フライング~2010年X'mas記念



「さーさーのーはーさーらさらぁー」

鞄から取り出したい物があって、床にしゃがみこんでいた俺は、思わずそのまま床に突っ伏した。

「あ、間違えちゃったぁ!」
あははは~…という、暢気な笑い声が聞こえて。

力の抜けきった体で、それを聞きながら。
まるで三流のお笑い紛いのことを、恐らくは全くの素でやってるんであろう彼女のことを。

呆れるでもなく。
ただただ「可愛い」と、思ってしまうなんて。


『痘痕もえくぼ症候群』


例えばそんな病気があるとすれば。
今の俺は、かなりの重症患者なんじゃないかって気がする…………。








「ジングルベール、ジングルベール、すっずぅがーなるぅ~っ♪」

……やっとこの場にふさわしい歌が聴けた。
心の中でひそかに感涙にむせんでいると、ふと彼女がこちらを振り返る気配がして。

「あれぇ? 黒崎君が死んでるー」
「…………勝手に殺すな」

一体、誰のせいだよ……と口の中でだけ呟きながら、身を起こす。

「早くしないと、たつきちゃん達が買い出しから戻って来ちゃうよ? まだまだオーナメント、一杯あるんだもの。
あ、でも」

もしかして、補習三昧で疲れてたりする?

ひょこっと首を傾げて、心配そうに俺の目をのぞき込んでくるその仕草に、どきっとして。

顔が赤らむのを見られたくなくて、うつむき加減にそっぽ向きながら、「いいや」とだけ、短く答える。

「大丈夫だから」
「そ?……でも」

疲れてるなら、無理しないでね?

にこっと笑うと、彼女は胡桃色の髪をふわりと翻しながらツリーに向き直り、再びその枝を飾り始めた。





事の発端は、週頭の昼休み。
いつもの賑やかな連中との他愛ない会話が、クリスマス直前の週末にパーティーを開こうという計画に発展して。

独り暮らしの井上が、自宅の会場提供を申し入れ。

……で、当日を迎えた冬晴れのこの日。
俺と井上は、ここでツリーを飾りながら、飲食物の買い出しに出かけた他の奴らの帰りを待っているところ。

自分も井上と一緒に、ツリー装飾組に加わりたいと叫んだ敬吾と本匠は、竜貴と水色に半ば強引に、半ば言葉巧みに丸め込まれて、買い出しへと引っ張り出されて行った。


……おそらく二人とも、俺と井上に気を遣ってくれたんだと思う。


俺達が付き合い始めたのは、極最近のこと。
そしてそのことを、未だ大っぴらにはしていない。

ただ、井上が親友と慕う竜貴は当然、顛末を聞いているに違いないし、水色は……。
あの、恐るべき観察眼の持ち主は。

「ようやく年貢を収めたみたいだね?」

付き合い始めてたったの2日後の朝、登校するなりにっこり笑って言いやがった。

俺は「何のことだ?」と嘘ぶき、水色もまた「さぁて、何だろうね?」と謎めいた笑みを口元に浮かべて、俺の脇をすり抜けて行ったけど……。


---絶対、ばれてる。


背中に冷たい汗が伝うのを感じつつ、俺は確信したのだった。


水色に知れてしまった事自体には、正直困惑しているが。
それでも、今日、この時に、二人きりになるチャンスを作ってくれたことには、素直に感謝したい。

……と言うのも。

井上が振り向いたとき、とっさに背中に隠したモノ。
駄目で元々、もし機会があるなら……と、つい鞄に忍ばせてきてしまった、それを。

渡すなら…それはきっと、今だ。




「井上……」
「はい、何でしょう?」

くるりと振り向いた彼女の鼻先に、俺は黙って手にしていたものを差し出した。

それは、光沢のある白い包装紙に、クリスマスカラーのリボンが掛けられた薄く平べったい包み。

井上は、その顔に戸惑いの色を浮かべて、俺の顔とその包みを交互にみつめる。
「……プレゼント交換は、まだまだ先だよ? 
ああ、それとも、それまでどこかに置いといてって事かな?」

俺は黙ってかぶりをふって。

「これは、井上に」
「………へ?」
「少し早いけど……クリスマスプレゼント」
「え? え? えええええぇぇえっ?」

なにやら赤くなってわたわたしている井上が、可愛いやら可笑いやらで。
俺は思わず吹き出しながら、ほれ……と再度包みを彼女の鼻先に差し出す。

井上はもう一度、俺と包みとを交互に見て。
それから、おずおずと両手をのばした。

手渡されたそれを、しばし眺めた後
「ありがとう…」
彼女は俺を見上げて、はにかむように笑う。

「……開けてみて、いい?」
「勿論」

彼女の手が、丁寧にリボンと包装紙を外していく。
やがて中から現れたものを見て、井上がその大きな目を更に見開いた。

「こ…れ……一昨日の………」




それは、一冊の写真集。
ヤマネという小さな鼠の、四季の生活を追ったもの。

一昨日の下校時、二人で問題集や参考書を物色しに寄って。
ついでに店内を一回りしていた最中、彼女がそれを見つけた。

可愛い……と歓声を上げ、はしゃぎながらページをめくって……。
いいなぁ、欲しいなぁ……と、何度も呟いて。

でも、随分長いこと悩みながらも、他人の援助で生活している自分には、贅沢品だから……と、結局は棚に戻してしまった彼女。

去り際、すっと背表紙を撫でた彼女の白い指先と、一瞬かげった瞳の色が、彼女を自宅に送り届けた後も頭の中から離れなくて。

帰宅後、自室に駆け込み、財布に小遣いを補充して。
門限がどうの、夕飯の支度がどうの……と騒ぐ親父と遊子を振り切って。

俺はもう一度、書店まで走ったんだ……。









「気に入った?」
俺の問いに、井上はコクコクと何度も頷いて。

「凄く嬉しい……デス」
言いながら顔を上げた、その笑顔が。

……ぅ、わ………すっげぇ可愛い………!

一昨日から、何度もシミュレートしてみた、そのときの。
俺の想像なんて、軽く超越してて。
大輪の花が綻ぶように、鮮やかに。
彼女にだけ、まるでスポットライトが当たったかのようにきらきらと。
部屋の空気を一変するほどの、輝かしさで……。

それを目にした俺の心臓は、鋭く…それでいて、ひどく甘い痛みに貫かれていた。
その痛みに、言いようのない幸福を感じながら。
ああ本当に良かった……と、俺は安堵して。

……まぁ…あれだけ欲しがってたんだから、がっかりされる筈がないとわかってはいたけれど。

それでも、こんな綺麗な笑顔を見られて……親父とバトったり遊子や夏梨の小言くらっただけの甲斐はあったと思ったのに。

それだのに。

彼女がいきなり、顔をくしゃりと泣きそうに歪めたものだから、俺は心底仰天した。







「い、井上?!」
「ど……しよ………私、何もない………」
「え?」
「嬉しいの。すっごくすっごく嬉しいの! なのに、何も返せない」
「井上……」
「まさか今日貰えると思ってなくて……。
24日に間に合えばいいと思ってたから、まだ仕上がってなくて………」
 
どうしよう……。
迷子になって途方にくれている子供みたいに、彼女は口の中で繰り返して。

仕上ってない……なんて言葉使うってことは、何か手作りのもの用意してくれてるんだな……。

なんて。

頭のどっか片隅で、そんな事を冷静に考えながらも。
みるみるうちに涙目になっていく彼女を前に、俺はかなり動転していた。

「俺が勝手にフライングしたんだ。だから、井上がそんな顔する必要は無ぇよ」
「でも………!」

俺はそっと井上の頭に片手を乗せ、くしゃり…と軽く掴む。

「正直、気が気じゃなかったんだ。
お前がやっぱり諦めきれなくなって、自分で買いに行っちまったりしたらどうしよう……て。
だからイブまで待てずに、今日持って来ちまったんだ」
「黒崎く……」
「だから…そんな顔すんなよ。
それこそ今日渡しちまった分、肝心なクリスマス当日に、俺はお前に何も渡せるものが無ぇんだから……。
そっちの方が、よっぽと申し訳ねぇ事だと思うよ?」
「そんなこと……!」

ふるふると首を横に振る彼女に、俺は軽く苦笑して。

「なら…気にしないで欲しいっていう、今の俺の気持ちもわかるよな?」

井上は、こくりと頷づく。
俺は、よし!という感じに、軽く彼女の頭をぽんぽんっと叩いてその手を離した。

「わかったんなら、笑え。んで、それを取りあえず本棚にでも仕舞ってこいよ。
そろそろあいつ等帰ってくんだろうし。見つかったら結構
面倒だぞ?」

照れ隠しもあって、ちょっとぶっきらぼうに言いながら、俺は足下の箱からオーナメントを取りだそうと身を屈めた。

「ほれ、これも終わらせておかないと、何やってたんだろうって怪しまれるだろうし……」

その時。

「黒崎君……」
「ん?」

体を起こしかけた俺の右肩に、ほんの微かに重みがかかって。
それが、彼女の手が掛かっているからだと気づく間もなく。

左の頬に感じた、柔らかくて暖かな感触……。

ふわりと残り香を残して、胡桃色した髪の一房が、鼻先を掠めて離れていく。

俺は呆然として、目の前で顔を真っ赤にして口元を押さえている女の子を見つめた。

「……………い、いいいいいのうえっ?!」
「あの……あの、ね?」
真っ赤になって俯きながら、彼女が小声でぽそぽそと言う。

「嬉しくて……本当に嬉しくて………。
どしたら今のこの気持ち、黒崎君に伝えられるんだろうって思って…………。
あの…その………今ので」


ツタワッタデショウカ………?


聞き取れないくらいのか細い声で、彼女が上目使いに聞いてくるのを。
俺は顔と言わず全身が朱に染まるのを自覚しながら、顎を僅かに引くだけの、小さな頷きで返すことだけで精一杯で。


「良かった……!」

これまた、口の動きだけで彼女は呟いて。
真っ赤なままの顔でにこっと笑うと、彼女は俺の脇をすり抜けて、本棚の方へと身を翻した。

その後ろ姿を、尚も呆然と見つめながら。
俺の脳裏にでかでかと、『不覚』の二文字が浮かびあがる。

いくら、彼女の笑顔に浮かれていたからと言って。
いくら、彼女の泣き出しそうな顔に、動転させられた直後だからと言って。

普段、手を繋ごうとしただけで真っ赤になって慌てる彼女に。
まさか……。
頬だったとはいえ……まさか……………。
先に、される…………だ、なんて。



なんだか、もの凄く悔しい………。



「……くっそう…………」
握り拳作って口の中で呟いたそのとき、どやどやと賑やかな一群が外階段を昇ってくる気配がして。

連打される呼び鈴。そして
「織姫、帰ったよーっ、開けてぇー」
という、竜貴の声。

井上は「はぁい!」と返事をして、ぱたぱたと玄関へと走り出す。
「おっかえりなさぁい、みんなお疲れさまぁ!」
その声とともに、奴らが玄関になだれ込んできたのを、耳で察して。

俺は努めて平静を装いながら、オーナメントの取り付けを黙々と再開する。

「なんだよ、一護ぉ。マダ飾り付け終わってねぇの?」
呆れたような声を出す浅野に、俺は「るせぇっ」と一瞥をくれた。
「組立に案外時間が掛かったんだよ。幹の継ぎ足しが、結構な力技で。
これ、非力なお前と女だけでやってたら、今頃は未だ、木の形にもなってねーだろーよ」
「う……一護ったら、ヒドイっ!」

……男が口元に手をあててうるうるしたって、気色悪ぃだけだっつーの。

「ちょっと、浅野ーっ! あんた自分の持ってた荷物は、最後まで運びなさいよぉぉぉぉっ」
玄関から響いた竜貴の声に
「ああ、俺行くわ」
と答えて。

台所に入ると、買い込んできたお菓子やケーキを皿に移し替えながら、他の女子ときゃらきゃら談笑している井上が視界に入った。


『憶えてろ、よ?』
彼女の笑顔をみながら、心の中で呟く。


近いうちに絶対、この借りは返してやるからな……!


「竜貴、この袋持っていけばいいのか?」
「そう! 頼むね。ちょっと千鶴っ、あんた織姫に抱きついて邪魔してる暇があるなら、こっち手伝いなっ!」

床から袋を持ち上げようと屈んだ俺の脇を、例によって例のごとく、携帯をいじったままの水色が通り抜ける。

その、通りすがりざまに。

「何かいいことあった?」
携帯から顔も上げずに、そう聞いてきやがった。
「……別に」
「そう?」

水色はくすりと笑って。

「まぁ、何はともあれ……この後はちょっと気をつけなよ?」
「ぁあ?」
水色が何を言っているのかわからず、俺は思わず奴の顔を振り返る。

すると水色は、軽く自分の唇を指先で叩いて。
そして、俺の耳元で面白そうに囁いた。

「視線が、行きっぱなしだよ。井上さんのココんとこに」
「…………!!!!!」

大きく目を見開いた俺に、後ろ手でひらひらと手を振りながら、水色が隣室へと消えていく。

それを見送ってから、もう一度ゆっくり井上の方を振り返る。
グラスに均等にジュースを注ごうと、コップの高さに身を屈めてなにやら小難しい顔をしている彼女の、その幼さを感じる生真面目な表情に軽く吹き出しながら。


……憶えてろ、よ?


もう一度、心の中で呟いて。

俺は両手に袋をぶら下げて、パーティー会場となる隣室へと移動した。



本当のクリスマスイブには。
その時には。
きっと、俺から………。






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