一章
◇
メディカルルームのベッドの上、シュレリアを見る。眠っているようだった。
海斗と話をしている時はいたずらな笑みを浮かべる彼女も、眠っている時は静かなものだった。おかしいではないか、一戦しただけでこの状況は。
ベッドの脇に立ちその様子を静かに眺めていると、医療スタッフが海斗に話かける。名前は佐伯さんといった。長い黒髪と大きな胸は、パッと見、医者とは言い難い。
「彼女ね、本当は戦いたくないのよ」
「……はい」
「無理して戦ってるの。霊力ってしってる?」
「少しだけ、聞いたことがあります」
そういえば、彩愛と話をしていたことがある。天族の持っている、自身を強化できる不思議な力。
「霊力はね、力でもあり魂の寿命よ。自分の寿命を使って自分の力を強化するようなものなのよ。使いすぎた魂は転生することもできず、消えてしまうの」
「それを、シュレリアは使ってるんですか」
「ええ……今回の戦いでは随分と使ってしまったみたいね」
「……なんでそこまでして、戦うんですか」
「お兄さんがここにいるから戦うんですって。それが、彼女がここにいる理由」
「……そう、ですか」
知っている、シュレリアはカノンのことを大切に思っている。だから、何も言えない。自分が無力なせいで家族が消える苦痛は、海斗もわかっている。彼女の覚悟を止めてまで、海斗はシュレリアに何かを与えられない。
ただのお見舞いのつもりが、一気に気持ちが沈む。自分のせいで間接的に、シュレリアを殺しているのと同じではないか。
「赤羽海斗君、貴方はどうしてここにいるの?何故、戦うの?」
「どう、して……」
海斗にはまだ、すぐに答えられなかった。
操縦ができるから? 強くなるため? ヒトを守るため? 自分を認めて欲しいから? 恨まれたくないから?
色々な理由を考えては、結局答えが見つかっていない。変われたと思っていたのに、自分は何を否定しているのだろう。
戦うために生きる証を認めることが、怖い。裏も表もある、自分の全てを誰にも受け入れられなかったら。そう考えるだけで、また以前の独りぼっちでなあなあな自分に戻ってしまうようで。
佐伯に頭を下げ、メディカルルームを出る。足は自然と執務室へ向かっていた。こんな胸の内、誰にも話せないのだ。彼以外に。
堅い扉を叩くと、静かに低い声がした。戦闘待機でも仕事に追われているからなのか、それともヒトを待っていたのか。
扉を開けて中へ入ると、コーヒーの香りが漂う。突然現れた海斗に驚いたのか、カノンは頭を傾けた。
「……カノン、俺」
「……何泣いてるんだ」
「泣いてなんか」
「泣いてない」と言おうとして、頬を触ると湿っていた。泣き虫だ。慰めてもらいに来た訳ではないのに。
ソファにゆったりと座ったカノンが、隣に座るように海斗を促す。温かいコーヒーが目の前に出される。横には丁寧に角砂糖の入ったアンティークな砂糖ポットと、ミルクポットが置かれた。苦いものは飲めないと思われているようだ。
「……コーヒー」
「何故だろうな。お前が来る気がして、二人分淹れてしまったんだ」
コーヒーカップを見つめながら、カノンが微苦笑する。鼻をすすりながら、まだ黒いコーヒーを飲む。涙の味で、苦くて塩辛い。海斗にはまだ早い味わいで、すぐにミルクと砂糖を入れた。
甘いカフェオレにして飲むと、気持ちが少し落ち着く。温かさとほろ苦さが、ぽかぽかと身体に染みる。海斗が落ち着いたのを見計らって、カノンがそれとなく、声をかけた。
「何かあったのか」
「……ごめん、俺、何もできなかった」
何かできたようで、何もできなかった。逃げ回っていただけだ。その結果、シュレリアをボロボロにしてしまった。
「……敵の足止めをできた」
「でも、一機も落とせなかった」
「落とすための戦いではない」
「落とさないと勝てない!」
落とさないと、誰も守れない。敵を殺さなければ、誰かが死ぬかも知れない。
以前、カノンにも言われた。自分を押し殺してでも、敵を殺さねばいけない時がくると。けれど、まだそれが怖い。でも、やらねばカノンは失望してしまうだろうか。
「……海斗、何を焦っている」
「俺……皆みたいに役に立てない。カノンの思うように、戦えない」
「誰もそんなこと、望んでない……」
止まったはずの涙がまた溢れてきて、情けないところばかり見せている。
面倒だと思われ、嫌われてしまうだろうか。カノンの心が、自分から離れてしまうかも知れない。海斗の頭の中には戦いよりも、カノンのことばかりがよぎる。
他者からの愛情を得たことがなかった。だから、失うことに慣れていない。失いたくない。だが、そのためにヒトを殺すことが正しいのか、わからない。
「殺さないと、何も成し遂げられない」
「殺しは……結果でしかない。殺せと言っている訳ではないんだ。苦しいことは、やらなくてもいい。向いていないんだ、お前には。殺さなくてもいい、そうしない戦い方だって……ある」
「でも……そうやって戦ってきた俺を、お前はなんて迎えるんだ」
カノンの手が、海斗の頭に伸びる。あやすような手は海斗の頭を撫で、余計に涙腺をゆるくする。優しくしないでくれ、甘えたくなってしまう。誰にも甘えたことなんて、なかったのに。
「おかえりと、言う」
「……それは、軍人として? 個人として?」
「……海斗、お前個人として」
「…………俺、もう少しだけ、頑張ってみる」
「頑張らなくて、いい」
「でも、頑張らせてくれ」
頭を撫でるカノンの手を、きつく握る。海斗よりも大きな手。この手も、守れるのだろうか。期待に応えたい。不安で渦巻く内心を無理矢理抑え込んで、前を向く。
恐怖など、簡単に克服できるものではない。初めて生きているヒトを殺すのだ。怖くない訳がない。自分だって生きている。死ぬということは、感情も何もかも消え失せてしまうのだ。敵も同様だ。
「俺、ちょっと前までは何も怖くなかったのに、いつの間にか死ぬことが怖くなってた。自分の気持ちがよく、わからない」
「ヒトは一つの心で生きている訳ではない」
「迷って当たり前?」
「そう……だな。だが、その答えは自分の中にしかない」
「死にたくない理由も、ヒトを殺すのが怖い理由も?」
「自分のことは、自分で考えて、自分で探すんだ。私にはその手助けしかできない」
「沢山探して、死にたくないと思える理由が、それが……それがカノンだとしたら、軽蔑するか」
「……私?」
「……ごめん、なんでもない」
カノンが、目の前できょとんとした顔をする。自分の予想していないことを言われると、カノンは大抵口をへの字にする。
変なことを口走ってしまった。いっそのこと、このまま海斗を嫌ってくれれば楽になれるのに。そうすれば、失うものなどない。
艦内の警報が鳴る。魔族がまた接近してきたのだろう。ソファから立ち上がる。出撃だ。自分にできるだろうか。葛藤をしながら、戦いへと向かう。
「……いってくる」
カノンに後ろ姿で声をかけ、海斗が執務室を出る。重い扉が閉まり、海斗はまた、独りになった。