二章



 ◇


 今日は椅子の調子が悪い。そろそろ新しい椅子に交換するとしよう。
 カノンは、執務室で残った事務処理を行いながらモニターを見る。海斗と魔族の少年の殴り合いが終わったところだった。

 執務室、といいながらここはカノンの城だ。ブリッジのコントロールをこちらに回せるだけでなく、世界中の情報を得られるスーパーコンピューターを備え付けてある。
 代わりにオペレーターや有能な准将殿はいないが、それは己がこなすとする。
 執務室はいわば、この艦の第二拠点だ。その気になれば、一人でこの艦を動かせる。そのためには延々と椅子に座る必要があるため、非効率だが。
 遠巻きにコーヒーを飲みながら、他人の殴り合いを見つめるのは流石に良い気分ではない。海斗が魔族の少年に遭遇してしまうのは想定外だった。だが、このきっかけで魔族にも何かが芽生えるといいのだが。
 しかし、海斗は相当殴られていたが大丈夫だろうか。

 近頃の戦いで魔族の動きが変わり、カノンにとっても新たに戦争を新たに分析する機会になった。そうしてわかった内容がいくつかある。

 まず、技術の進化。以前ではレーダーで捕捉できた敵機を、捕捉できない程の精密な技術。魔族が自ら編み出したとは考えにくい。軍の中で誰か技術を提供している者がいる。

 次に、王の話。魔族の者は口々に“王”の指示だと話す。魔族や魔物の王、中心人物。カノンは以前、戦いの中で魔族と交流を図ったことがある。一見すると魔族の王はヨルムンガンドに見えるが、ニブルヘイムには魔族を産み出した真祖が存在する。王は当然ながら感情と知性を持ち合わせており、魔族を統率している。
 この内容は十五年前の機密事項なので、知っている者は極わずかだ。

 三つ目、魔族の目的。仮に王の指示だとしたら、魔族の狙いは本当に食事なのだろうか。こちらをおびき出すような動きもしていたことから、単に魂の食事が目当てと決めつけるのは早急すぎる気がする。そうだとしたら、執拗に戦艦を狙う意味がわからない。
 そして魔族達は何故か、ベルセルクを探している。

 最後に、世界の意志。世界の意志とはつまり、この世界を管理するユグドラシルの意志。そのユグドラシルが世界に創り出したのが、ALIVEシステムだ。かつてカノンが一度起動させて以来、何の反応も示さなかったシステム。それが今になって、仮想段階のシステムで海斗に反応を示した。
 ユグドラシルは、この世界は、何を意図してシステムを動かしたのか。まさか、たった一人のヒトを英雄にでも仕立て上げるつもりか。

 分析した内容を踏まえ今後の身の振りを考えた際に、カノンにひとつの疑問が浮かんだ。今自分が魔族の目の前に現れたら、どんな反応を示すのだろう。
 彼らに本当に和平の意志があるなら、何故この艦を攻める?

 片手でカタカタと手元のキーボードを操作し、艦内コントロールを掌握する。
 シャッターで道を作ったり、さえぎったり。神様にでもなった気分だ。神などいないのに。
 神になど、なりたくもない。自分の采配で他者が思う通りに動くなど、気持ち悪い。
 そろそろ到着するだろうか、仕事用のモニターを落とし、必要なデータは小型のディスクに焼き映す。

 画面に映った文字の羅列や図形が彼らにキチンと届くかは、これからのカノン次第だ。全てはこの一瞬にかかっている。固唾を飲む。ヒトなのだから、緊張だってする。その緊張すら、心地良い。
 目を閉じる。死ぬか、生きるか。無論、死ぬ気はない。相手の話だ。もし感情の欠落した相手であれば、容赦なく殺してしまう。

 恰好付けて天井を仰ぐ。滑り出した扉が、ヒトの来訪を告げる。招いた客は対応するのが筋だ。
 こんにちは、というつもりはない。こういう時、なんと挨拶をするべきか。もっとそれっぽい言葉を考えておけば良かった。
 カノンが何かを言う前に、魔族の少年が、緊張した面持ちで呼吸を整える。待ってやろうではないか、カノンの方が権力という暴力を持っているのだから。
 執務室にやってきたのは、以前エインヘリアルを通して戦いで刃を交えた者だった。

「……あんたが、司令か」
「だとしたら」
「……動きを封じさせて貰う」

 魔族が銃を構える。髪に隠れた片目は怯えている風にも見え、儚い。ここまでくるだけで、相当な気力を使ったようだ。
 それもそうだ、敵の艦に独りで突撃するなんて、普通であれば考えられない。対した度胸だ、称賛に価する。だが、そこまでしてリスクを冒す理由がわからない。全てを見通せるカノンからすれば、扉が開いた時点で敵を撃ち殺すことができる。

「拘束してどうする?」
「……お前が知る必要はない」
「それで、私を撃つのか」
「もう一度聞く、あんたが司令か」
「いかにも、私がこの艦の……第一師団の司令、カノン・グラディウス少将である」
「ベルセルク……!」
「君達にはそう呼ばれているな」

 音を鳴らし、弾丸がカノンの頬を撫でる。壁に小さな穴をあけ、弾は動きを止める。腕はいい、だが、自制が足りない。
 少年の手元はがたがたに震えていた。今まで何人もヒトを殺してきた癖に、カノンを撃つことに、恐れを抱いている。蛇に睨まれた蛙の如く、銃撃を放った彼は、銃を構えたまま動かなくなってしまった。

「どうした、もう撃たないのか」
「……、」
「何を恐れている? 生きたまま私を捕虜にしたいのだろう?」
「挑発しているのか」
「いいや、話をしているのさ」
「話……だと!?」
「……君、名前は」
「……ディース」

 さらに、銃を構える手元がぶれる。カノンの行動が読めないと言いたげだ。
 カノンがゆったり、椅子から立ち上がる。今なら、どんなにいい生まれの王族よりも美しくヒトを殺められる。甘くしなやかに、いたぶるように。
 ベルセルク。一種の殺人鬼なのだ。笑いながら、感情を殺して、死という楽園へ誘う。だが、それをカノンの意志は良しとしない。
 今目の前にいる彼こそが、魔族にとっての救世主になるかも知れないのだから。

「ディースくん、この戦いを終わらせる気はあるか」
「あんたを撃てば、ここで終わる」
「なら撃てばいい」
「そ、れは」
「撃ちたくても撃てない理由があるのだろう?」
「……っ!」
「君個人は私を恨んでいるが、どうしても私を生かす必要がある」
「だったら、なんだ」
「今は何も終わらない。私をここで撃とうと、他の誰かが復讐に行く」
「あの臆病者とかが、か」
「もっと大勢だ」
「随分人気者のようで」
「そうでなければこんな仕事はできんのでな」
「何が言いたい」
「無意味な殺し合いが産むのは憎悪だ」
「お前が……それを言うのか!」
「ほら、実際に君が感じているだろう?」
「……!」

 嫌な、言い方だと思う。無意味にヒトを挑発して、苛立たせる。もっと穏便に、ことを進めなくては。
 カノンは自嘲した笑みを浮かべ、少年に歩みを進める。見た目は少年だが、実際は海斗よりも長生きだろう。魔族は天族に似ている。歳は重ねても、見た目が変わらない。
 広い執務室の中で互いの距離が二間程、カノンは歩みを止める。パーソナルスペースというものがある。あまり近寄っては警戒されてしまう。
 近寄る間もディースは銃を下げることはなく、しかし撃つこともなかった。何か考えてから、必死に言葉を紡いでいる。健気なことだ。

「あんたに、何人殺されたと思ってる」
「それを、君達が言うのか?」
「何を、」
「君達も生きるためと称し、私達の同胞を殺しているではないか」
「そんなの、仕方のないことじゃないか」
「自分達にとっては仕方のないことで、私達が行うのはおかしいと?」
「そんなこと、一言も……」
「いいや、思っているだろう? 仕方のない犠牲だと」
「……違う、」

 生きるためには仕方ないと。だから、殺すことは仕方なくても、殺されることは許せない。屁理屈だ。
 自分がやられることは嫌で、自分が行うことは良い。誰もが感じる当たり前の感情。それを、魔族は持っている。ヒトと同じ感情を持っていながら、疑問を抱かずにひたすらに湧き出る想いに素直に従っている。
 感情があるなら、知能だってある。会話ができるのが証拠だ。この戦争は、止められる。

「私は、魔族との和平を望んでいる」 
「正気か、お前」
「正気だとも」
「嘘だ」
「嘘は嫌いだ」

 柔和な笑みを浮かべる。相手から見れば、カノンは相当胡散臭いペテン師だ。
 おもむろに、胸ポケットからカノンは一枚のディスクを取り出す。コンパクトなケースに入った、手のひらに収まるサイズの銀色のディスクは、含み笑いを浮かべるカノンの表情を鮮明に映す。
 爆弾だとでも思ったのか、ディースは妙に警戒をする。
 敵地だ、無理もない。警戒を解くよりも早く、カノンはことを進める。こういう場面は、畳み掛けたほうが上手くいく。

「これを」
「……それは?」
「データだよ、天界……ヴァルハラのね」
「あんたの拠点じゃないか」
「そうだ」

 ヴァルハラ。天族の故郷とも言える場所。軍の拠点、統括。情報を売る。味方にこんな奴がいると知れれば、首が飛ぶ。
 今は、首よりも惜しい世界がある。仕事なんて探せばいくらでもあるが、世界は一つしかない。その世界を守るための行為なのだ、ユグドラシル、世界の意志も許してくれよう。
 魔族は、無知すぎる。無知な者には、必要な知識を教えねばならない。天族がどう行動にして、どのようにこの世の不条理を壊していくのか。天界のことなどより、この先に興味がある。間違いなく、天族の形作る未来よりも後腐れがなく、ヒトの未来のためだ。
 ディースがいよいよ混乱し、視線をちらつかせる。空気を命一杯吐き、吸う。上下に揺れる肩は、可哀そうな程華奢だ。

「味方を売るのか」
「味方? 冗談、私は奴らを味方だとは一度も思ったことがない」
「種族を裏切るのか!」
「種族など関係ない、私はヒトだ。そのヒトの命を、命とも思っていないのが天界……ヴァルハラに済む天族主義者さ」
「天族、主義者?」
「そうだ。天族こそ神だと謳い、他を顧みない愚か者たちさ」
「そいつらのデータなんて、俺達に渡してどうする」
「君達のリーダーと交渉したまえ。勘違いするな、魔界の王の話をしているのではない、あくまでもお前達のリーダーだ」
「何を……俺達の何を知っている」
「少なくとも勢力は二分しているな」
「……!」
「私が望むのは和平、対話だ。戦いではない」
「俺達に、何をしろと……天族主義者とやらを殺せというのか」
「私達も君達も、全ての者が平和に暮らせる世界の実現を手伝ってほしい」
「そのためには、下克上すらすると」
「するな。権力など、挫く」
「ご立派だよ、あんたは……でも」

 恐怖に打ち勝とうと、震えたディースが銃口を定める。言葉は届いているのだろうが、迷いが見える。突然敵の将校にこんな話をされては、信用もできないだろう。重々承知だ。
 ならば、戦いを求めるものには、それ相応の返しをしなければならない。戦士ならば戦士らしく、迷って決めろ。
 カノンは目を細める。見透かしているのではない、見定めているのだ。ディスクを、一度しまう。必要なものを見えなくし、曇っている眼を今は絶つ。

「剣を抜け」
「……!」
「その迷いを断ち切る」
「ふ、ふざけるな」

 カノンは右腰にぶら下げた剣を抜く。厳か過ぎず、シンプルな装飾で扱いやすい左利き用の騎士剣はよく研がれており、辺りの景色を反射した。眩い剣の先端はディースに向けられる。
 彼も銃を捨て、右腰にある短い剣に手をかける。左利き、同じだ。柄を握っただけで、彼の手は怯えて剣を抜かない。かたかたと、小刻みに動き、吐く息を細くさせる。

「怖いのか?」
「……!」
「ならば死ね」
「く、くそっ……!」

 優雅に持ち上げられた騎士剣が、ゆるやかにディースに振り下ろされる。怯えを超え、死への恐れが勝った手が短剣を抜く。
 カノンの剣を頼りなく受け止めたものの、短剣はいとも簡単に切り返され、弾き飛ばされる。
 後退しながら「あ、」だとか「う、」だとか戦く目の前の小さな生き物に、カノンの興が一気に削がれる。虐めすぎたか。
 闘気を奮い立たせるためか、拳を握り必死にこちらを睨むディースに、カノンはディスクを投げ渡す。
 自分の背丈よりも高い位置に飛んできた薄い媒体に目を見開き、ディースはそれへ懸命に手を伸ばした。汗でぐしょぐしょに湿った手に握られたそれは、今度は呆気にとられたディースの顔を映した。

「なんで」
「つまらん、殺すに足りん」
「弱いからか」
「違うな、もがいているからだ」
「もがく?」
「自覚がないのならば、自分のことをもっと勉強してから私に挑め。死にたくなったら私の元へ来い、その時はその首をはねる」

 靴底を鳴らし、言うことだけ言ってカノンは椅子に座る。
 自分の命があることに安心をしながらも、勝てないことを察したディースは、じわじわ後退する。この場にいては、己がすり減るだけだと判断したのだろう。
 何か言いたそうな顔をしているが、適切な言葉が思いつかないと言った風だ。
 少しだけ、ヒントをやろう。頬杖をついたカノンは、退屈に言葉を発する。

「……その中には、生きるための術が蓄積されている」
「術……?」
「ハッピーエンドの素さ。それを捨てるか捨てないかは、君次第だ」
「……信じられない」
「それも、君次第だ」
「信じなかったら」
「知るか」
「……そう、だよな」
「もう一つ、教えてやろう。天族主義者達は、地底に核を落とす気だ」
「なっ……!」
「私は、その前に奴らを止めたい。そして君達の現在の正確な情報が欲しい」
「信じていいのか」
「何度も言わせるな」
「……俺は、あんたは信用しない。だが、情報は信用する」
「好きにしろ」
「今回は、このままトンズラしてやる」
「懸命だな」

 あくまでも負けたという事実を認めない少年に、カノンは冷笑する。執務室から逃げるように去ったディースへ、細やかな未来を託した。
 さて、後は彼が逃げやすいルートを作ろう。まずは和平のための一歩として。

15/18ページ
スキ