二章



 ◇


 闇夜が深くなり、窓の外は静寂に包まれていた。しかしそんなことは関係ない。カノンと哲郎にとっては、これからが楽しみ時なのだ。
 酒を黙々と飲み交わし他愛もない話をして、虚空を見つめて昔話をする。
 二人の飲み方は、あの日以来いつもこうだ。エミリアが死んだ、あの日から。無意味な傷の舐め合い。
 それでも二人で飲み続けるのは、この感傷を分かち合えるのがお互いしかいないからだ。
 海斗が大きくなる前は、よく馴染みの居酒屋で飲んでいた。海斗が士官学校にいくようになってからは、哲郎の家で飲んだ。

 エミリアが死んだあの日以来、カノンはずっと海斗を避け続けてきた。エミリアが死んだのは自分のせいだと、カノンはずっと頭の片隅で自分を追いつめてきた。
 責められるだけならましだ。海斗に非難されることが怖かったのではない、カノン自身のせいで殺したと認めてしまうのが、怖いから。何もかも嫌になるほど、自分のことを知り過ぎていて、逃げたくて仕方がなかった。

 それを哲郎に告げたことは一度もない。どんなに昔昔の話をしても、どんなに細やかで愛しい思い出の話をしても、言えない。誰にも心を開けず、永遠に胸の奥にある心のシコリ。グラスを傾け、カノンは目を細める。
 もう一杯飲もうとウイスキーのボトルに手をかけると、哲郎が柄にもなく暗い顔をしているのが見えた。
 いつもは騒がしくて、どうでもいい内容でカノンに絡んでくるのに。馴染めないその表情が落ち着かなくて、「どうしたんだ」とつい声をかけてしまう。

「今でも時々怖いんだ」
「怖い?」
「あいつと向き合うこと」
「……私だって、最初は怖かったさ」

 怖い。海斗は、カノンにとって鏡のようだった。自分の犯した過ち、罪、なにもかもを突き付けてくるようで。一方的にそう感じているだけだろうが。
 あれだけ強がって見栄を張って、凛とした風を演じているのに、自分を暴かれるのは恐ろしくて堪らない。
 しかし海斗と関わるうちに、カノンの中の恐怖はいつの間にか、もっと暖かな感情に変化していた。最初は罪悪感ばかりだったのに。

「カノン、お前とは違う“怖い”んだよ」
「それは恐怖ではなく、負い目だろ」
「……そうかも知れないな。俺、未だにわかんないんだ、海斗とどう接していいか」
「お前が勝手にそう思っているだけだ」
「でもやっぱ、わかんねえんだ。 戦争のために、海斗を産んだんじゃないかって」
「エミリアさんは、そんなこと……」
「さあ、な。 だが知ってるんだ、エミリアがシステムのために、ハーフの子を欲しがってたのは」

 天族と人間のハーフ。アースガルドとミッドガルドの交流が盛んな今や、さほど珍しくはない。しかし、エミリアにはどうしても必要な理由があった。

「……ALIVEシステム」
「そう、それ。今思えば、自分の子供じゃなくてもいいのに、な」
「……そうだな」

 ALIVEシステムの起動条件は、異種族間の子供。異種族交流は和平の象徴であり、希望。世界が定めた簡単で、難しい条件。
 恐らく、エミリアは他人に希望という重い使命を、背負わせたくなかったのだろう。
 だが、それが自分の子供ならいいのか。カノンにはわからない。自分がハーフならば、とは何度も思ったが。

「死んじまった今じゃ、エミリアの本心も聞けやしない。 俺はずっともやもやしながら、海斗に接して、こうなっちまった」
「どうしたいんだ、お前は」
「わかんねえ、わかんねえんだよ、だから。 俺は……海斗の父親には、なれないんだ、育て方なんて、最初からわかんねえよ」
「親なんて、皆そうだ。最初から親であるヒトはいない」

 カノンだってそうだ。皆、他人との接し方を迷いながら、見えない壁に悩みながら、誰かとの関わり方に答えを出している。最初から答えがわかっていれば、こんなに悩みはしない。人生は、常に実験のようなものだ。
 空いたグラスに、ウイスキーを注ぐ。安酒だ。あまりいいメーカーではない。だが、酔う分には丁度いい。味なんて楽しまずともつまみの話がある。こんな話、酔っていなければできない。話をしているから酔えない、というのもあるのだが。
 グラスが満たされたところで、ヒトの気配に気付く。暖簾が掛っていて、廊下の先。
 この気配は、知っている。カノンがおずおずと顔を上げる。暖簾ごしに目が合うと、信じられないものを見た、という顔をした海斗がそこにいた。

「――、海斗」
「なあ、今の話って」

 どこから、聞いていたのだろうか。やっと海斗は、前向きになってきたというのに。
 海斗は息を小さく吸ってから何かを発しようとして、目をぐるぐると動かしながらやっぱり迷って、何も言わないまま、わっと走って廊下を駆ける。
 どたどた、夜には似つかわしくない足音が反響する。
 家のドアが勢いよく開いた音がして、急にまた静かになる。

「海斗!」
「……」

 哲郎は座ったまま、地面を穴が開くように見つめる。見る場所は、そこではないだろうに。
 カノンの頭の中に、ふつふつと怒りの感情が湧く。哲郎がエミリアを失って辛いこともわかる。だが、いつまでふさぎ込んで、海斗と向き合わないのだろうか。
 説教をしてやりたい気持ちを抑えて深呼吸をする。ここで哲郎に怒ったところで、何も事態は変わらない。
 海斗は今の話を間違いなく聞いていて、自分は戦いのために産みだされたと、思っている。

「哲郎、追いかけてやれ」
「追いかけてどうする、俺には……立派な親の務めは果たせない」
「お前が……お前がそんなんだから海斗は苦しんで……!」
「俺はまともに海斗の世話をしたことがない。 カノン、お前ならわかってるだろ」
「っ、そうやって……!」

 お前なら。海斗を理解していることか、それとも哲郎のことを理解していると言いたいのか。全てが曖昧で、他人任せな言葉。
 言い換えそうと出た言葉をまた息として、呑み込む。申し訳なさそうな顔をしながらも、哲郎が立ち上がることはなかった。
 今までも、これからも、哲郎は怖いことから逃げたいのだ。逃げることは悪ではない。それでも。立ち向かうことも、悪ではない。
 それなら海斗と向き合おうとする感情も、カノンにとっては悪ではない。
険しい目つきで哲郎を見やる。彼にも自分にも怒りを覚えながら、カノンは海斗を追った。

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