二章


 外を見る。ビルが立ち並ぶ景色の中から、子供の竜が休日を謳歌するように舞う姿。時折口から放たれる熱い炎が路駐した車を焦がし、羽ばたく度に震える空気はビルの窓という窓を粉々に粉砕する。映画の撮影ではなさそうだ。
 喫茶店の前を勢いよく通り過ぎ、ガラスが耳障りな音で割れる。破片が飛び散り、床に凶器を並べた。お茶の中にじゃりじゃりと混入する異物はクレームものである。
 店内の男女がどよめき、悲鳴を上げる。蜘蛛の子が散るとはこのことで、危機を察したヒトは当てもなく逃げ惑う。

「魔物……!」
「何故こんな街中に……警備は何をしている!」

 カノンが血相を変えて席を立つ。お行儀よく店のドアから外にでて、周囲を見渡す。海斗もカノンの後を追い、外へ出る。
 物音が激しい方向に顔を向けると、魔物はヒトを襲うでもなく暴れ回り、街並みを破壊し、無意味にヒトを怯えさせていた。
 力の前に弱者は無力で、簡単に阿鼻叫喚の街へと化す。
 綺麗だった大通りにはガラス片や崩れ落ちた鉄くず、ヒトの乗っていない乗り物が捨てられていた。

「カノン!」
「撃退をする必要があるな……海斗、港まで戻る」
「走っても距離がある!」
「自分の足で走ったらな」

 カノンは何かを探して首を動かし、乗り捨てられたバイクへ視線を促す。
 丁度いいとばかりにそのバイクへ駆け寄り機体を起こすと、己の所有物とばかりに跨る。意外に傲慢だ。

「……なるほど、いいバイクだ」
「……乗る気?」
「当たり前だ」
「免許は?」
「大型二輪を五十年程前に取得済みだ」
「ご……!?」
「だから、大型二輪免許を……」
「そこじゃなくて! えっと、これは他人のだぞ!」
「緊急事態だ。幸いにもキーが刺さっている。後で軍を通じて返却、或いは弁償する」
「……俺、カノンのそういう所嫌いじゃないよ」

 仮にも司令とは思えないような言葉が、次から次へと出てくる。本来カノンは、こういう大胆不敵な人物なのかも知れない。
 手招きをされ、海斗もカノンの後ろに跨る。しかし、バイクを操縦できるとは意外だった。王子のような見目麗しい姿からは想像ができない。
 カノンは自分の軍服の胸ポケットに手を入れると、おもむろに小型の銃を取り出した。……レッグホルスターに入っている銃以外に、何丁持ち歩いているのだろう。

 まさか、この銃であの竜と戦えと言うのではないだろうか。エインヘリアルのハンドガンではない、無理がある。こんな小さな銃の弾、魔物に当たってもかすり傷だ。
 ありえないことを考えていると、カノンは海斗にその銃を渡し、自分はバイクのエンジンをかけているではないか。自由奔放すぎる。
 事件に巻き込まれたにしては元気なバイクは、ブルブルとエンジンで身体を震わせ、乗っている男二人に振動を伝える。どうやら、しっかり走れそうだ。

 理解不能な顔で銃を受け取った海斗は、手に馴染まない物体をまじまじと見た。当たり前だが、撃ったことはない。
 どうしたものかと指をまごまごしていたら、カノンは喫茶店の時の甘ったるさを捨て、既に仕事モードである。なんて切り替えの早さだ。

「ロックは解除してある、奴に当てて港まで誘導する」
「いや、そういう問題じゃ」
「問題ない。あのデカい図体だ、当たる」
「いやいや」

 海斗は自分の腕前を心配しているのではない。いや、確かにそこも気にするポイントなのだが。
 そもそも当てたとして、敵の標的がこちらになったらどうするつもりなのだ。通常エインヘリアルで相手をする敵だ。バイクで本当に逃げ切れるのか。炎を吐かれたらどうする。或は羽ばたきで車体が吹き飛ぶかも知れない。

「それ、こっちも危ないよね」
「市民の命が掛っている」
「俺達の命は?」
「私の運転が不安か?」
「いいや、その……ああもう!」

 その思い切りの良さはいっそ尊敬に値する。海斗は諦めて、右手に銃を収める。引き金近くに人差し指を置いて、カノンに左腕できつく捕まる。
 ……思っていたより、華奢じゃない。想像以上に鍛えられた肉感が――やめよう。今は命がかかっているのだ。こんなことを考えている場合ではない。

 海斗の心臓は、舞台を演じる役者すらドン引きする程に激しく動いていた。これがスリリングな場面のせいなのか、それともカノンとのダンデムのせいなのかはわからない。
 抱き着いたことにより、海斗の顔は自然とカノンの後頭部に接近する。少し立ち気味にバイクに跨っているため、いつもは見られない彼の風景が見える。
 ポニーテールのてっぺんが髪を滝のように流し、絹糸に似た髪は相変わらず嫉妬する程に美しい。
 前方には、美しくない敵さんが見えた。銃を構え、息を呑む。

「今から、ターゲットに接近する。 すれ違い際に撃て」
「どこを狙えばいい」
「狙えるのであれば片目、皮膚の薄い腹部。 次に、その他」
「はいはい、了解」
「準備は」
「不本意ながらいける」
「よろしい」

 満足げにカノンが返事をする。きっと、笑っているのだろう。この状況を楽しんでいるのかなんなのか、声は浮ついていた。不謹慎な士官だ。

「海斗」
「……何」
「吹っ切れているな」
「は?」
「いや、なんでもない。 後で話の続きをしよう」

 顔を見なくてもわかる、カノンは今、確かに心から笑った。海斗が声を上げるより早く、カノンがアクセルを吹かす。
 バイクは新しい乗り手に興奮し、ゆるやかに速度を上げた。やがて海斗が速さに驚き小さく悲鳴を上げると、その様子にカノンはまたくつくつと笑う。

 海斗は振り落とされないよう必死にカノンにしがみ付き、風を受ける。
知らなかった。エインヘリアルに乗っているだけではない、生身でこんなにも風を感じられる世界があるなど。恐ろしいと同時に、どこか癖になる。
 はためく淡いプラチナブロンドが、海斗の視界をちらちら遊ぶ。
 見とれていると、あっという間に大きな的が近づく。迫っていると言ったほうが正しいか。不規則に身体を揺らし飛ぶドラゴンは、震える海斗の照準を曖昧にさせた。カノンに抱き着く腕の力を強くする。

 不安定な速度と気持ちがぐらつく。向かい風に負けそうな右手を伸ばし、狙いを定める。
 目は敵の行動力を奪うことが出来る上に、ダメージも入る。しかし、初めて生身で銃を握る海斗に、小さな部分を狙えるだろうか。しかも、的が動く。であれば、的の大きい腹部を狙うのが妥当だろう。
 敵の動きが一瞬、空中で止まる。正面。雄叫びを上げたところに、派手な音を響かせて発砲した。鉄の小さな塊が注射針の如く、大きな腹に刺さる。痒みでも走ったのか、ドラゴンが手で腹を叩く。
 生身のヒトから見れば十分に巨体な敵の下を潜る。慌てて後ろを向く。しくじったかと思ったが、すれ違い際に海斗の真っ赤な瞳は、大きな子供としっかりコンタクトを取った。
 きゅるきゅる、不気味な音を口から漏らして、くるり、ドラゴンがこちらへ挨拶をする。子供であの大きさなのだから、大人になったらどのくらいのサイズになるのだろう。
 距離が開いていくのも束の間、また距離が縮まる。このバイクよりも、魔物の方が速い。

「カノン!」
「こちらの方向に飛んできている、グッドだ」
「良いのかわからないんだけど!?」
「私が良いと言えば良い」
「そんな無茶な!」
「無茶は承知」
「あのなぁ!」
「港までこのまま逃げ切る」
「冗談!」
「冗談は苦手なんだ」
「勘弁してよ!」

 カノンはグリップを握ったまま、海斗に何か合図をした。軍服の、内側の胸ポケットに手を入れろと言っている。閃光弾が入っているのだそうだ。
 ……意識している相手には、ラッキースケベがすぎる。もう事態が事態なので、いつも閃光弾を持ち歩いているのかこの男は、なんて発想には至らなかった。寧ろ持っていてくれてありがとう。閃光弾に感謝をする日がこようとは。
 カノンの胸元を弄り(同意の上である)、閃光弾を取り出す。ピンを抜き取り、海斗はそれを後ろに投げた。即座に前を向き、後ろで破裂音がしたことを確認する。
 振り向けば、ドラゴンは視界を阻害されて、ふらふらとよろめいている。しかし、それも一時しのぎだろう。
 多くの魔物は聴覚がいい。バイクのエンジン音を聞きつけ、耳を頼りにゆっくりこちらを追ってきている。

 この一瞬の出来事の間にも随分走行していたらしく、すぐに港が見えてくる。緊急時でなければ道路交通法に引っ掛かっていたところだ。
 カフェが港から近い位置にあったのも幸いだった。ビル街を抜けると、仰々しい鉄のゲートが顔を覗かせ、そこを超えると今度は背の高い倉庫が出迎えた。
 背後から、大きな気配を感じる。もうほとんど視力が回復したのか、あっという間にドラゴンは海斗達に追い付いて見せた。ゆっくり休んでいればいいものを、せっかちな生き物だ。
 やがて海が見え、エインヘリアルを停めた港が見えた。カノンはそこに入る訳でもなく、ブレーキをかけ、手前でバイクを停車させる。一瞬、海斗のお尻がふわっと浮いた。

「何、どうしたの」
「海斗、乗ってこい」
「カノンは」
「ここで敵を引き付ける」
「頭いかれてる?」
「はっ、そうでなければ務まらん」
「……戻ろう、一緒に」
「もたもたするな。 港を焼かれれば、対抗策がなくなる」

 カノンが海斗に目を合わせることはない。その目は、ひたすらに敵を見ている。
 カノンを抱きしめたままの海斗の左手に、暖かい手が乗る。勝手に冷たいと思っていた彼の手は、ヒトのぬくもりをきちんと持っていて、海斗へ優しく語りかける。信じているのだ、海斗を。
 応えなければ。誰に強いられるでもなく、自然に、そう感じる。

 海斗はバイクを降り、走った。固いコンクリートを蹴る。
短いはずの道のりはいやに遠く感じ、一歩一歩が重い。振り返ることはしない。時間がもったいないから。カノンが海斗を信じてくれているのと同様に、海斗もまた、カノンを信じているから。
 バイクが唸る音がする。それから、物騒な破壊音と化け物の声。
港の機体格納庫では、整備員がなにごとだと慌てふためき、落ち着かない空気だ。つい数時間前、機体を停めた場所に走る。膝たちで海斗の帰りを待っていたニュクスは、早く出せと言いたげだ。

 適当に整備員に事情を説明し、機体へ搭乗する。あまりもたもたしていると、本当に取り返しのつかないことになりそうなので、手短に行く。
 何も装備しないまま、とにかく発進させる。操縦桿がまだひんやりと冷たい。急な発進はよせ、と文句を言われている気がした。
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