一章
「何事だ」
「少将!魔族が……」
「……こんな時にか?」
魂を喰らう化け物が、敵が攻めてきた。モニター越しに見える敵機のカラーリングは、黒に統一されている。機体には魔族が乗っているのだろう。魔族もまた、人型だと聞いた。
ふと、海斗に疑念が生まれる。軍人である以上、魔族との戦いは避けられない。同じ姿をした者を、撃てるだろうか。
機体の他に何かいる。海の中だ。大きな蛇に似た生き物が蠢いている。あれが俗にいう魔物だろう。
何度か録画映像で戦いを見たことはあったが、魔物を実際に見るのは初めてだ。数は機体が十機、魔物が三匹。随分少ないように見えるが狙いは食事だけなのだろうか。
「少将、どう考えますか」
「狙ってきている、と考えるべきだろう。ヒトの命が目的の連中だ」
「しかしどうやって……」
「今考えるべきは、そこではない」
女性士官と、カノンが現状把握のために考察を巡らせる。この艦が空中に浮いている時ならまだしも、今は港街に停泊中だ。向こうはわざわざ戦えない市民を巻き込むつもりらしい。その方が魔族にとっては食糧も増える、好都合か。
苛立ちを含んだ眼差しで、カノンがモニターを睨み付ける。
「皇准将、この場に残り、スケジュールの案内と戦いのモニタリングを行ってくれ。私は奴らを叩く」
「戦いの様子を見せるのですか?」
「実戦がどんなものか、見る必要があるだろう」
「お待ちください、出撃ならわたくしが……」
「第四小隊を出す。後は任せた」
「少将……!」
女性士官の止める声も聞かず、カノンはそそくさとブリーフィングルームを後にする。聞いているようで聞いていないといった様子だ。
彼の後姿を眺め、と呼ばれた女性士官が溜息を落とす。「少しは椅子に座ってなさいよ……」とぼやき、動揺する新入りへ視線を変える。メガネに凛とした眼差し。深い緑がメガネの奥で煌めく。二藍の髪はアップにまとめられ、できる女という印象だ。
「私は
こちらに向き直り、冷静に状況の説明を始める。そんなことは知っている。こんな事態になってもどこか冷静な海斗は、話を聴きながらも、目の前の士官ではなくモニターを横目で眺めていた。
「皇千怜」と名乗った女性士官は、カノンの補助、並びに副司令を務めているらしい。
彼女に言い渡されたのは「現状この部屋で待機」と「モニターで戦い方を見ろ」という指示だった。
しかし、見ているだけというのはむず痒い。誰かが戦っていて、誰かの命が危機に晒されているのに。先ほど通ってきた港街は、今どうなっているのだろう。
千怜は指示だけ行い、さっさと部屋から出て行ってしまった。ここの司令職はどうにも忙しいらしい。
モニターを見ていると、いつの間にかロウが隣にいて、脇腹突かれた。綺麗に並んでいた隊列は、すっかり崩れて新人の井戸端会議になっている。
ロウが周囲に聞こえない声で海斗に耳打ちをする。
「なあ、これさ」
「なんだよ」
「外でほんとにドンパチやってんだよな」
「そりゃあ」
「なんかさ、もどかしくね?」
「まあ、確かに」
「俺達、ヒトを守れる軍隊にいるんだぜ」
「でも、指示されただろ」
「まじめかよ」
「いいや?」
海斗は残念ながら真面目とは程遠い。真面目なら、今頃きっちり主席で卒業している。つまり、ロウの言いたいことはわかる。なんだかんだ長い付き合いだ。
「俺達も出るしかねえよな、うまくいけばここにいる奴らを出しぬける」
「……マジ?」
「マジ」
「お前さあ」
魔族との実戦経験はない。士官学校であったのは模擬戦くらいだ。だが、何もしないよりは。
海斗は自分を奮い立たせる。軍に身を置く以上、いずれは戦わなければならない。それが遅いか早いかだ。生意気な闘争心に火が付く。
「乗った」
「流石」
小声で悪巧みをする。秘密基地で内緒話をするような気分だ。
外で誰かが死ぬかも知れない戦いが起こっている。ヒトを守るのが軍人の務めというものだろう。「出るしかない」とはつまりそういうことだ。自分達も戦おうと。
海斗自身、誰かの死には酷く嫌悪感があった。命というものは重く、しかし軽い。誰かの死は誰かの心を壊す。父を見て、海斗はそれをよく知っている。力があるのに、見ているだけはごめんだ。「どうする?」とロウに聞く。
「地図はもらっただろ」
「ああ、ポケットの中」
思い出したように、ポケットから地図を出す。くしゃくしゃだ。始末が悪いとはこのことである。そういえば、テストの答案もいつもポケットの中だった。
綺麗好きのロウからはいつも文句を言われている。
「きったね」
「うるせえな」
格納庫を探して、ロウと共にくしゃくしゃの地図を覗き込む。
「あった、ここから走っていけばすぐ」
海斗とロウは目を合わせ、小さく頷く。こそこそと隊列を抜け出す。彩愛が気づき、「どうしたの?」と二人に声をかけた。感のいい子だ。必死に良い訳を探す。
「俺らちょっとトイレ行ってくるわ」
「あーやばい、緊張してちびりそう」
ロウが起点を聞かせて演技を合わせる。入口に立っている者に伝え、ブリーフィングルームを出る。トイレなら誰にも怪しまれない。流石に生理現象を我慢しろ、とは誰も言わないだろう。
外に出ても付近には誰もいない。あちらこちらから、掛け声が聞こえる。艦内放送では、誰かここに来い、あいつはあっちに行けと忙しない。
海斗とロウはトイレの方面に歩きだし、周囲を警戒しながら進む。ここから進んで右、左、直進。トイレに差し掛かったところでダッシュ、と打ち合わせをする。
トイレに差し掛かった。走ろうとしたら、こつこつと後ろから足音が聞こえてきた。少しだけ後ろを見る。ロングヘアの女性が見えた。気のせいかカノンに少し似ている気がする。赤い軍服は確か左官だ。
これはまずい。見られた。一瞬姿勢戻し、強歩で歩く。
「ねえ、君達……」
話かけられた。流石に声までは似ていなかったか。
「どこにいくの?」
「いや、トイレに……」
「それならあっちよ?」
通り過ぎたトイレを指さされる。そんなことは知っている。
「あの……すんません!」
「え?あっ、ちょっと!」
ひと言詫びを入れて、二人で走りだす。ここではいそうですか、と戻る訳にはいかない。強行突破だ。女性の声が遠くなっていく。
「おい、ロウ!やっぱやめね!」
「何今さら!もう戻れないだろ!」
少し怖気づく。そもそもこの行為って、違反行為なのでは。
「今なら謝って済む!」
「その後あの怖そうな少将さんか、もっと怖そうな准将さんの説教!」
「それは……無理!」
発進ブロックまでとにかく走る。途中何人かとすれ違ったが気にしない。止められたのも気にしない。
後ろからは誰も追ってこなかった。誰かが止めてくれるだろうという、「自分に責任はないですよ」アピールだろか。
格納庫に入り電子扉を抜けると、大量のエインヘリアルが並んでいた。士官学校より機体の数が多い。よりどりみどりだ。
物陰に隠れ、発進できそうなものはないか探す。右の方を向くと、タイミングよく量産機が一機調整されているのを発見する。機体のコックピットブロックが排出され、ご丁寧にハッチが開いている。乗ってください、と手招きをされているようだ。
機体の近くでは名前も知らない軍人が整備の人間と何やら話をしており、こちらに気づいていない。
海斗は少し前のめりになり、狙いを定める。足は速い方だ。いける。
「んじゃ、俺先に行くわ」
「おっけ、俺も後から別の機体適当にくすねるわ」
「言い方」
「海斗、帰ったらゲームやろうぜ。新作のやつ」
「はいはい」
ロウの考え方は基本的に大人だが、時々子供らしい一面もある。否、十八歳は成人していない、まだ子供か。
海斗が先行して、荷物や機体の陰に隠れながら走る。刹那、機体の持ち主であろう赤毛が特徴的な軍人と目が合う。
「君!何をしている!」
「やべ、」
慌ててコックピットに入り、ハッチをしめる。外でコックピットブロックを強制射出される前に、機動ボタンを押す。
外の怒鳴り声をシャットダウンしたところで機械音が反響すると、機械だらけだったコックピットはあっという間に外の世界を三六〇度、モニターとして映し出す。
滑り出しとしては上々。手が自然に動き、期待のセッティングをすぐに済ませる。設計自体は士官学校で使用している機体と変わりなく、すぐに理解できた。
今から出撃する。海斗は自分を落ち着けるため、大きく深呼吸をした。
自分がエインヘリアルの心臓になり、鉄の塊に息を吹き込むこの作業が海斗は好きだった。
電源ひとつで血液のように電気が体内を巡り、生命を宿す。機体と一体になり、世界を見渡せる。飛ぶことも、歩くことも、泳ぐこともできる。別の自分になれる、生まれ変われる感覚。
気分が自然と高揚する。今自分は、実戦用のエインヘリアルに乗っているのだ。
操縦桿を倒して機体を動かす。外では先ほどの軍人が目くじらを立てている。
無視を決め込み、足元のペダルを強く踏み込むと、バックパックが熱を溜め、一気に噴射される。
圧縮された熱い空気は、機体を勢いよく押し出した。量産機でありながらカスタマイズが施されているようで、扱いに少々癖がある。
操縦桿を倒して機体のバランスを取り、発射口まで持っていく。
「これ、ちょっと言ってみたかったんだよな」
コックピットで姿勢をただす。
「赤羽海斗、出ます!」
威勢よく声を上げ、機体を発進させる。ジェット機を超える速さで、戦艦から外に旅立つ。
外はただ、青かった。正午の海。雲ひとつない空。一面の青。
エインヘリアルに乗って見る海は、生身で見るよりも美しく見えた。目を閉じると、磯の香がする気がした。
そんな気分に浸っていると、機体が激しく揺れる。何かが着弾し、爆発で機体が揺れる。上を見ると、魔族が乗っているだろうエインヘリアル。そうだ、今は戦いの中なのだ。海を眺めている場合ではない。戦わなくては。
まずはここにいる街のヒトを守る。誰も死なせるものか、と海斗は意気込む。機体のスピードを上げ、魔族の機体をぐんぐん引き離す。自分ならできる、訳もなくそんな自信満ち溢れていた。