一章



 ◇


 数はざっと三十。最初の襲撃より数が減っているが、それでも海斗から見れば多い。
 たった一機の敵を落とすだけでも恐怖なのに、それが三十も。自分一人で戦う訳ではないが、足が竦む。いってくるとカノンに話したばかりなのに、もうこのザマだ。
 それでも、やらねばならない。殺しにいくのではない。戦いを収めに行くのだ。そう、殺さなくてもいい。自分に言い聞かせる。深呼吸をして、海斗は戦場へ飛び出す。

 時は夕刻、青空はオレンジに染まり、雲に映る機影は海斗の気持ちをざわざわとかき乱した。
 夕焼けの色は希望の色、とよく言うが、何が希望なものか。下には海が広がり、海まで夕焼けに染まっていた。
 辺りは味方機が飛び回り、敵を撃墜している。シュレリアは、予想していたが出撃していない。現段階で臨時の隊長機はエリオットのようだ。彼は案外頭が切れる、第一小隊と第四小隊は問題なく機能している。

 前方に颯爽と飛び出していくレオンからは、『殺せねえと思ったらさっさと帰れ』と冷たく通信を入れられる。
 実際、討てないのならこの場にいない方がいいのではないか。だが、戦いに出ないということは、この艦には必要ないということに等しい。この艦に居場所がなくなったら、今度は、どこに行けばいいのだろう。
 海斗は艦にいるために、カノンの傍にいるために今は戦っているのだ。余計な邪念を捨てる。自分に冷たい他人の言葉は、流してしまえばいい。そうしなければ、自分が傷つく。
 通信で耳に入るあちこちの声。戦況、指示、支援、それらの音声をできるだけ、頭に入れないようにする。言われた通りには、多分動けない。

 戦艦から放たれる砲弾を背中に、ライフルで牽制を撃つ。敵を倒す役は他のものに任せればいい、自分にできることを努める。
 しかし世の中はそう甘くはない。黒い機体がこちらへ接近してくる。また逃げ回るか、と考えペダルを足にかける。いや、逃げていいのだろうか。

『おい! 今度はさっきみたいにいかねえ!』

 ディースの声が海斗を静止する。海斗が何かやった訳でもないのに、何故か目をつけられる。その場にいたから、海斗のせいだとでも思っているのだろうか。
 ここで逃げても先ほどのように、同じ過ちを繰り返すだけだ。逃げるのは向き合ってからでも、遅くない。

「やりたくない、でも……!」

 手元が震える。怖い、などと言っていられない。機体の右手に持つ槍をぐるぐると回す。刃を交えるくらいなら戦える。頭を吹き飛ばしてしまえば、敵はモニターが見えなくなるはず。コックピットを狙わなければいい。
 飛び掛かる黒色へ、槍の切っ先を向ける。殺しではない、何度も自分に言い聞かせる。

『やっとやる気になったか……!』
「できれば戦いたくない、引いてもらうことはできないのか」
『あ? 舐めてんのかお前』

 敵から振り翳される長剣を、槍で受け止める。剣と槍がぎりぎりと押し問答を開始する。重たい。この一振りに、命がかかっている。磨かれた長剣の鏡に映る相棒であるニュクスの顔は、海斗と同じく戸惑っている風に見えた。機械に命はないはずだ。

「なんで……なんで戦うんだ!」
『戦わねえと俺達は生きていけねえ!』

 鉄が跳ねる。ぶつかった武器を引き、二機とも距離を取る。戦わないと生きていけないなど、決めつけかもしれないのに。
 本当は平和に暮らしていける可能性だってある。それをカノンは必死に模索しているのに。
 魔族は、生き物の魂を食べなければ生きていけない。その中でもしかしたら、手を取り合っていけるかも知れない。殺し合いをする必要なんて、海斗にはわからない。

「それ以外の道だってあるかも知れない!」
『ねえよ!』
「決めつけんな!」

 叫びながらも海斗は標準を合わせ、敵の頭部へ向かってミサイルポッドを発射する。
 ディースは向かってきたミサイルを長剣で全てきり落とし、爆風の中を飛び回る。技量がない訳ではない。寧ろ、他の敵機よりも高い操縦能力を持っている。
 海斗の指が、操縦艦の手前のスイッチを押す。機体からバルカン砲が発射され、実弾が黒色の装甲へ傷をつける。

『ちょこざいな!』
「なんでないって決めつける!」
『天族は俺達を殺す気なんだろうが!』
「そんなことない!」
『あるね!』
「魔族や魔物達だって俺達を殺してるだろ!」
『だから! 生きるためなんだよ!』

 まるで子供の喧嘩だ。子供と違うのは、命がかかっているということだ。戦争は、命のギャンブルだ。
 チップの代わりに命をかけて、負ければ全てを失う。こんな危険なギャンブル、楽しくもなんともない。今すぐにでも逃げ出したいのに。

『俺は、妹を守らなきゃいけないんだ……!』
「妹…!?」

 手が止まる。妹がいる。家族のために戦っている。大切なヒトがいる。今、目の前の彼を誤って殺してしまったら。
 もし、ディースが死んだら、残された家族は。その家族に、海斗は恨まれて生きなければならない? それとも、残された者の失意を垣間見て、自分が涙を流す? どれだけの怒り、悲しみが巻き起こるのか。
 途端に、ぶれる。誰かを失ったヒトは、脆い。残された者は永遠に苦痛と戦わなければならない。海斗に、それを与えられる覚悟があるのか。目を見開き、呼吸が乱れる。
 夕日に染まった黒い機体が、長剣を振りかざす。ニュクスの右手が切断され、吹き飛ぶ。同時に、槍も飛ばされ、鮮やかな朱色の海に沈んでいく。
 まるで血の海だ。波が荒れ、次の獲物をまだかまだかと待っている。こんなに不穏な海は、初めて見た。

「なんで……なんでヒトのために殺しなんてするんだよ!」

 機体左側の腕部装備として装着されている、ハンドガンを取り出す。なんとか片手で手に取り、狙いを定めて引き金を引く。堅い弾が敵機の頭を吹き飛ばす。これでモニターは遮断される。もう、戦いは出来ない。

『お前にわかってたまるか!』

 ディースがコックピットハッチを開けて視界を確保する。モニターを頼らずに、己の目で見て戦う気だ。
 大型のドラゴンとの戦いの時にも見た、左目を隠した男。そこまでして、戦うのか。己の身を危険に晒してまで、誰かのために戦う。その覚悟がディースにはある。

 今ここでバルカンを発射して、生身のディースを撃てばこの機体を落とすことが出来る。その結果得られるものは?
 名声と、栄誉と、ここにいてもいい理由と。それと、血。一度血に塗れてしまったらもう、後には戻れない。それも、機体越しではない、目の前で生身のヒトを、殺すことになる。誰かが帰りを待っているヒトを。自分の手で。
 海斗が今ボタンを押せば、この無意味な戦いは終わる。それでも。

 「駄目だ……撃てないぃ……!」

 海斗の慟哭が、空を劈く。誰かの命を奪うことで、誰かが泣くことが――海斗にとっては最も拒絶するべき、恐怖だった。
 心の奥底に根付いてしまったトラウマが、命を失った母が、そうして泣いた父が、痛烈に心を抉る。フラッシュバックに涙がぼろぼろ零れる。結局、口だけで、頑張れなかった。自分で自分を追いつめて、独りで泣いていた。

『お前……怖いのか、ヒトを撃つのが』

 ディースが一瞬、憐みの声を向ける。おかしいだろう、誰も殺せないのに、戦場にいるのは。

『だったらいっそ……死んじまいな』

 ディースが剣を再度振り翳す。あれに切られれば、海斗は機体ごと真っ二つだろう。
 死んだ方が、楽だろうか。誰も討てないのだ、ここにいる理由なんてきっとない。カノンだって、失望したに違いない。この戦いをきっとブリッジで見ていて、見限ったに違いない。
 だったらもう、死んでもいい。どうせ生きていても、いつも通り無駄に命を浪費しているのだから。ディースの腹の足しくらいにはなる。妹と、どうぞ仲良く。

『海斗!』

 ふと、声を呼ばれた気がした。暖かい声が頭に響いて、『生きろ』と海斗を叱る。懐かしい声だ。涙が止まらなくなる。この瞬間に気付くなんて。もう一度顔を見たかったなどと。

「……カノン、ごめん、俺やっぱ――」

 何も、できなかった。

『海斗君! 駄目!』
「――!」

 時間が止まる。否、止まったように見える。量産型の機体が一機、ニュクスを着き飛ばし、黒色の前に飛び出る。剣は真っ直ぐに振り下ろされ、鉄の巨人を半分にしてく。
 判断が遅れ、海斗は目の前の光景をただ、見ていた。自分が死ぬわけでもないのに、スローモーションに見える。突き飛ばした機体の主は、彩愛だった。どうして。

「あ、彩愛、」
『海斗君は、私が守るって、約束――』

 こんな形で守らなくとも。海斗は一言も守って欲しいなど、言っていないのに。彩愛の放った、たった一言の「約束」という言葉から、感情が脳内に溢れてくる。

 元気づけてくれたこと、勇気づけてくれたこと、何気なく気を使わずに話をしてくれたこと、それがとても嬉しかった。笑いあえたことが、幸せだった。好きだった。
 海斗の胸元に隠されたペンダントがほのかに光る。どうして今更、こんな感情が流れてくる。知りたくない、知ってしまったら、もっと辛くなる。嫌だ。

 電子回路を立たれてショートした機体が、ぱちぱちと火花を上げる。目の前で機体は爆発し、彩愛は死んだと悟った。
 散り散りになった鉄破片は海に燃えカスとして落ち、あっけなく水の中に吸い込まれていく。海の一部となり、生きた証として思い出は底に沈んでいくのだろう。
 声は出なかった。呆気にとられて、声すら忘れたから。「あ、」と海斗がようやく発した声にならない音は、出来事の理解を拒んだ。
 戦意が消える。体中の力が抜け、それに呼応したニュクスが、海斗を乗せたまま海に落下する。生きた機体の装置が動き、生命を維持するため、自働推進装置が機動した。沈んだかと思えば、ゆったり、海面に浮きあがる。
 戦場など見えない。見えるのは、機影と、艦と――。
 自分を突き動かしていたスイッチが切れる。何も考えられないまま、誰にも見向きもされず、海斗とニュクスは無心で海の上を、漂った。
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