二章



 ◇


 海斗が艦に戻って道を見定めている間に、季節はまた一つ、廻ろうとしていた。
 鬱陶しい露は過ぎ去り、夏。海が煌めき、空は巨大な雲を背景に携える。入隊した四月の時に比べて、得たものも失ったものもあった。
 それを選んだのは、自分だ。震えて夜明けを待ったその先に掴んだのは、小さな光だった。正解か不正解かなんて関係ない、今はただ、信じたいヒトがいる。海斗にとって自ら出した一つの答えだ。

 第一師団は日ごろの疲れを労うために、一週間の夏休みに入ろうとしていた。軍には夏休みなど、以前は存在しなかったが、カノンが現在の役職についてからできたのだという。上が変われば、制度も変わるものだ。
 常に前線で戦う者達にも、家族がいる。命の危険が伴う軍人に配慮したものなのだろう。思慮深さがなければ、ヒトの上に立つ資格などない。

 さて、夏休みの前に、校長先生が生徒に演説をするがごとく、海斗は長い長いカノンの話を聞いていた。一人ではなく師団全体で。
 相変わらず綺麗に並んで。何列目のどの位置にいるかなんて、数えるのも無意味だ。第一師団は他の師団と比べて人数が多い。
 どうしてこう、説明というのは長いのだろう。いや、しかしどんなに長くても面倒でも、説明はきちんとは聞くべきだ。重要な事を話しているのに、「聞いていない」とでしゃばるのは阿呆のやることだ。
 第一師団の各々が外出用の荷物を抱え、発進ブロックにすし詰め。人数が多いので、広い空間も窮屈そうだ。
 発進ブロックはこの時期と補給時だけ、東京の港街とドッキングして解放されている。緊急時にすぐに対応するためだ。しかし、緊急時は無いに越したことはない。

 海斗はぼーっと考える。自分達が休んでいる間は、誰が世界を守るのだ、と。
 世界を守るための軍隊が七日間も休暇に入るとなると、かなりリスキーなので対策は必要だろう。カノンの長い話は半分くらい、頭から抜け落ちてしまった。
 話の最中に、遠くから勢いよく空を裂く音。カノンの声に交じって、妨害するように聞こえてくる。意図的なのかうっかりなのか、その音は徐々に近づいてくる。
 なんだ、海斗がと開けっ放しになった出入り口をみると、一機のエインヘリアルが接近してくるところだった。

 人工的に作られた風が一気に艦内を駆け抜け、話の腰を折る。入ってきた機体は黒を基調に、金の装飾が目に痛い。悪趣味というか、なんというか。どこからともなく舞っている薔薇の花びらは一体なんだろう。
 空いたスペースに着艦した騒音の原因は、カノンの顔を一気に不機嫌にさせた。
 ついでにエリオットもどこか困った顔をしている。知り合いだろうか。
 機体のコックピットハッチが開き、中から顔を覗かせたのは艶やかな黒髪をなびかせた、中性的な目鼻立ちの男だった。誰かは知らないが、軍服は赤、階級は佐官。さぞかし可憐な人物なのだろうと思いきや、機体の上で大きく腕を広げ、彼はこう言った。

「僕だよ!!!」

 艦内にその一言が、響く。……だから、誰なんだ。
 一瞬呆れか何かに静まり返ったその場を、カノンの声が冷静に仕切る。

「到着が早すぎる」
「え? 君の話が長すぎるんでしょ」
「重要事項は説明しなければならない」
「そんな、携帯の契約じゃないんだから」

 わざとらしく目の前の男が「理解できません」とでも言う風に、肩をすくめて首を横に振る。一々演者に似た動きはカノンじゃなくても顔を顰める。変わり者、そんな言葉が似合いそうだ。
 カノンと会話をしていたかと思えば、機体の上からエリオットに大声で声をかけて、手をぶんぶん、子供のように振る。
 知り合いじゃないです、と言いたげにエリオットが顔を逸らす。絶対知り合いだろうに。
 茶番が繰り広げられる中、接近する機体がもう一機。
 大きな碇に似た剣を持った物騒な機体が、黒い機体の隣に乱暴に降りる。荒々しい操縦から恐ろしい男が出てくると想像をしていたら、金髪で、口元のホクロが色っぽい女性。

「あんたら! またせたね!」

 にや、と笑い腕を組んだ女性は、空色の軍服をコートの如くはためかせ、仁王立ちした。男よりも男らしい女性は、カノンを見つけると、馬鹿でかい声を浴びせた。

「よおカノンちゃん! 前より可愛らしくなったんじゃないかい?」
「……厄日だ」


 ◇


 警護の引き継ぎは一週間、第二師団の複数名が担当することとなる。カノンが面倒そうにしていた説明が終わると、皆が休みに気を取られ、街へ、家へ、部屋へ、戻っていく。
 イロモノよりも皆、自分のことの方が大事だ。この艦を守るのが第二師団になるという事実以外、目の前の近寄りがたい者達の正体に興味はないのである。
 それでも律儀に挨拶にいく海斗は、ただ単にカノンと仲のいいヒトの存在が気になるだけだ。嫉妬をしている訳ではない。
 カノンもまた律儀に紹介してくれるので、お近づきのしるしにと会釈をする。

「……城崎蓮大佐だ」
「なんでそんなに嫌そうに紹介するんだい」
「……」
「え? 無視?」
「えと、初めまして、赤羽海斗です」
「……赤羽? もしかして、あれの息子?」
「あれの息子だ」
「あの生意気な哲郎の?」
「父さんのこと知ってるんですか?」
「ああ知っているとも、そこの少将と酒ばかり飲んでいた」
「余計な話をするな」
「おお、怖い」

 お喋りなのだろう。城崎は聞いてもいないことを、ぺらぺらと海斗に話す。その度にカノンが苦虫を噛み潰した顔で話を止めるので、海斗の頭に内容は入ってこなかった。
 お互いどこか仲が悪いようで、話の雰囲気はさほどよくない。例えるならそう、喧嘩したまま仲直りできない友人のような。

「あたしの紹介はしてくれないのかい?」

 談笑とは言い難い様子に、先ほどの豪快な女性が割って入る。ポケットからくしゃくしゃになった紙煙草のケースを取り出し、一本口に咥える。ジッポーライターで火をつけて、髪をかき上げる。香水の香りだろうか、ふわりと瓜系の甘い匂いがした。

「中将」
「え、カノンよりも偉いの?」
「そうだよ坊や。あたしは第二師団所属、海上母艦レージングル艦長のブーゲンビリア・ベルドレッド中将さ」
「気を付けろ、海斗。彼女は……」
「何に気をつけるんだ、カノンちゃーん? それより今日は一杯付き合ってくれるんだよねぇ?」

 何かを言いかけたカノンの肩に、ブーゲンビリアの腕が乗る。直感でわかった、カノンはこの二人に何か弱みを握られている。しかも、恥ずかしいタイプの。
 これ以上は何も触れないよう、海斗はゆっくり三人から距離を取る。恐らくカノンもそっとしておいてほしいはずだ。海斗に「早く逃げろ」と言わんばかりに視線の圧を飛ばすカノンに、心の中で合掌をした。
 外泊用の荷物を肩にかけ、質問攻めにされているカノンを見捨てるように、艦を降りるのであった。
 さあ、長いような短いような夏休みの始まりである。
17/18ページ
スキ