桜幻想〜夢見草の見る夢〜



公園の近くだと言う織姫のアパートまで、彼女を送るよう父親に言われ(言われなくても、それは考えていたけれど)。
一護は織姫と二人、夜道を前後に並んで歩いていた。


「ごめんね、遠回りさせることになっちゃって……」

背後から掛かる申し訳なさそうな声に、一護は顔半分だけ振り向いて「気にすんな」と返事をする。

それきり、会話は続かない。
知り合って未だ数日の、しかも異性が相手とあっては、何を話せば良いのかなんて、皆目見当がつかない一護である。

気まずさに、ひっそりとため息を吐いた時。
くすり…と小さく織姫が笑うのを聞き留めて、彼は足を止めて背後を振り返った。

「……何、笑ってんだよ」

眉を顰めて振り返った一護に、ふわんと織姫は笑って。

「素敵なお兄ちゃんだね、黒崎君は」
「………へ?」

思わず彼は、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして織姫を見返した。

「遊子ちゃんと夏梨ちゃんの事、黒崎君が凄く大事にしてるの…見てて良くわかるよ?
二人が黒崎君をとても好きで、信頼しきってるんだなって事も」


……私も、お兄ちゃん子だからね。


そう言って、にこりと笑った彼女に。
一護は躊躇いがちに声をかけた。

「………あの、さ」
「何?」

少し俯き加減に佇み、小首を傾げて自分を見ている織姫の顔と、自分の足下との間でうろうろと視線を彷徨わせていた一護、は。
やがて…意を決したように顔を上げると、真正面から彼女を見て言った。

「無理して、笑うなよ……」
「……え?」
「そりゃさ、啓吾みたいに何時でも何処でも誰の前でも、始終全開で感情垂れ流してるのもどうかとは思うけどさ……。
だけど、本当に辛かったり苦しかったりする時にまで、笑顔つくる必要無ぇんじゃねぇの?」
「黒崎君……」
「先刻……俺たち家族がお前の前に出て行かなきゃ…本当は泣きたい気分だったんじゃないのかよ?
俺らが居たから、我慢して笑ってたのと違うのか?」
「………そんな…こと…は…」
「竜貴が言ってた。どんな時でも、それが人前ならお前は笑うんだって……。
例外は、誰かほかの奴の為に泣く時だけだって。
……それは凄ぇことだと思うけど…凄ぇ感心するけど………。
でも……たまには、さ」


………自分の為に泣くことだって、自分に許してやれよ。


じっと、表情を消して一護を見返していた織姫は。
やがてのろのろと、その顔を伏せた。


泣きだしてしまうだろうか……と、彼女の様子に一護は身構える。
しかしそれは、覚悟の上のこと。
むしろ、それを望んでいた。

強く拳を握りつつ、一護は内心で呟く。
泣けばいいんだ。
あんな顔して、歌うくらいなら……。
いっそのこと………!


しかし。


ゆっくりと顔を上げた彼女が浮かべていたの、は……。
この日目にした中でも、一番鮮やかな微笑みだった。


「いの…う………っ?!」
「無理した事なんて、無いよ?」

にっこりと、その桜色の唇を横に引いて。

「笑いたいから、私は笑ってるんだよ?」

目を、細めて。
そして少しだけ、彼女は視線を落とす。

「あの日……ね?」
「え……?」
「お兄ちゃんが、死んだ日……」
「………」
「私…とてもつまらない事で怒っていて……仕事に出ていくお兄ちゃんを、きちんとお見送りしなかったの。
私が最後にお兄ちゃんに見せたのは、醜いふくれっ面で……。
私が最後に見たお兄ちゃんの顔は、とても悲しそうだった。
なんであれが最後になっちゃったんだろう……って……どれだけ後悔したか、わからないよ?
ううん、今だって現在進行形で後悔し続けてるの」

もう一度、彼女は一護に視線を重ねて。
そして一層深く微笑んだ。

「もう二度と、あんな思いはしたくないし、させたくない。
それに……人の命なんてあっけなく終わるんだって事…それもあの日に学んだの。
例えば明日、私の命が終わるとしても、誰かの命が終わるとしても……その人の目に映る最後の私の顔は、笑顔であって欲しい。
だから、決めたの。
いつだってどんなときだって、私は笑顔でいようって……」
「井上……」


だから…それ、を。
無理して笑っている……と、言うんじゃないか……?!


一護がそう口に出す前に。

「黒崎君こそ、どうして……?」
今度は織姫が一護に向かって問いかけた。

「俺……が、何?」
思わず、瞬きを繰り返す。
その瞳の奥底を覗き込むようにして、彼女は言った。

「笑うことは、悪いことじゃないんだよ?」
「なっ………?!」

愕然として、目を見開く。
呼吸が、出来なくなった。

「嬉しいと感じることも、楽しいと感じることも、ちっとも悪いことなんかじゃないんだよ……?」
「…………」

口の中が急速に乾いていくのを、一護は感じていた。
喘ぐように、ようやくのことで息を吸い込んで。
睨むように、織姫を見据える。
押し殺した低い声が、唇から漏れた。

「竜貴からでも、何か聞いたのか……?」
「たつきちゃん……?」

きょとんと首を傾げて……それから彼女は「ううん、何も」と言いながら、ふるふるとその小さな頭を横に振る。

「じゃあ、何で……?!」
「………何となく、だよ。
黒崎君は、自分に笑うことを許してないような気がしたの。
人生を楽しんじゃいけないって思っているようにも……」
「………」
「勘違いだったら、ごめんなさい」

静かに自分を見つめる彼女の視線に、一護は耐えられなかった。
それを気づかれないように努めながら、さりげなく視線を外す。

「ホント……とんだ勘違いだよ……」
「…………そう、なの?」
「ああ……。
愛想なくて、コミニュケーション力も低くて……それが、俺だ。
そういう性格なだけだ、俺は」
「そう………。なら、いいの」


……おかしな事言って、ごめんね?


ぺこりと頭を下げた彼女の姿に、ちくりとした痛みを心に感じながらも。
「……行くぞ」
ぶっきらぼうに言うと、彼女にくるりと背を向けて、一護は再び夜道を歩きだした。

「あ、その角で曲がって。そしたらアパート見えてくるから」
「わかった」

後ろから小走りで追いかけてくる織姫の声に、振り返らずに返事をして。
自分の脚先を見つめながら、一護は軽く唇を噛んだ。



何で、わかっちまうんだよ………。



髪を、掻き上げる。
そのまま、ぐしゃりと掴む。
奥歯をぎりっと、無意識のうちに鳴らす。


悔しかった。
腹立たしかった。
たった数日、同じ教室で過ごしただけの相手に、心の深層にあるものを見抜かれたことが。



だけど……。


どこかで、嬉しいとも思っていた。
見抜いた相手が、彼女だったということを……。



沸き上がる二つの感情を持て余し。
ただひたすらに困惑し……。

ふと目に留まった小石を、一護は腹立ち紛れに蹴りあげた………。












アパートに着いて。

「送ってくれて、有り難う」
首を少し傾けて微笑んだ織姫に、一護は小さく頷いた。

「また、月曜日にね!」
笑顔で身を翻し階段を昇っていく、華奢な後ろ姿を見守る。

玄関を開け、身体を滑り込ませる直前。
彼女はもう一度だけ一護を振り返り、小さな白い掌をひらひらと振った。

ぱたん…と、閉じられるドア。
玄関脇の小窓から明かりが漏れたのを見届けてから、一護は踵を返した。

織姫の部屋の窓下を通りかかって。
ふっと顔を上げたら……。
たまたまカーテンを閉めようとしていた彼女と、がっちり視線がぶつかってしまった。

あまりのタイミングに、視線を逸らすこともできずに、一護はその場に固まる。
そんな彼に、織姫はふうわりと微笑んで……。
もう一度、小さく手を振ってよこした。

またね……という形に動く、彼女の形の良い唇。

一護が軽く片手を上げると、嬉しそうに笑って。
そしてカーテンが静かに閉じられて、彼女の姿もその陰へと消えて行った。



二呼吸ほど、置いて。
一護は再び、夜道を歩きだす。



見上げる夜空には、月。
満月に僅かに欠けるその金色の輝きの中に、一護は別れたばかりの彼女の笑顔を見ていた。



……最初。
なんて脳天気に笑ってばかりいる奴だ……と。
半ば呆れ気味に、そう思っていた。

竜貴が、彼女は人前ではどんな時でも笑うのだと彼に話したときも……彼はその言葉の意味を掴みかねて。
幼なじみの顔が淋しそうに苦しそうに歪んだ理由を、いまひとつ理解出来ずにいた。


「俺は、馬鹿だ……」


桜の花びらの舞う中で歌っていた彼女の姿が、一護の脳裏をよぎる。
見ているこちらまで、心が痛くなるような……悲しく切ない横顔。

普段、彼女は。
いったいどれほどの哀しみを、その笑顔の下に押し隠しているのだろう……。
それを考えると、何だかやりきれない気持ちになる一護だった。


もう一度、月を振り仰ぐ。


大事な人を失ったが故に、笑顔をなくした自分……と。
大事な人を失ったが故に、笑顔を絶やすまいとする彼女……。


「まるで、正反対だな……」


自嘲気味な、呟き。

知らなかった。
あれほどの思いを…覚悟を秘めて……笑っていただなんて。


「強ぇんだなぁ………」


見上げる月と、地上に立つ自分と。
それくらい、彼女と自分の心の在りようは、遠く離れているような気がした。



だけど……。



再び通りかかった公園の入り口で、一護は足を止めた。
暫し迷った後、ゆっくりと園内に足を踏み入れる。

ジャングルジムに近づき、彼女が座っていた場所まで昇ってみた。

桜を見上げる。
静かに、瞳を閉じる。

鼻の奥に感じる、つんとした痛み。
熱くなる目頭に、思わず片手で目元を覆った。

「何で……だよ………」

掠れた声で、呟く。

何故。
どうして。

背中が暖かい……と。
そう、思うのだろう?

彼女の体温なんて、知らない。
それなのに。

彼女と…背中をぴたりとくっつけて。
互いを支え合っているような……。
そんな気がしてならないのは、一体どうしてなのだろう……?。

こんなにも確かに、背に温もりを感じるの、は。
一体どういう訳なのか……。





……笑って、いいの。
……楽しんで、いいの。





優しい声が、夜風に乗って耳に届く。






……ね、黒崎君?







「井上っ……」

声にならないくらい小さく微かに呟いて、一護は膝に顔を埋めた。





「なら…お前も、泣けよ。泣いて、いいんだよ……」





知らない。
わからない。

今抱えている感情を、何と呼ぶのか……なんて。


だけど……。








再び、顔を上げる
その彼の頭上で、桜が舞う。



………月曜日の朝が来れば。



きっと彼女はこれまでと同じ屈託のない笑顔で、自分や竜貴や他のクラスメイトに声をかけて回るのだろう。

そして自分は…やっぱり仏頂面を引っ提げて、ただ黙ってそれを眺めているのだろう。





今夜交わしたやり取りなど、まるで桜が見せた幻だったかのように……。






『それでも、俺は………』






多分…きっと、忘れない。 
歌う、横顔も。
笑っていいのだと、真摯に告げた眼差しも。

多分…きっと……。
一生………。





「井上……」






恋なんて、知らない。
その先にあるものなんて…もっと、わからない。

だから……。










『…井上……俺、は…』

その先に続く言葉、を。
今はまだ、見つけられないけれど………。











BGM「桜見丘」by ローカルバス





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