二章



 ◇


 何でもない、何でもない一日。カノンは無事に帰宅し、海斗は家で自炊をしていた。少し狭い台所と、二口のガスコンロ。コンロの上には、取っ手のついたアルミ鍋。鍋の中ではお湯がぐつぐつ煮えている。
 自炊といっても自分が最低限できる範囲内で、袋に入ったラーメンを作る、市販の調味料で味をつけて適当に作る、チャーハンを炒めるなど、簡単なものしかできない。それでも、何もできないよりはましだ。
 お湯の中に乾麺を投入し、麺と同じ袋に入っていた粉末スープを器に開ける。麺が茹で上がったら、鍋からお玉でお湯を救う。それから器の中にお湯をお玉三杯分。菜箸で器の中のお湯をかき混ぜると、粉末スープが湯気を立てて出来上がる。そのまま菜箸で鍋の麺を器に入れる。
 本日も具材のない袋麵を完成させて、居間のテーブルに持っていく。台所だとテレビがないので、一人で食べるにはどうにも落ち着かないのだ。
チープな味を楽しんでいるところに、哲郎が姿を現す。珍しく酒臭くない。

「……海斗、時間、あるか」
「……飯食ってる」

 つまり、食事をしているので忙しい。正直なところ、海斗は哲郎と何を話せばいいのかわからなかった。
 親でありながら、接点がほとんどない。海斗が小さい頃の哲郎はほとんど仕事をしていたし、家に帰って来たかと思えば酒を飲んでいた。海斗が自炊できるように面倒を見てくれたのは、哲郎ではなく哲郎の母、祖母だと記憶している。
 海斗の髪は哲郎にそっくりで、顔つきはエミリアによく似ていると祖母は言っていた。
 祖母は海斗が十歳になる頃に亡くなり、その頃には哲郎は生きる意味を見失ったとも言いたげで、とても親として頼れるようなものではなかった。
 考えてみると、海斗の記憶にはエミリアや哲郎との暖かな思い出が一つもない。親子なのに、ただ一緒に住んでいる同居人のようだ。同居人というなら、友人のロウの方がまだましだ。他愛もない話や冗談を気軽に言い合える。
 そのくらい、海斗にとって家族というものは遠い存在だった。お陰で、海斗は今でも誰かを頼るのが苦手だ。

「じゃあ、食いながら聞いてくれよ」
「……何」

 今日はやけに食い下がってくる。いつもの哲郎は、もっと素っ気なかった印象がある。しかたがないので、耳だけ貸すことにした。
 哲郎が海斗の隣に座った。つけっぱなしのテレビのバラエティ番組が、雑音のように意識をすり抜ける。

「海斗、俺は後悔してる」
「……何を? 母さんのこと?」
「いや、お前のことだ」
「何を、いまさら」

 海斗が誰の愛情も信じられず、湾曲した感情を持つようになったのは、哲郎のせいなのに。
 現に独りで苦しんでいた海斗に手を差し伸べたのは、哲郎ではなくカノンだった。従兄弟どうしだったなら、いっそのことカノンと住めれば良かったと叶いもしない絵空事を考える。

「いまさらかも知れないが、言わないよりはましだ」
「カノンになんか言われた?」
「……その通りだよ」
「それで、何」

 海斗の言葉は自然に鋭さを増し、哲郎をきつく切りつける。結局、カノンに何か言われなければ何も行動しなかっただろうに。

「お前のこと、きちんと気にかけてやれなくて、すまなかった」
「……そう」
「正直、父親失格だと思う。俺は海斗に何もしてやれなかった」
「……」
「許してくれなくてもいい。お前になんの教育もしてやれなかったし、遊んでやることもできなかった」
「……じゃあ、許さない」
「……ああ」
「でも、俺にとっての父さんは、あんただけだ」
「……海斗」
「だから、今までのことは許せなくても、これからお互いを知っていくことはできる」

 自分でも、何故こんなことを言えるのかわからない。以前の海斗なら、絶対に許さなかったし、これからも哲郎と話すことはなかっただろう。
 だが、海斗自身の成長が、カノンと関わることで得られたヒトらしさや新しい生き方が、自然と海斗をそうさせた。カノンならきっと、こうする。
 相手を責めて恨むだけなら簡単だ。相手の境遇や立場を理解し、初めて相手に寄り添える。哲郎だって、愛するヒトを失い、自分の母も失い、辛かったはずだ。その感情を否定するつもりはない。

「海斗、お前……随分、変わったな」
「そうかもね」
「何だか、カノンそっくりだ」
「……そりゃどうも」

 自分の人生の教官がカノンなのだから、それは仕方がないというものだ。麺を全て啜り終えたところで、哲郎がまたぽつぽつと話し始める。

「お前を見てると……エミリアを思い出した」
「それで、辛くなった?」
「ついでに、エミリアを守れなかった自分のことを責めた」

 まるで古傷が疼くように、哲郎が眉を寄せてから拳を強く握る。戦争はどうしたって、死が隣り合わせだ。
 誰かの死を重く受け止めるほど、正気ではいられなくなる。海斗には、哲郎の傷みを共に背負う覚悟も優しさもない。それでも、母のことは知らなければならない気がした。

「……父さんは、さ。母さんのこと、どう思ってるの」
「どうって」
「……大切だった?」
「当たり前だ」
「俺のことも?」
「ああ」
「俺のこと、戦いを終わらせるための道具だとか、母さんは思ってたのかな」
「エミリアはお前のことを少なくとも、兵器だとかそんなこと考えてなかったよ」
「……本当に?」
「ああ、寧ろ親として正しくいられない自分を責めてた」
「そう、なんだ」

 正しくない親など、この世にいくらでもいる。子供を虐待する親もいれば、洗脳して道具の如く扱う親もいる。海斗の両親の場合は無関心、だろうか。
 干渉しすぎる親も良くないが、子供に関心のない親も、子供は不安になるのだ。

「お前は憶えてないかも知れないが、エミリアは自分が死ぬことをわかってたんだ」
「……どうやって?」
「ALIVEシステム、ユグドラシルが俺たちに与えた神様からの予言さ」
「システム、」

 ALIVEシステム、まただ。海斗が重要なことを知ろうとすると、いつもシステムが関係してくる。

「もっとも、そんなくそったれなシステムのせいでエミリアは死んじまったが」
「悪いのは、魔族じゃなくて世界?」
「そうかもな、今後のご時世を最適な形で導く、システムという名の世界の意志が……俺達を狂わせてしまった」
「システムの予言は絶対?」
「……今のところは、な」
「……システムの起動条件は」
「天族と人間のハーフ、それ以外のことは俺にもわからん」
「……父さん」

 真実がどうであれ、自分は本当に戦いのために産み出されたのではないか。不安が脳裏をよぎる。
 目線を下げる海斗をよそに、哲郎は続きをぺらぺらと喋りだす。

「だからエミリアは、まだ幼いお前をカノンに預けた」
「……へ?」
「お前、そこまで覚えてないのか?」
「知らないよ」
「……エミリアは自分が死ぬとわかったから、カノンにお前を預けたんだ。自分が死んだとき、母親の記憶はない方がいいだろう、って」
「……そんなの、自分勝手だよ」
「エミリアは確かにシステムのためにハーフの子供を欲しがっていたが、少なくともお前のことを愛していた。お前は……俺と、エミリアとの希望なんだよ」
「……なんの説得力も、ないよ」
「そんなに気になるならカノンに聞け、俺よりもっと詳しく知ってるだろうよ」

 母とカノン。そしてシステム。本当は、全てが繋がっているとしたら。例えエミリアの傍にいようがいまいが、母親が死んだという事実は変わらない。
 勝手に、頼んでもいないことを決めるな。
 海斗が鬱々としていると、哲郎は次々に新しい情報を並べ立ててくる。本当はもっと早くこうして話をしたかったのではないだろうか、なんて。

「そうそう、小っちゃい頃のお前、カノンにべったりだったんだぞ」
「なにそれ、聞いてない」
「べったりならまだしも、カノンと結婚するんだーってずっと駄々こねてた」
「う、わ……」
「最初に覚えた言葉はパパでもママでもなくカノンだったな」
「ちょ、ちょっと待って」

 考えが何一つ纏まらない。言いたいことだけ言って、勝手にすっきりしないでくれ。
 しかもこちとら初めて恋をしたと思っていたのに、同じ相手に二回初恋をしていたというのか。
 落ち込んだかと思えば今度は気恥ずかしくなる。感情がジェットコースターだ。

「他には……」
「ごめん、もういい、もういいって」

 哲郎が面白そうにしているが、静止しておいた。これ以上は知らぬが仏、だ。
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