く想い。

生きていて欲しいと願ったの、は。
もう一度、逢いたかったからだったのだ………と。

いつの日にか、きっと。
今度は、笑顔の彼女に………。







「ずっと、言えなかったの。軽蔑されそうで……」
消え入りそうな声が、形の良い唇からこぼれ落ちる。

「お兄ちゃんが死んだ日に、あなたに恋をした…だ、なんて………」
「織姫………」

頬を包み込むように、両手でそっと顔に触れて。

「軽蔑なんて、しないよ……?」

静かに重ねる、唇。
ゆっくり顔を離せば、泣き笑いの表情でヨメさんが俺を見返した。

「ありがとう、一護君………。
生まれてきてくれて、私と出逢ってくれて。
私を、選んでくれて。
私を…あの子達の母親にしてくれて………」
「織……ひ…め………」
「………そうよ。
それこそ、あなたが存在していなかったら、あの子達も生まれてこられなかったのよ?
だから…だから………ね?」


ありがとう、一護君………。
そして、おめでとう………!


言いながら、やさしくやさしく俺を抱きしめるヨメさん。
その彼女の背に腕を回して抱きしめ返し、髪に顔を埋めながら。
俺は精一杯、気を張り続けた。
そうしていないと…涙がこぼれてしまいそうで………。


腕の中の愛しいひと、を。
ちょっとばかり霊感が強いだけの、只の中学生だった俺が救ってたんだ………。


その事、が。
何よりも嬉しく、誇らしかったから………。












「さて…と………」

やがて、ゆっくりと俺から身を離したヨメさんが。
にこっ……と、笑いかけながら俺に尋ねた。

「朝ご飯、どうする? このままもう少し我慢して、ブランチ?」
「…あ……えっと…………………その、織…姫」

立ち上がりかけたヨメさんの手を、取る。
きょとんとして振り返った彼女の顔を、前髪の隙間から伺い見て。

「……………駄目、かな?」
「え?」
「……いや、自分でも…さ。こんな時間から何言ってんだ、とは…思うんだけど…も……さ。
最近あいつらも、結構夜更かしするようになっちまったし………」

………言いながら。
次第にバツが悪くなって、視線を逸らす。
しかしながら、掴んだ手を離すこともまた…出来なくて。


そのとき。


ふ………っ、と。
声を立てずに、ヨメさんが綺麗に笑った。


そっと俺の手を外して、窓際に向かう。
その白い手で静かに閉じられる、ガラス戸とカーテン。

俺は枕元のリモコンで、エアコンとオーディオのスイッチを入れて。
俯きながら戻ってきたヨメさんの腕をとると、もう片方の腕を彼女の腰に回して、その痩躯を膝の上に抱き上げた。


覗き込むように見上げた顔は、ほんのりと朱に染まっていて。
薄茶の大きな瞳は、心なしか潤んで見えて………。


「………織姫」
頬にかかった髪を、そっと耳にかけてやる。
すると、軽く肩をすくめながら、ヨメさんがくすぐったそうに笑った。


視線の先。
少し、ぎこちなく微笑んで。

それでも「大好きよ……」と、やさしく囁いてくれた薄紅色の唇を、一度指でなぞってから。



自分のそれで、塞いだ。
そっと、静かに………。
しかしながら、溢れるほどの想いを込めて………。

















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