一章
◇
赤いエインヘリアルが、遠巻きに加速する機体を視認する。無駄に速度を上げ、海上を勢いよく飛んでいく。囮にでもなるつもりか。いや、違う。策があるようには見えない。
しかし、あの機体は量産機のカスタマイズ型、つまり小隊の隊長機だ。腕が立つ者が乗っているはずなのだが。カノンの眉間に皺が寄る。
「エリオットか?あんな動きをしていた覚えはないが……」
機体に通信コールが入る。艦からだ。応答をすると、電子映像が浮かび上がった。こちとら忙しいというのに。映像には千怜が先ほど以上に焦った表情を浮かべている。今度はなんだ。カノンの口から溜息が漏れる。
『カノン少将!』
「どうした」
『すみません!私が目を離した隙に……』
「今は戦闘中だ、要件だけ頼む」
『新入が一人、機体を盗んで出撃を……』
「何……!?」
目を見張る。新人がこの戦闘に参加したと。しかも、他者の機体を盗んで。まさかあの無駄な動きのある機体は。先ほどの機体の方向に、自機を向ける。
「そいつの名は」
『赤羽……海斗です』
「入口の者は何故止めなかった」
『まさかこんなことになるとは、と……』
「はぁ……状況は理解した、こちらで対処する。後、エリオットには事態が収束次第、執務室に来るように伝えろ」
通信を切り、カノンは頭を抱える、赤羽海斗。ただでさえ引き取りたくなかったのに、自ら面倒を見なければならないとは。
それにしても、エリオットも中尉でありながら機体を盗まれるとはいかがなものか。後で言い聞かせなければ。
嘆いても現状が変わるわけではないので、気を引き締める。今は事態の収束が先だ。味方の誰も死なせず、効率的に戦いを終わらせる方法は何か。即座に思考を巡らせて、カノンは機体を動かした。
あの新人は、もう少し様子を見よう。
◇
敵を振り切る。誰も追ってはこないので、海斗は胸を撫で下ろす。辺りを見渡し、戦況を確認する。何を討てばいい。どうすればこの戦いを収められる。
前方に、魔物が見えた。水中で存在を主張するそれは、蛇のように長ければ、サメのような顔にも見える。あれを討とう。映像で見た魔物は三。うち一体でも倒せれば対したものだろう。
左腕に付属されたライフルを構える。実弾式のライフルだ。果たして効果はあるだろうか。
ライフルのトリガーを引くと、クラッカーの何倍もうるさい音を鳴らし、火薬を孕んだ鉄の弾が飛ぶ。弾は魔物の鰭に当たり、海の中から巨体が姿を現した。
化け物が、痛みを訴え身体をくねらせる。揺れる魔物に合わせて水が跳ね、辺りに小さな雨が降った。痛みを与えただけで、傷にはなっていない。
無駄に刺激しただけのようで、こちらへ向かってくる。どうやら実弾では上手くダメージを与えられないらしい。巨体が再度、海に潜る。
乗っている機体のオペレーションシステム、通称OSを使い、魔物に傷を負わせられる武器を探す。パソコンのキーボードに似たボタンを叩き、表示内容に目を凝らす。
バックパックにビーム性の槍が内蔵されているらしい。操縦桿横のボタンを操作すると、カシュ、と音を鳴らして機体の後ろから重い棒が外れる。右手に取ると、勝手にビーム状の刃が出てきた。オートシステムか、便利だ。
「俺、槍って得意なんだよな」
くるり、槍を回す。向かってきた魔物に向かい、振り下ろす。大口を開けて海斗を喰おうとしていた顔に、痛々しい傷が出来る。顔は面が厚い。切るなら腹か。
反撃に魔物から触手が伸びる。左肩部に当たり、装甲に傷がつく。いや、恐らく触手ではなく髭か。
鞭の如くしなる髭の先端は、鋭利に尖っている。機体を貫かれたらひとたまりもなさそうだ。
髭を槍で切り落とす。突くものである槍で切るのはいかがなものか。今度は本体が海から現れる。口を開いたと思えば、勢いよく液体が吐きだされた。
「うわっ、きったね!」
回避が少し遅れた。機体のスラスターの羽が溶けている。溶解液だろうか。つくづく魔物というのは人知を超えた存在だ。
しかし、本体が身体を出しているお陰で急所が丸見えである。蹴りを付けるため、一気に距離を詰める。柔らかそうな腹部に槍を一刺し。
魔物がおぞましい悲鳴を上げた。刺したまま上昇し、機体よりも大きな身体を切り上げる。血が吹きだし、魔物の巨体がゆらめく。
魔物もヒトと同じで、血は赤かった。海面に叩きつけられた身体は盛大に水しぶきを上げ、ゆったり、沈んでいく。
「……やった」
倒したのだ、魔物を。できると確信する。自分は、この戦場で戦える。
次は、と目標を変えると、魔族の乗るエインヘリアルが再び迫ってくるところだった。敵はライフル銃を構え、闇雲に撃ってくる。ここで引けば街に危害が出る、食い止めなければ。
予め右腕に装備されている盾を構え、銃弾を受け止めた。着弾し、爆発した勢いで煙が上がる。煙幕弾だろうか、前が見えない。
先ほどまで自信満々だったが、やはり実戦は難しい。特に対人戦は予測が出来ない。状況を確認しようと防御態勢を崩すと、目の前に敵機。
「嘘、」なんて呟いているうちに、海斗共々機体が蹴られ、勢いよく弾き跳ばされる。
港に泊まっている戦艦の主砲にぶつかり、機体にも衝撃が走る。立て直さなければ。機体の頭を上げて、再度敵機を捕捉する。すぐに迫ってくる。もたもたしていられない。
槍は跳ばされた時に手から落ちたらしい。他に武器は。慌てて自機の肩部から小型のハンドガンを取り出し、構える。これでコックピットを打ち抜けばいい、殺傷能力は充分ある。敵機に標準を合わせる。後は撃つだけで――
「あ、れ……」
手が震える。小刻みに振動し、操縦桿を上手く握れない。もうすぐそこに敵機が迫っていて、撃たなければ殺されるのに。息が苦しい。
そうか、ヒトを今から殺すのだ、自分は。あれは魔物じゃない。ヒトの形をしている。魔族であれど、あのエインヘリアルにも、自分と同じ生物の形をしたヒトが乗っている。感情がある。意識がある。知能もある。自分と何も変わらないではないか。
自覚した瞬間、急に怖くなる。初めての感情。ヒトを殺す恐怖。
……嫌だ。これが、軍人になるということか。士官学校での訓練とは違う。 殺すか、殺されるかだ。敵機が剣を構え、振り下ろす。
もう駄目だ、死ぬ。目を瞑り、体を強張らせた。
――ぐしゃり。
嫌な音が辺り一帯に響く。鉄が貫かれる音。それから、液体が溢れる音。自分ではない。目の前のエインヘリアルからだ。
何て残忍なのだろう。魔族が操っていただろうエインヘリアルは手足を切断され、もう何もできない状態だ。
敵のコックピットは長い剣で貫かれている。剣の先からは赤い液体が滴り落ち、戦艦を汚した。剣が薙ぎ払われ、エインヘリアルであった鉄の塊が海に投げ捨てられる。
赤い、機体。赤をベースに白いライン、金の装飾が施されている。バックパックが悪魔の羽のように広がり、天族が乗っているとは言い難い。
しかし、こちらを攻撃してこないことから、味方と推測できる。肩の装甲に第一師団のマークが見える。間違いない、味方のはずだ。
返り血のような色合いの目の前の機体に、吐き気が出る。この機体は、今、ヒトを殺した。
恐怖。泣きそうだ。こんな事態、覚悟していたのに。海斗は恐怖と悔しさに打ちひしがれる。
音声通信が入る。目の前の機体からだ。コードは――「Canonn」、カノン。そうか、この恐ろしい機体は――
『貴様、ヒトを殺せないのか?』
冷えた声が、海斗の鼓膜を揺さぶった。