一章
◇
「くそっ!!くそっ!!!」
「おいおい……落ち着けって」
ベッドに八つ当たりをした海斗が、ぼふぼふと布に鈍い音を立てる。ついでに埃も立てる。
ロウは花粉症なうえに埃アレルギーなのだ。タバコが煙ったいような顔をして、わざとらしく鼻をつまんでいる。
普段使いする部屋は、二人一部屋で割り当てられる。幸いなことに、ロウと海斗は同室だった。
魔族の襲撃後、ブリーフィングルームで明日の予定を共有され、時刻は夜になっていた。いよいよ港街を飛び、この艦はしばらくお空の上だ。
明日にはシュミレーション訓練もある。早く眠らなければ。それなのに、荒い怒りが海斗の身体を支配していた。
「馬鹿にされたんだぞ!」
「力がないってか」
「俺は誰よりも強かった!」
座学は普通よりは上。運動は苦手ではなく、身体能力は比較的高い。何もせずとも中の上。
出来ないことが無い、ほどほどに器用、苦労とは無縁。そんな海斗が唯一得意で、自分らしくいられるエインヘリアルの操縦。天才肌だった海斗に刃物のように突き刺さった言葉。
士官学校時代に海斗の操縦の右に出るものはいなかった。負けなしだったのに。
その上、海斗が今までやっていた事は何も自分本位ではないと気付かされた。
言われた通り、ヒトを守るためと綺麗ごとだけ並べていた。その事実すら腹が立つ。なら自分は今、この場で何がやりたいのだ。
「強かったのは士官学校の話だろ」
「ロウ、お前まで……」
「ここは学校と違うんだよ。そういうこった」
ロウは随分落ち着いていた。結局出撃できなかったロウは、ブリーフィングルームに戻され、戦いを見ることになったそうだ。
そうして、軍人は「こういうもの」だと嫌でも思い知った。誰かを守るためになんて正義のヒーローのような思想は、軍の中では不要である。志してもいいが、ずっとそのままでは何も守れない。
「俺達にはさ、少将さんみたいな技術も力もない。井の中の蛙だったんだよ」
「そんなのやらないとわかんねえだろ」
「お前のその自信、ウケる」
馬鹿にしている訳ではない、いっそロウは海斗を尊敬しているのだ。どこからその自信はくるのだと。
話をしていて落ち着いた海斗は、ベッドに横になる。「あ、忘れてた」と起き上がり、軍服を床に脱ぎ捨てた。士官学校の時も制服を地面に脱ぎ捨てていた。
ネクタイをほどき、これも床に投げる。ワイシャツだけは畳んでおいた。これは皺になる。Tシャツ姿になると、首からペンダントが除く。
海斗が幼い頃、母の形見にと貰ったペンダントだ。くれたのは母だったか、イマイチ覚えていない。何せしっかりと物心つくかつかないかの年だったので、色々とおぼろげだ。父はそれが母の形見だ、と言っていた。
光の加減によって、青にも紫にも輝く石。名前は確か賢者の石。非常に珍しい守り石だそうだ。
横になって、ペンダントを手に取る。光に当てると、今日は海の色に見えた。自分の名前も海に由来するものだったか。
「それ、お前の母さんがくれたんだっけ」
「覚えてない、多分……母さん」
「曖昧だな」
「覚えてないっていったろ。母さんが死んだの、もう一五年も前だし」
一五年前、海斗がまだ三歳の時だ。海斗の母、エミリアは軍人だった。任務の最中、死んだのをおぼろげに覚えている。
蒼い月と、大きな魔物。それと、エインヘリアルが魔物に剣を突き刺す光景。月の中に浮かぶ機体と、魔物の赤い血霧。外でその光景を見ている自分。降り注ぐ血の雨、敵の攻撃。それを庇ってくれた、誰か。何もできなかった自分。
あの時自分に力があれば。子供でなければ。あんなところにいなければ。何もかも変えられれば。たらればなど無意味だ。そんなことはわかっていても、時々そう考える。
母が死んでから、同じように軍人であった父は軍をやめた。男手ひとつで海斗を育ててくれた父は、軍では母の部下であった。
同じ戦いに参加していながら、母を守れなかったと後悔し、そのまま生気がなく項垂れていた父を思い出す。父はあの時から歩みを進められていない。時間が何もかも止まっている。
父は海斗に生き方も、自分の意志で選ぶ方法も教えてくれなかった。知らないことは、どうやって覚えればいい。
父よりも強い軍人になると話した時は、随分怒られたものだ。半場無理やりに士官学校に入り、それ以降はまともに会話をしていない。士官学校は寮制なので会話する機会がなかったのだ。
自分は力があって、軍人として前に進めると。大丈夫だよと、父に示したかったのかも知れない。父のため、結局はこれも自分のためではない。
全部中途半端だと、粉々に打ち砕かれた。何も考えていなかった。これでいいのだと。思い込んでいた。今、そんな自分に何ができるのか。
「軍人、やめろって言われたんだろ」
「やめねえよ、俺は」
「……多分、お前の親父さんはやめた方が喜ぶと思うけど」
「でも、それじゃあ俺が前に進めない」
海斗なりに考える。中途半端なままでいいのか。ここで投げ出して、本当に後悔しないか。
「……じゃあ」
「ここに残る。他にやりたいこともないし、何より馬鹿にされたままは気にくわない」
「へえ、意外」
「自分でも思った。俺、案外負けず嫌いみたいだ」
「操縦技術は負けたことなかったから、今気づいたってか?嫌なやつ~」
「うるさいな。俺はあいつを超える」
「少将さんを?」
「そう」
ここに残って、カノン以上の力を身に付ける。彼以上の存在になれば、綺麗ごとも現実にできる。何より負けたままは嫌だ。覚悟を決める。初めての、自分で作った目標だ。
話を切り上げ、部屋の電気を消す。お互いにお休み、と言い毛布をかぶった。ゆっくりとベッドに沈み、目を閉じる。頭の中のスイッチを切り、意識を飛ばす。暗闇に身をゆだねて、夜明けを待った。