一章
■閑話 システムの応え
この世界は残酷で、優しい。多くのヒトは誰かを殺さずとも生きていける。だが、魔族や魔物はヒトの魂を食料にしている以上、ヒトを殺して魂を奪わなければいけない。
絶対に誰かを犠牲にしなければいけない狂った世界は、本当に正しいのだろうか。世界の意志は、生きるヒトをどう思っているのか。
カノンはユグドラシルが数十年前に生み出したシステム、ALIVEシステムの解析を続けていた。このシステムが正しいか、そんなことはどうだっていい。
ただひとつ、世界の神とも称されるユグドラシルの考えを理解するための手段だからだ。ユグドラシルの意志は時に残酷で、ヒトの感情を無視してしまう。世界を正すのもまた、その世界に生きるヒトの役目だろう。
執務室で二人分のコーヒーを黙々と淹れる。ちょうど出来上がったところで、執務室の扉がノックされる。
「少将、アリーシャです」
「入れ」
「失礼します」
機体の整備を担当するアリーシャは、カノンと秘密を共有する人物の一人だった。システムは非常に難解な構築がされており、カノンだけでの解析は難しかっただろう。
アリーシャに室内のソファへ座るよう促す。二つあるコーヒーの片方にミルクを入れ、角砂糖を一つ。甘い香りを漂わせるコーヒーをアリーシャの前に置いてから、カノンも机を挟んで向かいのソファに座る。
「少将の作るカフェオレ、美味しいんですよねぇ」
「それはどうも」
「コーヒーは作れるのに、なんで料理は壊滅的なんですか?」
「……向き不向きがある」
カノンがあからさまに不機嫌にすると、アリーシャは慌てて報告書を机に並べた。
「今回のシステムの解析結果ね……。 反応、あったよ」
「……毎回反応しているわけではないだろう?」
「でも、反応率は格段に上がってる」
「……赤羽海斗が乗っているからか?」
「まだ何とも」
カノンとアリーシャは、本物のALIVEシステムの一部を基に構築した、仮想ALIVEシステムを量産機に搭載して情報を解析していた。
システムは決まって、天族と人間のハーフの人間が機体に乗っている時に反応を見せた。
本物のシステムが搭載されている機体でカノンも実験をしたが、例外に何度か反応を示しただけで、ほとんどは沈黙を保っている。
「他の者ではここまで強い反応はなかっただろう?」
「そうですけど……賢者の石が影響してるんじゃないかと考えてます」
「石が……?」
賢者の石。システム同様、ユグドラシルが生み出した産物だ。ユグドラシルの内部に生成されており、世界の意志と繋がるための鍵とも言われている。
賢者の石には物事を記憶する力が宿っており、重要なデータを保存する際にも使用される。霊力に反応してヒトの記憶を操作することもできるが、天族の寿命ともいえる霊力を半分近く使用するので、あまり現実的な使用例ではない。
「借りに賢者の石とハーフ、両方がシステムの必要条件なら、単純に賢者の石をハーフに持たせればいいだろう」
「それは、そうなんですけど……」
賢者の石をとハーフを活用した起動実験は過去に行った例がある。それを今更覆すなど。
「このシステムの反応を見てください」
「これは……第二部隊が孤立した時のデータか」
「はい」
「……なんだ、これは」
アリーシャがとある報告書のデータをカノンに指し示す。赤羽海斗の戦闘データを統計し、まとめたものだ。
記載されたデータに、カノンは思わず口元を手で覆う。このデータは、数年前にカノンがシステムを起動させて以来、見たことがない。
イレギュラー。世界との強い繋がり。そして操縦者への操縦能力、並びに思考の補助。
「機体の反応速度の上昇、および高度演算処理の脳内への伝達……搭乗者の脳内波長に乱れ……?」
「カノンさんが十五年前に起動させた時と、同じ状態の再現が起こりました」
「馬鹿な……内容の説明を求める」
アリーシャが言うにはこうだ。システムが演算処理で導き出した答えをヒトの脳内に伝達する際、何かを触媒にして経由している波長があった。
波長をよくよく解析してみると、賢者の石を経由し過去の記録データから情報を分析。そして予想した内容を脳内に即座に伝達しているようだった。
十五年前の技術では解析不可能な内容だったが、現在の技術であればシステムや石の波長を目視可能なデータにできるらしい。
「……カノンさん、海斗くんはエミリアさんが持っていた賢者の石を持ってるんですよね?」
「……そうだ」
「本当に石は必要ないんでしょうか」
「……認識を改める必要がありそうだ」
賢者の石とハーフ。この二つが何を意味しているのか。否、ハーフだからではなく、石の方が反応しているとしたら? 賢者の石が鍵なのであれば、カノンが起動に成功した事例もイレギュラーではなくなる。石は単に中継の役割を果たしているだけ? それも少し違う気がする。
では何故エミリアはハーフの子供を欲しがったのだろう。彼女はユグドラシルから何かを得ていたとしたら。目的のために、特定の条件を満たしたヒトが必要だとしたら。わからないことが増えてしまった。
カノンが思考を総動員させていると、アリーシャが申し訳なさそうにカノンの顔を覗き込んだ。
「あのー、それでですね、もう一個あるんですけど」
「……なんだ」
「海斗くんのことなんですけど」
「海斗がどうした」
「多分、なんですけど……」
「憶測は好きではない」
「じゃあ確信をもって言いますけど。海斗くん、カノンさんのこと思い出してますよ?」
「……何故?」
「賢者の石が脳への伝達を補助していると考えれば、石の記憶も自然と脳内に流れ込みます」
「……操作した記憶であっても?」
「……カノンさん、もうやめましょうよ。海斗くんに無理やり自分のこと忘れさせるなんて」
「……覚えていないほうがいいんだ。私のことなんて」
少し躊躇い、過去の記憶を丁寧に心の奥にしまう。否、記憶は脳の一部を占拠したかと思えば、カノンの脳はすっかり考えることを放棄し、無邪気な少年の顔を思い出していた。
こんなことなら、もっと早く海斗を遠ざけておけば良かった。
無意味な葛藤をして、また、悩む。