忘却のアライブ 短編、セルフ二次
愛が欲しいわけじゃなかった。ただそこにいて、生きているだけでいい。重い感情でもなんでもない、肉親としてのただ一つの願い。互いにそう思っているのに、時々すれ違っていくようで怖くなる。
ヒトとは難しいものだ。考えていることがわからなければ、頭の中を覗くこともできない。考えていることを知れれば楽なのに、とつくづく思うが、不可能だからすれ違う。双子だって、相手の考えが全てわかる訳ではない。昔から、わかったつもりで話しているだけだ。
何もなかった。今日は何も。戦いも、任務も、仕事もない。部隊は休暇で、天界にある自宅で、兄妹揃ってのんびりしている。軍服などという戦闘服に袖を通す必要もなく、好きな服を着て、好きな物を食べて、好きに過ごせる。生きている上で、このうえない幸せだ。
休日であるのに、シュレリアの気持ちは鬱蒼としていて、暗い森の中にいるような気がした。心配しても無意味な未来を、見すぎなのだろうか。カノンはというと、彫刻のように、本を読んでいた。こちらの様子など気に留めることもなく、本の虫だ。
ぼーっと椅子に座って、窓を通して真っ青な空を眺める。空はこんなにも、綺麗なのに。シックな室内は太陽の温かさで満たされて、ふんわりとした匂いが鼻孔をくすぐった。日に日に気候は夏らしくなり、外の景色は成長した向日葵が元気に背伸びをしている。
グラディウス家は、天界の中でも外れに位置していて、自然が豊かな場所だった。地上でいう所の、少し田舎。家の外にはお洒落な煉瓦道が天界の中心部に伸びていて、周囲に建物があまりない様子は、家というよりは別荘、館といった出で立ちである。館は広く、使われていない部屋が何部屋もあった。両親は既にこの世を去っている。広い館に、兄妹二人きり。現世離れした生活は、二人にとっては心地が良かった。
誰もこない、邪魔をされない、そんな空間。
二人という数に対してあまりに広大な土地は、普段は雇われた執事やメイドが管理してくれていた。改めて考えると、カノンもシュレリアも、俗にいうお坊ちゃま、お嬢様という部類に入るのかも知れない。父は軍人に、母は政治家だ、金は確かにあるのだが。
金はあるのだから、本当は軍人などという職業は辞めてもいいのだ。両親が残した貯金で、後何百年も生きていける。わざわざ命を落とすような仕事、選ばずとも。
「ねえ、お兄様」
本が恋人、とでも言いたげなカノンが目線だけを一瞬、シュレリアに向ける。何か返答をすることもなく、再度カノンは本を見る。返答が面倒なのだろうか、いけ好かない。実の妹よりも、本の方がお好きなようだ。集中しているのだから、話かけるなという雰囲気を醸し出している。
「ねえ、お兄様ったら」
「……なんだ」
今度は声だけが返ってくる。不機嫌そうな音色は、早く要件を言えとシュレリアを急かす。何かに集中している時のカノンは、親しい者であればあるほど、反応が薄い。心を開かれているといえばその通りだが、シュレリアからすれば寂しいな、とも感じてしまう。幾つになっても兄は大切な家族であり、いつだって構ってほしいに決まっている。カノンではなく、本を眺め、シュレリアは目を細める。あんな本、燃えてしまえばいいのに。
「やめません?」
「何を」
「軍を」
「……またその話か」
カノンが溜息をつき、しおりを挟んだ本をパタンと畳む。瞳は困惑した様子で、つまらない顔をしたシュレリアの姿を映す。
休暇の度に、この話をしていた。軍をやめよう、という誘い、話、願い。シュレリアは、大切な兄をいつ奪うかわからない戦いなんて、嫌いで嫌いで堪らないのだ。その戦いへ駆り立てる軍の存在も、消えてしまえとすら思う。カノンだって、戦いは嫌に決まっている。戦いをなくすために戦っているのだから。だが、それをカノンがやる必要などない。この館でのんびりと暮らしていければ、それでいいのに。不安で仕方のない毎日は、滅んでしまえばいい。
「お前はどうなんだ」
「私は、お兄様が戦うなら、お兄様の傍にいたい」
「ヒトのせいにするんじゃない」
「お兄様が戦わなくても、いいのよ」
「力がある者が何もしないのは傲慢だよ」
「でも、残されたヒトは泣くしかないのよ」
「私が無事なら、その他大勢はどうでもいいのか」
「違うわ、でも……」
大切なヒトと、名前も知らないヒトへの想いは違う。カノンだって、シュレリアの気持ちをわかっている癖に。戦いが今は必要なこともわかっている、誰かがやらなければいけないのもわかっている。それでも、もしもを考えてしまうのは愚かなことなのだろうか。
できるのなら、あの日憧れた大人になりたい。誰かの手で死ぬこともなく、絵本の登場人物のようにずっと平和で、ヒトと手を取り合って生きていく。シンデレラだって、誰も殺しはしなかった。
「物語のようにはいかないんだ、人生は」
「わからない癖に、私の頭の中がわかるようなことを言うのね」
「わかったつもりだよ」
「お兄様は、叔母のように意地悪だわ」
「お前はシンデレラのように、夢を見ているな」
こんな意味のない会話も、昔はもっと楽しめたのに。今はどうだろうか。一言一言、意味があって重すぎて、シュレリアの心にちくちく棘を刺す。戦争を知らなかったあの頃とは違うのだ、色々な事を知り過ぎて、簡単な言葉遊びすらできなくなってしまった。何もかもを勘ぐるように、なってしまった。それを理解して、カノンは「お前だけでも軍をやめろ」と遠まわしに伝えてくる。素直に物事を言えず、意地悪で感情をぐちゃぐちゃにかき乱してしまう兄が、大好きで大嫌いだった。
カノンが、また本を読む。捲られるページは薄く、束となって厚く重なる。ヒトの一日のようだ。太陽の日差しに透き通る白金を恨めしく思い、シュレリアは椅子から立ち上がる。棚の中を物色して、気まぐれに本を探すと、あの日よく読んだ絵本を見つけた。無知なシュレリアを、幸せな気持ちにした絵本。お兄様が私の王子様なんだと言って聞かなかった、遠い昔。果たされなかった希望。永遠に平和な物語。
表紙を見ると、シンデレラは、笑顔で王子と手を繋いでいた。いつか、カノンとシュレリアも、手を繋いで戦いのない世界を生きていけるのだろうか。実現できない未来と、無神経な現実に胸が苦しくなる。本を、そっと棚に戻した。
ヒトとは難しいものだ。考えていることがわからなければ、頭の中を覗くこともできない。考えていることを知れれば楽なのに、とつくづく思うが、不可能だからすれ違う。双子だって、相手の考えが全てわかる訳ではない。昔から、わかったつもりで話しているだけだ。
何もなかった。今日は何も。戦いも、任務も、仕事もない。部隊は休暇で、天界にある自宅で、兄妹揃ってのんびりしている。軍服などという戦闘服に袖を通す必要もなく、好きな服を着て、好きな物を食べて、好きに過ごせる。生きている上で、このうえない幸せだ。
休日であるのに、シュレリアの気持ちは鬱蒼としていて、暗い森の中にいるような気がした。心配しても無意味な未来を、見すぎなのだろうか。カノンはというと、彫刻のように、本を読んでいた。こちらの様子など気に留めることもなく、本の虫だ。
ぼーっと椅子に座って、窓を通して真っ青な空を眺める。空はこんなにも、綺麗なのに。シックな室内は太陽の温かさで満たされて、ふんわりとした匂いが鼻孔をくすぐった。日に日に気候は夏らしくなり、外の景色は成長した向日葵が元気に背伸びをしている。
グラディウス家は、天界の中でも外れに位置していて、自然が豊かな場所だった。地上でいう所の、少し田舎。家の外にはお洒落な煉瓦道が天界の中心部に伸びていて、周囲に建物があまりない様子は、家というよりは別荘、館といった出で立ちである。館は広く、使われていない部屋が何部屋もあった。両親は既にこの世を去っている。広い館に、兄妹二人きり。現世離れした生活は、二人にとっては心地が良かった。
誰もこない、邪魔をされない、そんな空間。
二人という数に対してあまりに広大な土地は、普段は雇われた執事やメイドが管理してくれていた。改めて考えると、カノンもシュレリアも、俗にいうお坊ちゃま、お嬢様という部類に入るのかも知れない。父は軍人に、母は政治家だ、金は確かにあるのだが。
金はあるのだから、本当は軍人などという職業は辞めてもいいのだ。両親が残した貯金で、後何百年も生きていける。わざわざ命を落とすような仕事、選ばずとも。
「ねえ、お兄様」
本が恋人、とでも言いたげなカノンが目線だけを一瞬、シュレリアに向ける。何か返答をすることもなく、再度カノンは本を見る。返答が面倒なのだろうか、いけ好かない。実の妹よりも、本の方がお好きなようだ。集中しているのだから、話かけるなという雰囲気を醸し出している。
「ねえ、お兄様ったら」
「……なんだ」
今度は声だけが返ってくる。不機嫌そうな音色は、早く要件を言えとシュレリアを急かす。何かに集中している時のカノンは、親しい者であればあるほど、反応が薄い。心を開かれているといえばその通りだが、シュレリアからすれば寂しいな、とも感じてしまう。幾つになっても兄は大切な家族であり、いつだって構ってほしいに決まっている。カノンではなく、本を眺め、シュレリアは目を細める。あんな本、燃えてしまえばいいのに。
「やめません?」
「何を」
「軍を」
「……またその話か」
カノンが溜息をつき、しおりを挟んだ本をパタンと畳む。瞳は困惑した様子で、つまらない顔をしたシュレリアの姿を映す。
休暇の度に、この話をしていた。軍をやめよう、という誘い、話、願い。シュレリアは、大切な兄をいつ奪うかわからない戦いなんて、嫌いで嫌いで堪らないのだ。その戦いへ駆り立てる軍の存在も、消えてしまえとすら思う。カノンだって、戦いは嫌に決まっている。戦いをなくすために戦っているのだから。だが、それをカノンがやる必要などない。この館でのんびりと暮らしていければ、それでいいのに。不安で仕方のない毎日は、滅んでしまえばいい。
「お前はどうなんだ」
「私は、お兄様が戦うなら、お兄様の傍にいたい」
「ヒトのせいにするんじゃない」
「お兄様が戦わなくても、いいのよ」
「力がある者が何もしないのは傲慢だよ」
「でも、残されたヒトは泣くしかないのよ」
「私が無事なら、その他大勢はどうでもいいのか」
「違うわ、でも……」
大切なヒトと、名前も知らないヒトへの想いは違う。カノンだって、シュレリアの気持ちをわかっている癖に。戦いが今は必要なこともわかっている、誰かがやらなければいけないのもわかっている。それでも、もしもを考えてしまうのは愚かなことなのだろうか。
できるのなら、あの日憧れた大人になりたい。誰かの手で死ぬこともなく、絵本の登場人物のようにずっと平和で、ヒトと手を取り合って生きていく。シンデレラだって、誰も殺しはしなかった。
「物語のようにはいかないんだ、人生は」
「わからない癖に、私の頭の中がわかるようなことを言うのね」
「わかったつもりだよ」
「お兄様は、叔母のように意地悪だわ」
「お前はシンデレラのように、夢を見ているな」
こんな意味のない会話も、昔はもっと楽しめたのに。今はどうだろうか。一言一言、意味があって重すぎて、シュレリアの心にちくちく棘を刺す。戦争を知らなかったあの頃とは違うのだ、色々な事を知り過ぎて、簡単な言葉遊びすらできなくなってしまった。何もかもを勘ぐるように、なってしまった。それを理解して、カノンは「お前だけでも軍をやめろ」と遠まわしに伝えてくる。素直に物事を言えず、意地悪で感情をぐちゃぐちゃにかき乱してしまう兄が、大好きで大嫌いだった。
カノンが、また本を読む。捲られるページは薄く、束となって厚く重なる。ヒトの一日のようだ。太陽の日差しに透き通る白金を恨めしく思い、シュレリアは椅子から立ち上がる。棚の中を物色して、気まぐれに本を探すと、あの日よく読んだ絵本を見つけた。無知なシュレリアを、幸せな気持ちにした絵本。お兄様が私の王子様なんだと言って聞かなかった、遠い昔。果たされなかった希望。永遠に平和な物語。
表紙を見ると、シンデレラは、笑顔で王子と手を繋いでいた。いつか、カノンとシュレリアも、手を繋いで戦いのない世界を生きていけるのだろうか。実現できない未来と、無神経な現実に胸が苦しくなる。本を、そっと棚に戻した。
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