一章
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プリンが食べたかった、など未練がましいことを思いながら、海斗も自分の機体で発進する。
大きなドラゴンとの戦いで受けた傷はすっかり治り、機体の調子は非常によい。今日もよろしく、とニュクスへ独り言を放ち、青空を飛ぶ。
任務内容は、艦に攻めてきた魔族を退けろとのことだった。魔族は突然艦へ襲撃してきた。通常、レーダーに反応するはずの敵は、ぎりぎりまで接近してようやく発見されたらしい。
以前、通信を妨害されたことがあった。恐らく、似た技術を使ってレーダーを妨害したのだろう。魔族は今までとは違う方法で戦いを挑んできている。この変化をどう捉えるべきか。
艦に攻撃を着弾させたが、流石に丈夫なようで、艦は微塵もダメージを受けていない。
今回、カノンは出ていなかった。司令として椅子に座っているようだ。音声上で指示だけが聞こえてくる。あちらに動け、こちらに動けと細やかな支持が飛ぶ。ついでに各個人を気遣う声援のおまけつき。このヒト、ヒトたらし過ぎていつか刺されるんじゃないだろうか。
カノンの全体を見る能力が非常に優れているらしく、的確な指示は各機の連携をスムーズにした。
辺りを見渡す。海斗の所属する小隊の面々と、トール……レオンの姿が見えた。何故まだこの艦に滞在しているのかは不明だが、この場合は戦力が増え、幸運と取るべきか。
『よう、ちゃんと出撃しているようで結構』
「そりゃどうも」
『カノンさんに恥かかせるような動きはすんなよな』
「どっちが」
つくづく嫌な言い方をする。余程海斗のことが気にくわないらしく、レオンは刺々しい言葉で海斗を攻撃した。こちらだって、友好的ではない相手は願い下げである。
通信上で口論をしていると、目の前に敵機が見える。随分数が多い。
魔族、ヒトが乗っている。未熟な自分に、誰かの命を奪う覚悟があるのだろうか。敵機を見て、海斗は操縦桿を握る手を震わせる。
まだ、怖い。恐怖を隣人に携え、敵の接近を見やる。本当は、来ないで欲しい。魔物の相手だけをしていたい。
敵がライフルを構える。銃口から発射されたビーム状の弾は容赦なく、味方を襲う。戦わなければ、死ぬだけだ。
浅く呼吸を繰り返し、回避運動を行う。冷や汗が流れる。まだ、戦闘は始まったばかりなのに。
トールが先行し、突っ込む。堅い拳を握りしめ、トールが敵機を殴り殺す。鉄の塊と化した拳が敵に当たる度に、爆風が発生し、敵の撃墜を知らせる。乱暴でありながら、確実に戦果を上げている。何故、レオンは未だに少尉なのだろう。疑問が尽きない。
敵の攻撃を上手く流していると、海斗に向かって接近してくる機体が一機。
黒い機体……動きを見るに、ディースだ。こちらに真っ直ぐ、狙いを絞っている。右手のライフルがこちらに向けられ、息を呑む。余計な敵を作ってしまったかも知れない。
『探したぞ!』
「俺は探してない!」
『こっちは探してたんだよ、お前を!』
そんなに生意気な態度が癪に障っただろうか。一直線に機動を描き、敵は左手の剣を振りかざす。
カノンから状況を確認する通信が入る。心配しているのだろう。間抜けな姿は晒したくない。大丈夫、とだけ答える。本当は大丈夫では、ないけれど。
降ろされた剣を避け、ディースの機体腹部に蹴りを入れる。仰け反った機体はすぐさま体制を立て直し、ニュクスを追撃する。頼むから、来るな。
『やりやがったな!』
「そっちが先にやったんだろ!」
『やかましい! この前の借りだ!』
「この前は俺、何もしてないだろ!」
『俺を不快にさせた!』
「勘弁してよ!」
喧嘩相手が一人増えた。ただでさえ面倒な奴が一人いるのだ、これ以上増やさないで欲しい。
機体から噴射される粒子が螺旋を描きながら、空を上る。繰り返される攻撃を避け、機体を壊さない程度に反撃をする。生ぬるいだろうか。実際、カノンがこの場にいればぬるいと言われるだろう。
ディースは手加減をされていると思っているらしく、時間が立つにつれて、どんどん気が短くなる。殺さないようにしているのだから、手加減と思われても仕方がないか。
向けられる攻撃は全て狂気に満ちていて、まだ死にたくない、と海斗を怯えさせた。生きる理由もなかった癖に、出会いと感情がそうさせる。
空はただ晴れていて、機体は太陽の光を反射した。他の者達は敵味方が入り乱れた乱戦となり、もつれている。
逃げ回っている海斗にディースは嫌気がさしてきたのか、攻撃の手を緩める。このままどこかへ行ってほしい。
『そんなに俺と勝負しないなら考えがあるぞ』
「考え……?」
ディースの機体が静止する。空にピタリと止まった黒は、鴉に似ていた。瞬間、海斗に嫌な予感が走る。
晴天に不釣り合いな黒は、剣を下に向かって投げつける。速度のついた切っ先が、悪意を持って空を切る。
自分達は今、艦の、ブリッジの真上にいる。つまり、これが意味するものとは。
「カノン……!」
何をするでもなく、察する。いくら丈夫な艦とはいえ、質量を持った剣が落下したらただでは済まない。脳裏に、爆発するブリッジが浮かぶ。失いたくない、どうすればいい。この距離からでは間に合えない。
視界を高速で機体が遮る。
フレイア――シュレリアだ。重火器で撃つ姿ばかりが思い浮かんだが、機動性も兼ね備えているのだろうか。否、あの重装備で速度が出せるとは思えない。
捌きのように降る剣を、フレイアが受け止める。剣は、胸の前で交差された機体の腕へ、深く刺さった。装甲に邪魔されて勢いを失った剣は、ぎりぎりコックピットの手前で止まる。
捨て身の戦法を取るなど、彼女らしくない。死ぬかもしれないのに。
「……っ」
『お兄様を死なせはしない……!』
フレイアの全ての銃口がディースへ向く。機体中の小型のミサイルポッドが、口を開けてはミサイルを発射する。
腕部に装着されたマシンガンからは実弾がばらまかれ、背面に積まれたビーム砲は、熱線で雲を焼く。ミサイルが、銃弾が、光の線が。ありとあらゆる攻撃が空を爆炎に染めていく
攻撃を予測できなかった数多の敵機は、次々に撃ち落とされていく。味方の機体には、照準が合わないようにロックされている。しかし、この激しい攻撃の中では……。
『なん、なんだよこいつはぁ!』
「嘘、この距離じゃ俺にも当たるって!」
ディースもろとも、爆撃に巻き込まれる海斗。彼女は怒ったら何をしでかすかわからない。今学んだ。
いち早くこの銃弾の嵐から抜け出すため、フレイアの攻撃範囲から離脱をする。フレイアの背面に回り、艦を見る。無傷。シュレリアが踏ん張ったお陰だろう。
空を見上げると、もう夕方にでもなったように赤黒い。爆撃音が一面に響き、耳をやられそうだ。フレイアと同じ視点で見た戦いの景色は、戦争の物悲しさを海斗に教えた。
爆炎の中から黒い機体が飛び出す。攻撃を避けつつ、頭上に撤退命令を出す。このまま引いてくれるようで、海斗は胸を撫でおろした。
『一時撤退だ! くそっ!』
残った、数少ない敵機が引いていく。黒い空は風を受け、すぐにまた鮮やかな青色へと戻っていた。
全体が帰還命令を受け、艦へ戻る。衝撃を受け止めたフレイアは上手く動けないようで、飛ぶだけで精一杯のようだ。
オーバーワークのせいで推進装置が破損してしまったらしい。遠距離での戦闘を軸としているが、ここまで激しい攻撃は機体の設計時に予測していなかったのだろう。ぼろぼろの機体に寄り添い、共に帰還をする。
『海斗くん、大丈夫だった?』
「……あんたの方こそ、俺の心配なんて」
『いいのよ……好きでやっていることだから。お兄様も、海斗くんも、無事でよかった』
こんな状況になってまでヒトの心配などして。きっと今の彼女は笑っているのだろう。本当は戦いたくないだろうに、無理して笑っているのだ。
海斗があそこでディースを倒せていれば、シュレリアがこんな風になることもなかった。
「ごめん」と謝ると、「そういう時はありがとうって言うの」と返された。不甲斐ない自分が、礼など言えるものか。どこまでも他人のことばかり考えるシュレリアが、恨めしくなる。
機体を着艦させ、彼女の様子を見に行くと、暖かい言葉を発していた癖に、本当は泣いていた。どんな声を掛ければいいかなんて、海斗にはわからなかった。