二章


 海斗が機体と共に格納庫から出ると、青い海と同時に火の海も見えた。倉庫は炎で焼け、港には随分被害が出ている。
 カノンを探す。港の端の倉庫に、ドラゴンがへばりつているのが見える。近寄ると鮮明に状況が把握できるようになり、倉庫の外でカノンが敵に向かって銃を構えている姿が見えた。魔物相手にたった一本の銃で立ち向かおうなどと、なんて無謀な。
 視界の脇に、炎上しているバイク。誰のものだか知らないが、心の中で礼を言っておく。

 巨大な図体がカノンの目の前に降る。誰もが恐れ慄くような瞳で、小型のドラゴンはまじまじと煙炎に棚引く月光を観察する。
 それに屈することなく、カノンは狙いを定めた。獲物を狙う彼の目もまた鋭く、空気を凍てつかせる程に冷たい。
 放たれた弾丸が、敵の右目から血しぶきを上げる。赤いシャワーが建物を、カノンを濡らす。痛みに暴れ回る幼い魔物は見境なく建物を壊し、長い尻尾でカノンを壁に突き飛ばした。
 まだ怪我を負っていない目でカノンの姿を捕えたドラゴンが、口を大きく開ける。喉の奥には赤く炎が渦巻き、今にも噴射されそうだ。
 堅いコンクリートに叩きつけられたカノンの身体は、痛々しくよろめきを見せる。逃げるという選択肢は、なさそうだ。
 好きにさせるものか。海斗は限界まで機体を加速させ、暴発しそうな敵へ体当たりを仕掛ける。ぶつかった瞬間の鈍い音が、機内にその衝撃を伝える。

「カノン!!」
「海斗……!」

 鉄の身体を押し当て、発達しきっていない敵の身体を抑え込む。ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げ、右目が潰れたドラゴンは必死に抵抗をした。
 今目の前の生物が感じている痛みは、この街が感じた痛みだ。カノンが、受けた痛みだ。

 歪んだ身体を押しのけ、開けた場所に放り投げる。重たい身体が地面に叩きつけられ、地響きが港を包む。起き上がろうとする所にすかさず接近し、右手で首根っこを地面に押し付ける。
 腕部からナイフを取り出し、左手に持つ。短い刃先でひたすらにドラゴンの喉笛を切りつけ、目の前の命を奪う。
 倒さなければ、もっと多くのヒトが傷つくのだ。義務だから行っているのではない。自分の知っている誰かが傷つくところを、もう見たくない。
 カノンにこれ以上、背負わせるわけにはいかない。ただでさえ、自分は従兄という立場で守ってもらっていたのだ。今度は、海斗が守る番だ。

 苦悶を浮かべた幼子は息の根がまだあるらしく、土煙を上げて海斗の操るニュクスを押し返す。鋭い爪の生えた手で機体に傷をつけ、やめろと言わんばかりに抵抗をした。
 頭部のバルカン砲を発射し、威嚇する。堅い拳を鱗で覆われた皮膚に叩きつけ、ナイフを心臓部に突き付けた。
 ぴしゃり、刺した瞬間、小さく噴き出した返り血がニュクスを汚す。もがき苦しむ生物の姿は、支配の終わりを感じさせた。
 吹き出るかと思った血は思い描いていたよりゆったり流れ、灰色のコンクリートをじわじわ鮮血に染める。
 小さな命が、終わった。生を感じさせた躍動感のある動きは徐々に静かになり、ぴったり止まってしまった。

 海斗は、コックピットで肩を震わせた。仕方がないことなのだ、そう。何かを守るためには、時には何かを失わなければいけない。まだ怯えている自分に、嫌気がさす。
 それでも一瞬、あまりに必死で、それを忘れてしまった。カノンを失うことが怖くて、身体が衝動的に動いた。

 カノンは、どうしただろう。機体を停止させ、海斗は外の世界へ降り立つ。血なま臭いそこは完全に戦場の焼けた香りで、むせ返りそうだ。
 港の端にあった倉庫に駆ける。かつて、ここまで焦燥感を募らせながら走ったことがあっただろうか。
 海斗は半分泣きそうな顔で、壁を背に疲れ切ったカノンを見つける。駆け寄った頃には涙腺は既に雫を流す気満々で、目が合うなり、はらはらと塩辛い液体が零れた。

「……カノン」
「遅い」
「ご、めん」
「……また泣いてる」

 疲れを孕んだカノンの瞳は、海斗をみるなり瞬きをせず、困ったように笑った。

「ごめん、俺……お前に、こんな……」
「違う」
「……ありがとう、信じてくれて」
「ああ」
「怪我、してない?」
「してない、少し痛かっただけだ」
「本当?」
「本当だ」
「……うん」

 海斗がカノンの腕を肩に回し、支え合いながら共に立ち上がる。港には遅れてきた複数のパトカーがサイレンをわんわんループさせ、赤い光で辺りを包んでいたところだった。もっと早く来て欲しかった。
 ばたばたと降りてきた街の警備員達はドラゴンの死骸に恐れ慄き、現場を清算しに来たはずなのに、まるではかどっていない。警備がだらしないから、こんな事態になるのだ。
 その様子を遠巻きに見る。二人して顔を見合わせてから、おかしいと、笑った。涙が収まったところで、力ないカノンの手が海斗の頭を撫でた。

「海斗、頑張ったな」
「……そうかな」
「まだ、あまり納得がいかないか」
「少し、怖いんだ」

 無理をして口角を上げる。優渥とした待遇に、躊躇う。
 あれから、海斗はすっかり生き物の死に臆していた。褒められる資格など、自分にはない。

「……お前の母さんも、そんなヒトだったよ」
「え?」
「どんな生き物でも、命を大切にするヒトだった。私に平和を教えてくれたのも、エミリアさんだった」
「エミリア……母さんの名前」
「ああ……信頼していた上司だ」
「……第一師団の、前司令」
「……そうだ」
「今は、母さんのことどう思ってるんだ」
「……先に逝ってしまうなんて、ふざけた上司だと思った」
「……そっか」
「お前の母さんは……立派なヒトだったよ。 私は……そんな彼女の、世界平和という夢を、継ぎたいんだ」

 高かった日はいつの間にか落ちかけていて、空は澄んだ青と黄金色のグラデーションになっていた。戦場には似合わない色だ。
 カノンの表情は憂いを帯び、夕焼けを受けては彼の内面を炙り出した。本当は、泣きたいのかも知れない。当てもない先を見つめたカノンは、海斗の頭からするりと手を下す。思い出を懐かしむ瞳は、それ以上エミリアの事を語らなかった。
 母のこともカノンのことも、もっと知りたいのに、今の海斗にはそれを聞く勇気がない。真実はいずれ掴み取ればいい、今の海斗にできるたったひとつの選択は、覚悟を決めることだ。
 カノンを守れるように、いつか過去や己と向き合えるように、大志を抱く。

「ねえ、カノン」
「なんだ」
「俺も、母さんの夢を継げるかな」
「……そうだな」
「今は、まだ怖い……でも、もう逃げたくない」
「いいのか、お前にとっては辛い道になる」
「いけるさ、カノンと一緒なら」
「……はっ、私はお前の案内人か」
「違うよ」
「どう違うんだ?」
「言っただろ、運命だって」
「はっ……はは、」

 いつも先を行くカノンに、始めて、仕返しをした。すると、いつもなら否定するだろうに、カノンは呵々大笑して見せたではないか。

「それなら、偶然ではないと私に証明して見せろ」
「上等」
「それから、言わなければならないことがある」
「なに」
「……おかえり、海斗」
「……ただいま、カノン」

 本当に欲しかった、一言。海斗は初めて心から、「ただいま」という極めて簡単な言葉を口にした。
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