二章
◇
完全犯罪とは案外簡単に行われる。自分達の惨状を隠蔽するために、海斗とカノンは服を着て、二階のベランダからこっそり抜け出した。後は空いていた玄関から靴を持って、外出をすれば逃避行は完成である。
さて、海斗とカノンは、当てもなくさまよっていた。途中、海斗の下々の住人はコンビニのトイレで処理した。
家では今頃、誰もいない部屋に唖然とした哲郎とシュレリアが佇んでいることだろう。
あの様子からすると、シュレリアは兄が一晩帰ってこなかったことに相当怒っているようだった。
「全く、私とていい大人だというのに」
「心配してるんだよ、カノンのこと」
「行き過ぎた心配は迷惑だ」
珍しく、カノンが捻くれた顔をする。いつも凛とした彼のこういう部分は、見る度に微笑ましい。
カノンの愚痴を聴きながらあてもなく歩いていると、田舎では比較的栄えた商店街に行き着く。都会の流行より遅れてから並べられる商店の品々は、誰の手に渡ることもなく待ちぼうけだ。
個人経営の飲食店に、精肉と一緒にコロッケを売っている肉屋。いつも割引をしてくれる八百屋さんと、元気なお婆さんがいる駄菓子屋。
特に何がある訳でもないが、何も変わらない風景に海斗は安堵する。
ふと、カノンが足を止める。なんてことはない、田舎のゲームセンターだ。表に置いてある大きなUFOキャッチャーの中には、大きなうさぎのぬいぐるみ。どうやら最後の一つのようだ。
「カノン、うさぎ好きなの?」
「な、ちが、もふもふしていると思っただけだ」
「もふもふ?」
「いや、その……可愛らしいと」
「……ふーん?」
今日はらしくない一面を随分見せてくれる。戦争がなければ、ただ不器用な青年ではないか。
海斗はポケットにねじ込まれた自分の財布を手に取り、店内の両替機にお札を吸い込ませる。じゃらじゃら降ってくる硬貨を手に取り、UFOキャッチャーの硬貨投入口に二枚、投入した。流石田舎、値段が良心的だ。
「カノン、うさぎ欲しいんだよな?」
「別に欲しいとは……」
「いらないの?」
「ほ……欲しい」
「かーわいいー」
「調子に乗るな」
「すいません」
流石にからかいすぎた。口にチャックをして、UFOキャッチャーのレバーをガチャガチャ操作する。アームを降下させて、目標の景品を掴む。設定が甘かったのか、それとも以前何度も挑戦した者がいたのか、予想外にうさぎは一度の挑戦で出口へ落ちた。
「お、一発」
「上手いじゃないか」
「まあね」
海斗は獲得した大きなうさぎのぬいぐるみを拾い上げ、カノンの腕に預ける。
「はい、プレゼント」
「……ありがとう」
照れ隠しでもするかと思ったが、カノンは存外嬉しそうにぬいぐるみを受け取った。ぬいぐるみとは縁がなさそうだが、ギャップというやつだろうか。喜んでくれたのでよしとする。
美しい青年が可愛らしいものを大事そうに抱きしめている。それだけで眼福だ。
「何をにやにやしている」
「え?」
「海斗、お前のことだ」
顔にでていただろうか。どうにもカノンの前だと、脳も身体も素直になり過ぎてしまう。悪気もなく癖で謝ると、海斗の考えた事を察したのか、カノンはまた機嫌を悪くした。
「カノン、機嫌なおせよ」
「別に悪くなどないのに、何をなおす必要がある」
「強情」
「うるさい、変態」
「なっ」
「どうせ夜な夜な酔っぱらった私に、いやらしい事でもしたんだろう」
「な、なんだよ急に掘り出して」
カノンに声をかければかけるだけ、機嫌が悪くなる。火に油、なんて面倒な。おまけに忘れていたことを突然話題に持ち上げる。
微笑ましいなど前言撤回。せっかく忘れていたのに、やっぱり嫌な奴だ。
「別に何もしてねえよ」
「反応するのは図星だから」
「違うって!」
「なら、何であんな恰好だったんだ」
「そ、それは……!」
抱いたからです。ここまできて白状してしまうと、さらに炎上しそうだった。なんとか鎮火する術は。海斗は年相応の男にしては大きな瞳を、くりくりと命一杯動かす。カノンの興味を惹きそうなもの。
辺りは商店街。入浴剤専門店。駄目だ。そんな可愛らしい趣味はない。あわあわの風呂に入ったカノンは想像できない。
自転車屋。バイクは乗るがバイセコーは……突然庶民チックになる、駄目だ。
昔よく通っていた八百屋。行ってどうする。
諦めかけたその時、カノンのはるか後ろ、上空に黒煙を発見する。この辺りに工場はなかったはずだ。あるとすればあの方向は――港だ。
「か、カノン!」
「なんだ、逃げようとしても無駄だぞ」
「違う、カノン後ろ!」
「後ろ……なに!?」
◇
「この艦は曰くつきなんじゃないか!」と誰かが叫んだ。そう嘆かざるを得ない。スキーズブラズニルは、また襲撃を受けているのだから。実際海斗も「お祓いをした方がいいんじゃないか?」と思っていたところだ。
一番叫びを上げているのは、この艦の一時的な留守を任された城崎蓮大佐である。誰も攻めてこないと思っていたのだろう。
第二師団の隊員が出撃したところで海斗とカノンがブリッジに入ってきた途端、まずいものを見たという顔をした。
「城崎、敵の接近を許したのか!」
「そ、そうみたいだねぇ」
「事前に渡した敵の最新資料は読んだのか?」
「え? ああ、うん……」
城崎の目が泳ぐ。まごまごと何か言いたそうにしている。
「……貴様、何をしていた」
「僕? 鏡を見ていたよ……嘘だって、怒らないでよ」
冗談を飛ばしたが、カノンは機嫌が悪いため、真顔で城崎を睨み付けた。いつにも増してつまらない男の完成である。
仕事で本気で怒ったときのカノンは鬼より怖い。絶対怒らせないでおこう。海斗は肝に銘じる。
「ところで君……そのぬいぐるみ、何?」
「……?」
カノンが一瞬我に返る。手元には大事に大事に抱きしめられた、大きなうさぎのぬいぐるみ。ブリッジの面々も興味関心のようだ。
「……城崎、私のぬいぐるみを気にしている暇があるのか?」
「……ないね」
余計な一言だったようだ。カノンは鬼を通り越して、魔王と呼んでもいいほど怒りを爆発させる。力強く腕に抱えられたぬいぐるみが少し可哀想だった。
「レーダーは」
「レーダーは確認していたよ、オペレーターが」
「貴様は?」
「……君の部屋を飾り付けていた」
「は?」
「……僕に免じて許して?」
「黙れ。光学迷彩の機体が敵に配備されたと、資料に記載したハズだが」
「ええと、さっき読んでいたところだったんだ! 僕の機体にも実装しようかねえ」
「読んでいなかったのか!?」
「美容のために早寝していたら読んでいる暇がなくて」
「ええい! 言い訳はいい、とっとと出んか!」
「誰がブリッジにいるのさ」
「私がいる!」
いつもはブリッジの椅子になど座りたがらない癖に。今日は相当気が立っているのか、それとも自分以外座らせたくない、潔癖なだけか。椅子に座った司令殿の膝にはうさぎが乗っていた。
その場についていけない海斗は、「俺はどうしたらいいー?」と空中に声を飛ばす。残念ながら誰からも応答がないので、城崎を見やる。
「……少将といたら? 君、一応休暇中なんだから」
「あ、はい……」
ごもっともだ。休みなのだから、わざわざ出撃する必要もあるまい。休みの際に艦を守るために配置されたのが第二師団や城崎だ、考えてみれば、今この場にいるのは休日出勤に値する。
しこたま怒られた城崎はブリッジから出る前に、海斗に突然詩人めいたことを語りだした。
「そうだ、君」
「え? 俺?」
「少将は女性よりデリケートで、どの男よりプライドが高い」
「……確かに」
「お月様を捕まえる時は、海に似た大きな心で、水辺を張るといい」
「それはどうも」
「ええい、早くいかんか!」
「癇癪持ちだなぁ、全く」
どうしてこう、偉いヒト達は言いたい事だけ言うのが得意なのだろう。謎のアドバイスを残して、城崎はそそくさとブリッジを後にする。
カノンはというと、その場に残った第二師団の者達を置き去りに、一人で全てのシステムを正しく起動しているところだった。少しは頼って欲しいが、海斗にはブリッジのシステムはさっぱりなので、改めて無力さを痛感する。
ブリッジのモニターには、黒いごてごてした機体が飛び立つ様子が映っている。丁寧な加速が、周囲の空気を荒立てることなく空を優雅に舞う。隕石の如く着地する、どこかの少将さんにも見習ってほしいものだ。
既に戦闘は始まっているようで、モニターには外の戦闘の様子が目まぐるしく映し出されている。
レーダーがひとりでに起動し、艦に搭載された射撃類の武器が弾幕を張る。何かが起こる度にカノンの指は恐ろしく滑らかに動き、手元のキーボードは喧しく音を立てた。脳みそが四つはあるんじゃないか、この男。
ぽかんと立ち尽くす海斗は、モニターをただただ眺めていた。
オ ペ―レートがなくとも城崎達は統率がとれており、各個撃破で敵を遠ざけていく。何故か薔薇の花びらが舞うおまけつき。
「カノン、これは……」
「薔薇だ」
「あ、うん……それはわかるんだけど」
わからない。何故戦場に薔薇が。挙句の果て、キラキラとした粉末が待っているのか。どこから出ているのだろう。全く持って謎だ。この世には科学で証明できないことが沢山あるが、これもその部類なのだろうか。
城崎の機体、ロキは機動と小型ビットによる遠距離攻撃に優れていた。ビットからレーザー砲が放たれる度に、辺りが輝きに満ちる。眩しい。悪く言うと、画面がうるさい。
第二師団の面々は城崎が敵を倒しやすいよう誘導し、あくまでも隊長を立てるように動いている。踊るように敵を刺し、(実際に謎のポーズを決めて踊っていた)鮮やかに空を彩る。
「こちらブリッジ。これより支援に入る。現在の敵目標位置を共有する。残りは少ない、確実に仕留めろ。コードⅥ、指定ポイントへ標的Cを誘い出せ」
『サーイエス、サー!』
「城崎、指定ポイントへ移動後に標的C敵を撃墜。大型の魔物が接近している。海上にポイント追加、魔物をメイン戦闘区域から誘導しろ。大型の処理は後で構わない」
『はいはい、イエスイエス』
「コードⅢ、コードⅣ、標的Cを挟撃。コードⅥ、城崎の援護へ」
『サーイエス!』
「標的Cの消滅を確認。残りは大型と標的A。標的AはコードⅡに接近中。コードⅧ、標的Aの背後をとれ。動きが止まり次第、コードⅡは挟撃を実施」
戦闘中の部隊に、カノンが指示を出す。戦場全体を把握し、手が空いた者がいればすぐに動かす。所属が違うにも拘わらず、第二師団の面々は的確に指示を遂行し、敵を次々に倒していく。
「標的A、消滅を確認。残り目標は大型。各機、包囲網を作れ。指定のポイントで大型を囲み、排除しろ」
『僕は!』
「……止めは城崎に任せる」
『そうこないと!』
カノンのバックアップもあり、敵の情報を常に把握できた第二師団は、あっという間に魔物と少数の魔族を撃破してしまった。
数が少なかったとはいえ、洗練された彼らは一体……。全ての脅威が去った後、城崎はモニターの真ん中で、ポーズを取りけたたましく声を上げた。
『薔薇の騎士団! 華麗なる勝利!』
そして激しく弾ける薔薇の花びら。カノンが盛大な溜息を着き、ブリッジのシステムを閉じる。頭を悩ませる理由が、なんとなく理解できる気がした。
「……あのさ、薔薇の騎士団って、何?」
「……私が知るか」
戦闘指示で脳が疲れたのか、カノンはため息を盛大につきながら、甘いお菓子を所望したのであった。
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