二章



 ◇


 海斗は、茫然と発進ブロックを見る。艦内は慌ただしかった。燃え盛っていた炎は鎮火され、事後処理に追われる。
 ひしひしと蠢くヒトの姿は蟻の軍隊にも似ていて、あまりに懸命で規律正しいので崩してしまいたくなる。
 世界最強の艦は敵の接近を許したばかりに、あちこちに損傷が目立つ。むき出しのケーブルと、剥がれた鉄板、飛び散る火花。それから燃えた後の臭いと、水が生乾きでヒトの体臭が混ざるものだから、いくら空調が聞いているとはいえ気分は最悪だった。
 どうしたものか。敵はすでに逃げ帰った後だし、海斗としては何もやれることはない。敵が接近することまで見通していたかは知らないが、カノンは意図的に敵を逃がしたのだろう。なら、海斗がディースと対峙したこともまた、仕組まれていたのだろうか。
 規則正しい足音がこちらに向かってくる。こつ、こつ。カノンの足音だ。足の降ろし方と、リズム、体重、その全てでわかる。
 後ろを振り向かず、後方に声を飛ばす。

「カノン」
「……なんだ」
「何が、正解だったんだ」
「正解なんて、ない」
「俺があいつと戦ったことも」
「そこまで計算できる程、器用ではない」
「そっか」
「だが、彼はこの戦いに変化をもたらす」
「俺も、そうだと思う」

 きっかけが必要なのだ。この戦いを変える、何か。これまでと同じように戦っていては、何も変わらない。わかっている。
 海斗は茫然と空間を見つめる。幸い、死者がいないことが救いだ。だが、釈然としない。何を持って勝ちとし、負けとするのか。人生と同じだ。何が正しくて、何が正しくないのか。そんなことは、自分が決めるしかない。理解はできても、まだ脳内が処理できない。
 客観的に見れば、今回の戦いは敵を追い払ったのだ、勝ちと見ていい。
 だが、この勝利が正しい勝利なのかまでは、海斗にはわからない。
 
「なあ。この勝ちは、正しいのかな」
「さあ、な」
「正しいって、言ってくれよ」
「誰かにそういって貰えなければ確信できないのは、弱さだ」
「……でも、やっぱわからないんだ」
「私にだって、わからない」
「でも、正しいと言ってくれ」
「……、」

 カノンが珍しく躊躇う。いつも、道を示してくれるのに。
 海斗とカノンが、向き合う。誰だって不安だ、そんなこと、分かっているのだ。それなのに、誰かを頼らなければヒトが生きられない。脆い。魔族だってそうだ。ヒトを殺すという環境に依存しなければ生きられない。
 それが本当に正しいのか、この戦争の根本が正しいのか、カノンにだってわからないのに。
 答えがわからないことは、怖くて堪らない。いつだって自分にとって正しいことをしていたいから。過ちを犯してしまうのは、人生にとって無駄であると思ってしまうから。

「正しいよ、この戦いは」
「……うん」
「無駄なことは、何もない」
「……カノン。あいつ、今にも死にそうなくらい細かった」
「……彼も戦争の犠牲者だ。殺さなかったことは正しい」
「でも、あいつに彩愛は殺された」
「その憎しみをぶつけずに、お前は理性を保った」
「どうしたらいいのかな」
「今は、生きろ」
「……、うん」

 誰にも、正解などわからない。そうやって皆、生きていく。敵も、自分も、身内も、生きるということはつくづく自己満足だ。
 そこから言葉は続かない。続けられなかった。艦内はただただ、喧噪に包まれていた。


 ◇


 頭痛がすると言いたげに、エリオットが後頭部を摩る。慌ただしい一連の流れが終わり、食堂で金曜日のカレーを食べているところだった。
 海斗にロウ、カノンにエリオットという異色のメンツが固まったテーブルは、周囲から一目置かれていた。座った瞬間に、「おい、これどんなメンツ?」とロウにひそひそと耳打ちをされたのは記憶に新しい。
 あまり好きではないらしい福神漬けを皿の脇によけるカノンをしり目に、海斗はエリオットの心配をする。

「どうしたんすか」
「え? ああ……ちょっと、使い過ぎちゃって」
「頭を?」
「霊力。俺らは霊力を使って人間達よりエインヘリアルの性能を引きだせるんだ」
「ああ……」

 シュレリアが以前、霊力を使いすぎて、メディカルルームに運ばれたのを思い出す。海斗自身、天族の持つその特殊な力にいいイメージはない。
 うつらうつら不安定なエリオットが、危なげにカレーを食べる。

「大丈夫なんですか、休まなくて」
「ああ、大丈夫……そんなに大量に使わなければ」
「ふーん」
「……霊力なんぞに頼るからそうなる」
「皆カノンさんみたいに、霊力を使わないで戦える天才じゃないんですよ」
「訓練が足りん」
「カノンさんレベルで働いたら死んじゃいますって。逆にカノンさんは、強すぎて訓練をサボってもいいくらいですよ」

 カノンなりの気遣いなのだろうが、如何せん彼が言うと嫌味っぽい。この男が窮地に追いやられるのはあまり想像できない。
 エリオット曰く、使いすぎなければ問題ないらしい。海斗達は天族ではないから、感覚があまりわからない。海斗が使うものなんて、ない頭くらいだ。
 同じ身体を持ちながら、つくづく不思議な生き物だ。怪我等をしても彼らは治りが早い。それも、霊力によるものらしい。

「それって、いっつも使ってるんですか?」
「いや、俺はいつも使わないようにしてるよ。皆がどうかは知らない……。海斗くんも知ってると思うけど、天族にとって霊力はもろ刃の剣だから」
「……それは」
「でも、使わないと危ないような局面になったら使うしかない。エインヘリアルには、人為的に霊力を消耗することで、機体性能を底上げしてくれるシステムが登載されているんだ。シュレリアさんみたいに本来機体の操縦があまり得意じゃないヒトは、そのほとんどを霊力で賄っているみたいだけど」
「お喋りがすぎるぞ、エリオット」
「あ、すいません」

 カノンがエリオットの話を止める。シュレリアの話題が上がって、彼女が前線にいることをあまり快く思っていないのは海斗だけではない。カノンにとっては妹が命を削って戦っているのだ、食事の最中にしたい会話ではないだろう。しかし。

「それって……」

 海斗の機体に積まれているものと同じだろうか? だが、海斗は天族ではない。どういうことなのだろう、カノンに目線をやる。
 あまりこの話題は好ましくないようで、福神漬けだけを残し、空になった皿を手に、カノンが席を立つ。
 カノンの神妙な面持ちが、なおさら海斗に不安を産む。

「あれ、カノンさん、福神漬け食べないんですか」
「甘い物と辛い物を混ぜられるのは嫌いだ」
「じゃあ俺にくださいよ」
「……理解できんな」

 エリオットが、スプーンでカノンの皿から福神漬けをすくう。上司から福神漬けを貰うという度胸のある行動ができるのは、エリオットくらいだろう。一見大人しそうな顔をしておきながら、彼はやることが絶妙に普通のヒトとはずれている。
 声をかけようとしたが、そのままカノンは言ってしまう。
 また、大事なことを聞けなかった。

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