二章
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艦内のシャッターがあちこち降りる。通路を塞ぎ、退路も塞ぐ。シャッターと通路がひたすらに海斗達を導く艦内は、空の迷宮だ。途中で道が二手に分かれたので、海斗とエリオットは二手に分かれて進むことにする。
心配はいらない。無線は繋がっている。互いに音声で場所を確認し合いながら、進む。じりじり、忍び足とでも言おうか。慎重な足取りで、待ち受けているだろう敵を警戒する。
このルートは、記憶が正しければ、執務室に着く。執務室、まさかとは思うが、今は戦闘中だ。カノンがいる訳がない。
そうは思うのだが、何せカノンだ。興味本位で獲物を探して、艦内をふらついている可能性だってある。優しさを携えながらも、戦いとなれば容赦のない男だ。侵入した奴は殺されてしまうかも知れない。
そう思う辺り、海斗もカノンの本質を徐々に理解してきているのだろう。
銃を構えながら角を曲がる。前方に、いつか感じた気配。息を呑んで、声を荒げる。
「止まれ!」
「っ!」
咄嗟に目の前の獲物が動くので、海斗は銃を発射する。下手な射撃の腕では的に当たらず、海斗への接近を許す。
「あっ」なんて驚きの声を漏らしている間に、海斗の手元に敵の蹴りがヒットし、握られていた銃は遠くへ飛ばされる。反撃に拳を握りしめると、今度は顔面にパンチが飛んできた。
どうしてこう、どいつもこいつも騎士道精神とか、優しさが足りないんだ。これが日曜日の朝に放映されている戦隊ものなら、もう少し格好つけさせてくれるだろう。
勢いで壁に吹っ飛ばされた海斗は、鈍い痛みに呻き声を上げる。壁がマシュマロだったら柔らかかったのに、現実は鉄壁でただただ残念だ。
「お前……! この艦の人間だな!」
「だから、何」
「……! その声……あいつか!」
「そっちこそ……いつぞやの、俺のストーカー」
「はっ、ヒトを殺せない臆病者が何を言うか!」
前髪を左目で隠した、少年。間違いない、ディースだ。戦場で会うのは、これで三度目だろうか。海斗は殴られた右頬をぬぐう。痣になったらどうしてくれる。
ディースがいつの間にか銃を構えていた。海斗の眉間に狙いを定め、すぐにでも楽にしてやると言いたげだ。今は銃口よりも、たった一人の信頼するヒトが殺される方が、怖い。
だが死ぬ気はない。
「ベルセルクはどこだ」
「教えないよ」
「殺されたいのか?」
「違うね」
「はっ……!?」
気を抜いたディースに、体当たりを仕掛ける。こんなところで死んでたまるか。床に華奢な身体を叩きつけ、取り押さえる。
「今さら怖くなくなったってか」
「怖いけど、まだ夢の続きがみたい」
「夢なんて知るか、俺達は夢を見る暇すらない!」
想像以上に細いディースの腕は、満足に食事をとっているのか心配になる。そうか、彼らはまともな食事などとれない。何せ、魂が主食なのだから、それを食べられない彼らはやせ細っていて当たり前なのか。はっと気づき、手がゆるむ。
しゅるり、ディースは海斗の腕から抜け出し、再度拳をふるう。これではごろつきの喧嘩だ。
「こなくそ! 天族も人間も死んでしまえ!」
「ああもう、また暴力かよ!」
「うるせぇ!」
「辛くはないのか!」
「辛いに決まってんだろ! だから戦う!」
「余計に辛いだけだ!」
「だから戦うなと!? この甘ちゃんが、お前の司令の方がまだ骨がありそうだ!」
「カノンのことか!」
「そういう名前なのかよ、ベルセルクは! 女みたいな名前をしやがって!」
「なにを!」
自分のことを侮辱されたわけでもないのに、無性に腹が立つ。終わらない殴り合いは次第にエスカレートし、艦内の警報がゴングにすら聞こえてきた。どちらが倒れるか、意地の張り合いだ。
いい加減に視界が揺らめいてきたところで、足元に銃弾が着弾する。顔を上げて、銃の軌道を辿った。エリオットが几帳面な持ち方でディースを狙い、鋭く威嚇する。
「海斗くん!」
「中尉!」
「ちっ、」
増援が来るだけで安堵が募る。海斗がほっとしたところで、ディースはよろめいていた足元を急に加速させ、前方へ駆ける。どこにまだ体力が残っていたというのか。
「待て!」
「はっ、お前との勝負はお預けだ! じゃあな、“海斗くん”」
「あいつ……!」
追いかけようとして、シャッターが二人の道を塞ぐ。ガシャン、激しい鉄の音は騒がしい場所を一気に閉じ込める。
ディースは、もういない。目の前にあるのは鉄の扉だ。
茫然としてシャッターを見つめる。心配したエリオットが海斗に駆け寄り、優しい手つきで背中を撫でる。
「海斗くん、怪我は」
「……見ての通りです」
「ぼこぼこじゃないか」
「ほとんど、俺が殴られてた」
「サンドバックだね」
「まさしく」
「あんまりやり返さなかったでしょ」
「だってあいつ……痩せこけてて」
「……多分彼、君のそういうとこ、気にくわないんだよ」
どうしようもない言葉を交わしてから、解決策を考える。運動をした後の海斗には、考える元気はない。今後の動きは、頭の切れそうなエリオットに任せる。
ディースのことをぼんやり考える。貧困、とはよく言ったものだ。今時スラム街の貧民だってもう少しふくよかだ。食べ物がないとは、どんな気分なのだろう。
考えたこともない。食べ物がなければ、この地上では人権もない。誰かを殺さなければ、何も食べることが出来ない。
海斗がその立場になったら。もし海斗や、海斗の大切なヒトが同じ立場だったら。同じように、誰かを殺めてしまうかも知れない。
恨むのが楽なのだろう。だが、恨めなかった。敵だから、なんて安直な理由で恨めなかった。
だが、情けはかけられた側からすれば不快だ。可哀そうに、大変だね、なんて。当事者でもないのに。
海斗なら、腹が立つ。劣等感だ。ヒトは単純じゃない。辛い立場にいることを、改めて理解させられるのだ。しかも、同情されたからと言って、何が得られるわけでもない。
そう、問題は戦争という体裁ではない、ヒトの心なのだ。先を見る。足掻いても埋まらない、溝。
あの先は、執務室だ。どうも、人為的に艦内が操作されて、誘導をされている気がする。ならば、海斗とディースが今こうやって言葉を交わしたことも、仕組まれていたことなのか。違いない。大胆で不適な男だ。こちらの心配も知らないで、敵と対話でもする気だ。
カノンなら、どう考えるだろう。皆、考えが違う。希望に託し、カノンへ祈った。どうか、彼を殺さないでくれ、と。