My little step



朝のラジオで言ってたの。

『今日の乙女座は、恋愛運絶好調!
ほんの少し勇気を出して、意中の相手に声をかけてみましょう。
関係が大きく進展すること間違いなし!』





「……その、ほんの少し勇気を出すっていうのが、至難の業なんだけどな」
鏡をのぞきこみ、リボンタイの具合を確認しながら、ため息混じりに呟く。

脳裏に浮かぶのは、夕日色の髪をした男の子。

強い意志を感じさせる金茶色の瞳がとても綺麗で、その真っ直ぐな眼差しにどうしようもなく惹かれる。
でも……。
いざその瞳を目の前にすると…緊張で何も言葉がでなくなってしまう。



彼……黒崎一護君、は。
親友のたつきちゃんの幼なじみ。
だから。
たつきちゃんと一緒に登校できた日は、「おはよう」って言えるの。

二人は目が合えば、どちらともなく挨拶をしあう。
たつきちゃんから声をかけた日は、私も便乗して言えるし。
黒崎君から声をかけてくる日は、ついでって感じで私にも声と視線を向けてくれるから、自然と私も挨拶を返せる。

だけど……。



たつきちゃんが部活の朝練で居ない日、は。

………駄目、なの。

私は彼の前で、どうしても顔をあげられないし。
そんな私の前を、彼もまた、振り返りもせずに通り過ぎて行ってしまう。


たった、一言なのに。
言えない。
どうしても、声が出ない。


「……はふっ」


小さく、ため息をついて。


……うん、でも。
今日はちょっと、頑張ってみようかな……?

勇気出して、おはよう……って。
たつきちゃんが居るときと、同じように。

だってもし、それがきっかけで。
私もたつきちゃんのように、毎日自然に挨拶が出来るようになったり、
もっと沢山おしゃべり出来るようになれたなら。


……やっぱり、嬉しいもの。


「よしっ……!」
握り拳、作って。

「井上織姫、今日こそは頑張りますっ!!」
天井見上げて気合いを入れて。

「応援しててね? お兄ちゃん!」
遺影に、とびっきりのウィンクを一つ。
それから「行ってきます!」と挨拶して、玄関に向かう。

靴を履いて。
玄関を出て。
施錠して。

踵を返し、見上げた空は、雲一つない美しい青。
まるで私の決意を後押ししてくれているみたい……だ、なんて。
かなり図々しく、都合の良い事を考えて。

階段を駆け降り、一路学校へと通学路を急いだ。








それなのに……。








待てども待てども、彼は登校してこない。
いつも一緒に来る小島君は、独りで教室に入ってきた。

「あれー、水色。今日は一護と一緒じゃねーの?」
もう一人の彼の仲良しさん、浅野君も訝しんで声をあげる。

みちるちゃん達とおしゃべりしながら、でも聴覚は彼らの会話に全神経向けるようにして、聞き耳を立てて。
小島君が語るところによると、どうも彼は寝坊してしまったらしい…とのこと。

「へぇー珍しいな。一護の奴、良く親父さんが容赦ない起こし方するってぼやいてるのに」
「なんでもその親父さんが早朝から出かけてて、その前にわざわざ一護の部屋に忍び込んで、目覚ましオフにしてったみたいだよ」
「………お茶目な親父さんだな」



思わず、ため息を吐く。
……折角、一大決心して来たのにな。

「どうしたの、織姫?」
「え?……あ、ううん、なんでもないよ?」
心配そうな視線を向けてくるみちるちゃんに、慌てて笑顔で手と顔を横に振って。

そんな私とみちるちゃんの間に、もの凄い勢いで割って入ってきたのは千鶴ちゃん。

「なぁに? 姫、何か悲しい事でもあるの?
そうなら遠慮せずに、私の胸にどーんと飛び込んで来て!!
何もかも忘れるくらい、体ごと思いっ切り愛してあげ……ごふぉっ?!」
「……朝っぱらから何馬鹿な事ほざいてんのよ」
「あ、おはよう、たつきちゃん!」
「おはよ、織姫」

私に向かって、にっと笑って。
それからくるりと教室内を一瞥したたつきちゃんは、軽く眉を顰めて呟いた。

「一護、未だなんだ……珍しい」
「寝坊しちゃったみたい……って、小島君達が」
「はん、あの馬鹿……!」

軽く、鼻を鳴らして。
それから悪戯っぽく笑いながら、私の顔をのぞき込むと
「それであんたも、いまひとつ元気がないわけね?」
そう、耳元で囁いた。

「そそそそそんなことないよ?!」
「ふうん、そう?」

あんたの事なら、何だってお見通しよ……そう言いたげな光を、黒耀石のような瞳に踊らせて。
たつきちゃんは狼狽える私の頭を、よしよし…って感じにぽんぽんっと叩いた。

そのとき、予鈴が鳴って。
席に着き始める、クラスメイト達。





黒崎君は……未だ、来ない………。





たつきちゃん達と離れ、私も自分の席に着く。

『もう、今朝は「おはよう」って言えないや……』
机の天板の木目をぼんやりと眺めながら、もう一度小さなため息を吐いて。
『今日こそは…って、思ったのにな……』
胸がきゅうと切なく痛んで、無意識に制服の胸元を掴む。


こういう事があると……。
とても不安になってしまうの。

彼には、私は不釣り合いなんだ……って。
この恋は、報われる事はないんだよ……って。

まるで…神様にまで、そう宣告されたような気がしてしまうから……。 




馬鹿げてる。
我ながら、そう思うけど……。





視線を更に落としかけた、その時。

鳴り響く、本鈴。
それと同時に教室前方の引戸が、がらりっ…と勢いよく開く音がして。
「うぉあっ、何とか間に合った!」
耳に飛び込んできた声に、慌てて顔を上げた。

先ず、視線が捉えるのは……橙色の綺麗な頭髪。
息を切らす、横顔。
肩が激しく上下していて…ちょっと苦しそうで。

遅かったじゃん、とか、滑り込みセーフだね、とか、周囲の声に迎えられ、それに軽く答えたりしながら、自分の席へと移動していく。

「暑っつ!」
と呟きながら、乱暴に詰め襟を脱いで。
それを、体半分後ろに向けて無造作に椅子の背にひっかける。
そんな彼の一連の動作を、肩肘ついてぼうっと眺めていた私、は。

『……あれ?!』

思わず掌から顔を起こし、ぱちぱちっと瞬きをしてしまった。
それからもう一度、彼の首元を凝視する。



……ああ、やっぱり。




『ボタンが、段違い……だ…』








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