二章
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勇者は剣がなければドラゴンを倒せない。だが、カノンは違う。剣は必要ない。否、心の刃を持っている。本当に必要なのは武器ではなく、心の方だ。戦争はいつだってそうだ、弱気になった方が負ける。
逃げ出そうとした癖に、海斗は艦に戻った。事実はカノン以外、誰も知らない。
本当は逃げ出したかった。だが、カノンの心の光に負けたのだ。もう一度、やってみようと思った。折れてしまった気持ちに接着剤を塗り付けて、踏ん張る。
海斗は自室に入ろうとして、立ち止まる。もごもご手を動かしてから、決心して扉を開ける。
たった数時間留守にした部屋は随分と長いこと空けていたような気がして、他人の部屋にすら見える。
実際はやっぱりどう見ても自分の部屋で、くしゃくしゃのシーツの脇にゲーム機が投げ出されているのが何よりの証拠だった。
誰もいないが「ただいま」と呟くと、後ろから「おかえり」なんて誰かがレスポンスする。振り返るとロウがいて、気色の悪い笑みを浮かべていた。
「いたのかよ」
「さっき戻ってきたとこ、ぴったんこかんかん」
「あっそ」
「……お前、何か吹っ切れた?」
「え?」
「あ、少将さんと何かあったのか! デート?」
「ばっ!」
馬鹿野郎、と言おうとして海斗は動揺してしまったものだから、ロウはさらに海斗をからかった。
本当にデートなのかと問い詰められて、腹が立ったので床に投げ出された漫画を投げつける。お茶らけてそれを避けると、ロウは海斗の肩に腕を回してお日様のように笑う。
思えば、この笑顔も久しぶりに見たかも知れない。ロウにも心配をかけてしまった。
「元気になったみたいで、良かった」
「ん。なんか、ありがとな」
「え……?」
今まで世話になった分、礼を言う。すると、驚愕の顔をしたロウは海斗の額に手の平を当てる。そういえば、彼に面と向かって礼を言ったことが、なかった。
気色が悪い、なんて表情でロウが覗き込んでくるので、海斗も対抗してロウの大き目な瞳をまじまじと見つめる。男にしては童顔だな、と今さらながら思った。女の子にはこういう顔がモテるのだろうか。
「大丈夫? 頭打った?」
「打ってない」
「だってお前、いつもごめんっていうから」
「ありがとうの方がいいって」
「少将さんが?」
「ち、違う」
「図星だ」
何時までからかってくるつもりだ。ロウの顔は百面相のようにころころ表情を変え、海斗をからかった。
つい苛立ったので、ロウを突き放す。そんなことをしても親友は面白く笑うだけで、朝も夜も関係ないといった風にベッドの上に座り、爆笑をするのだった。
海斗も真似をしてベッドに座り、ロウと共にケラケラ笑った。
好きなだけ笑って、静まる。息を落ち着けてから、天井を見た。知っている天井が海斗の中ではまだ、整理がつかなくて、ひたすらに迷いを誘う。
本当にここにいても、いいのだろうか。それは自分が決めることだと知っている。完璧に恐怖がなくなったわけではない。
答えが出たわけではないが、立ち向かおうという気持ちだけがある。小さな前進。今はそれで充分だろう、そう思い、目を細める。
ぼやっとしているとロウが海斗の視界に映り込み、海斗の真っ赤な瞳を覗いた。
「何、やっぱりここにいたくない?」
「違う、何か、悩んでた」
「未来のこと?」
「それもあるけど、自分のこと」
「……真面目だよな、海斗って」
真面目。初めて言われた。海斗自身、自分が真面目なんて思ったことがない。本来真面目とは、もっと優等生に言うためにある言葉ではないだろうか。
「真面目じゃない、自分ができることからやってるだけ」
「そういうとこ。 俺は家族のことしか考えてないから、そういう風に自分のこと考えられない」
「逆に凄いよ」
「凄くない、自分の生きる意味、見失ってるもん」
こういう時、カノンならどんな言葉をかけたのだろうか。海斗は残念ながら気が利かない。自分でそう自負している。周りがどう見ているかは知らない。自分で考えている評価と周りの考えている評価は違うから。
周りなんて、本当は気にしない方がいい。海斗にはそれが出来ない。だから気にしていない振りをする。真面目と評されても、真面目ではない振りをする。いつだって他人の目が気になる。怖い。
ロウは自分のことをしっかり考えたうえで戦っている。他人のことを考えられるヒトは、自分のことをきちんと考えている。それに、気付いていないだけ。ロウにはそこに至るまでの、自分自身を積み重ねる過去がある。
「お前は、自分の良さに気付いてないだけだろ」
「何それ、少将さんの入れ知恵? お前どんどん思慮深くなってくな」
「やめろよ、元からだって。からかうな」
「めんご」
元気づけるためか、ロウが海斗の横に腰を下ろす。しばらく足元を眺めた後、下世話な話をして、足をぱたぱたぶらつかせる。
何だと問いかければ、今度は辛気臭い顔で壁に貼ってあるポスターを眺めた。ロウのお気に入りのアーティストだ。グラマラスな体型は、健全な男子であれば確かに好きそうだ、と頭の隅で考える。
「なあ、俺な、本当は軍人なんてやめた方がいいってわかってるんだ」
「……ロウ」
「俺の家、お前も知ってるだろ。 姉ちゃんに、妹と弟達、兄ちゃんに、母さん、もう働けない父さん……」
「……うん」
ロウの家は、大家族だった。姉が一人に、兄が一人、妹が二人と弟が一人。ロウは真ん中だ。沢山の兄妹のために母は仕事に出る毎日。父は仕事中に身体の一部を失い、治療中。姉も兄も必死に働いて、それでも家は貧乏だった。
親を、家族を助けたかった。士官学校に入って仲を深めるうちに、ロウがぽつりと話した家庭内事情。
この世界で軍人は、危険である代わりに最も給料取りのいい仕事だった。ロウの家族はどう思っているだろう。大切な家族がこの仕事をしていて、不安ではないのだろうか。
それでもこの道を選んだのはロウだ。
本音は、羨ましかった。海斗のように「操縦は自分が唯一できることだから」という不器用な理由で軍人を目指したわけではない。真っ当な理由があるから。
ただ、ロウがどう思っているかなんて、初めて考えた。想像力が足りなかったかも知れない。親友だった癖に。
しんみりした空気になって、ロウが珍しく弱音を吐きだす。誰だって、悩みはある。海斗だけではない、今はその事実が、海斗を現実につなぎとめた。
「俺さ、知ってるんだ。 この仕事で家族に心配をかけてるって」
「そう、だな」
「正直、お前が艦を降りるかも知れないって気づいた時、羨ましかった」
「気づいてたの」
「なんとなく、海斗って戦うのあんまり得意じゃなさそうだし」
「何様」
「俺様」
「……ロウも艦を降りたいって、思ってるのか」
「少し。彩愛が死んだのとか、お前が凹んでるの見て、死ぬのが怖くなった」
「やめても、いいんじゃない」
「俺がいなくなって寂しくないの?」
「前の俺だったら寂しかったかも」
以前の海斗であれば、無責任な言葉をかけてこの場に留まるよう、上手く言葉をかけていたかも知れない。今は、そんな気はない。
全てのヒトに、選択する権利があって、道がある。
ロウの背中を撫でる。背丈は同じくらいなのに、鍛えているのか、海斗より少したくましかった。なんだか悔しい。
「……お前、やっぱ最近変わったよ」
ロウがくしゃ、と笑う。一本調子な声が、どこか寂しさを誘発する。本当は、ここにいたいのかも知れないと、思った。
そう心配をした途端に、ロウの表情がころりと変わる。珍しいものを見つけたような丸い目で、海斗をまじまじと見た。
「……ところでさ」
「ん?」
「もしかして海斗って、少将さんに惚れてる?」
「そ、」
そんなわけないだろ! と顔を赤くした海斗が、ロウの後頭部を思い切り叩いた。憎まれ口を叩くロウをベッドから蹴り飛ばし、そのまま海斗は毛布をかぶった。