一章
指示を受け、エインヘリアル達がわらわらと帰り支度を始める。冷たいものだ。或は慣れだろうか。誰もこの状況に何の疑問も抱かない。おかしいとは思わないのか。現況に、目の前の敵に、戦わないことに。
そうか、皆、自分の生活がよければ、現状維持でいい。ぼんやりと何かを成し遂げ得て、意欲などない。
ああだこうだと勝手に自分の価値観を押し付けて、他人のこういう部分が気にくわないと、自分の生き方肯定する。それだけ。なんと無意味な。
軍に入ったばかりの海斗と同じだ。なんのために戦っているのかわからない。意味なんてない、ただなあなあと生きればいい。
だって、凄いことは誰かがやってくれる。では、誰が?赤い機体が、群れを抜ける。閃光の如く空を駆け、海を支配する化け物へ飛び立つ。
「カノン!」
『何をぼさっとしている、帰還命令だ』
「だって、お前は!」
『ここからは私個人がやっていることだ』
鋭い剣撃は夜空を煌めき、月光を裂く。一筋の光となり、化け物に剣を突き立てる。血しぶきは赤いシャワーとなり、夜を地獄へ変えていく。
強烈な叫び声を上げて、じたばたと化け物が蠢く。水がさざめき、海が化け物の血を拒む。
胸が苦しくなる、デジャビュだろうか。脳の奥底でいつか見た気がする、不自然なフィルムが流れる。丸々と太った月と夜、起動を描く赤……いや、青。母の面影、街、夢、現、幻。
皆が戦いに背を向けていく中、海斗だけは懐かしい映画を目に焼き付けていた。知っているのに、目の前の景色がどの記憶にも当てはまらない。
ヨルムンガンドの固まった歪な皮膚に、何本も剣が突き刺さっている。目を凝らさなければわからない。てっきり身体の一部だと思っていた。
青いラインと、金色が伸びる長剣。フレイ・リベリオンが常に装備している剣だ。カノンがいつも振り翳す、鉄槌。それがおびただしい数が突き刺さっている。
抵抗を始めたヨルムンガンドが、蜷局を巻き、フレイ・リベリオンを追う。だらりと垂れた髭が硬化し、夜空を舞う赤を刺そうと螺旋を描く。全身を覆う鱗は勢いよく剥がれ、銃弾へ化す。
放たれる攻撃を、カノンは持ち前の洞察力で全て避ける。さらに加速して、接近する。機体から鉄の羽がぷつりと離れ、空を切る。
羽ではない、ビットだ。機体の前方に展開された羽は電子フィールドを張り、全ての攻撃を弾く。
背面に装備されたもう一本の長剣を機体から切り離し、左手に持つ。長剣の真ん中に線が入り、割れる。境を中心にエネルギーが集まり、ビーム状の刃へ変貌する。長剣は機体よりも大きな剣へ姿を変え、青白く光る刃が闇を照らす。
怒り狂った大蛇の顔面に振り下ろされた大剣は、敵の上体をのけぞらせた。
勢いに負けたヨルムンガンドの身体はそのまま海の中へと押し込まれ、質量を受け止めた海から津波にも見たしぶきが上がる。
カノンはきっと、ああやってずっと独りで戦っているのだ。命令をすれば、きっと他の者達も手を貸してくれるのに。
誰にも助けを求めないのは、誰もが勝てると感じていないからだろうか。それとも、他の何かがあるからだろうか。誰もやらないから?そうではない。それが、カノンの理想だから。願った未来を実現できると信じて、戦う。
カノンもまた、この世界の平和を願っている者の一人なのだ。
心のどこかに眠っている風景を必死に思い出そうとしながら、胸元に手を置く。この辺りには、ペンダントをぶら下げていた気がする。だからだろうか、この夜もカノンのことも、どこか懐かしく感じるのは。
カノンは月に似ていると思った。いつも眺めては重ねる、母親の面影。美しい夜の光は慈愛に満ちて、海斗をいつも包んでくれた。その暖かさを知ってしまってから、目が離せなくなった。
「なあ、カノン」
『……まだいたのか』
「倒したのか」
『いいや……倒せるのなら、倒しているさ』
「じゃあ、何で戦ってるんだ」
『ヨルムンガンドの体力を消耗しなければ、活動の間隔は満月以外にもっと活発になる』
「……今よりも、か?」
『……そうだ』
「……でも、倒せると思ってるんだろ」
『いつかは、な。だが、私には無理なのかも知れない』
「そんなの、お前が言ったら誰がやるんだよ」
『……さあな』
泣いている。顔が見えないのに、そう思った。静かになった海は、二人を静かに映していた。
◇
冴えた目を凝らし、海斗は通路に立つ。静まり返った艦内は、夜勤の者を残して闇に包まれている。
通路の窓から外を見る。艦の中でも、外側の通路は外部を見られるように、窓の面積が広くなっている。
眠れない夜は、こうして月を見るのが好きだった。心が落ち着くのだ。まだ、満月が海斗を照らしている。海はすっかりいつもの静けさを取り戻し、月を水の監獄に捕えていた。
何かを思い出せそうなのに、何も思い出せない。先ほどの戦いを見て、海斗の中でずっとひっかかる何かがあった。
大切なことなのに、ずっと心の奥底に封印している、そんな気がしてならない。何を忘れてしまったのだろう。
思い出せそうな気がして、胸元のペンダントをシャツの中から出す。月を見るときに翳すと、光り輝いて海の色になる。深い色合いに吸い込まれそうになり、ペンダント越しに外を覗いた。
ぼんやりと覗いていると、通路の先から足音が聞こえる。音の方向を見ると、シュレリアが歩いてくるところだった。
「海斗くん、何をしているの?」
「え? ああ……シュレリア、さん」
「シュレリア」
「……シュレリア」
「ええ。それで、どうしたの? こんな時間に」
「……寝れなくて」
「そっか……私も」
シュレリアが、海斗の隣に並ぶ。戦闘の後だから、眠れないのだろうか。いや、戦闘などしていないか。あの場で戦闘をしていたのはカノンだけだ。
外を見るよりも早く、シュレリアは海斗が手に持つペンダントに気付いた。
「それって、賢者の石?」
「え? ああ、うん」
「守り石、なんですって」
「知ってる」
「何を守るかしってる?」
「何? 肉体とか?」
「身体じゃないわ。記憶や、想いよ」
くす、と笑い、シュレリアは外を眺めた。月が綺麗、など思っているのだろうか。
目を細め、遠く見ている。きっと海斗では想像もできない、遠くだ。本当はこの景観に見つめるものなんて、ないのだろう。だから、意味もなく遠くを見る。
海斗にとってシュレリアはどこか掴みにくい人物だった。不思議、というよりも揺れ動く天秤のようで、どうすればいいかわからない。海斗の内に入って来るというより、興味を惹いて掴ませたい、そう見えた。
ぎゅっとペンダントを握りしめる。記憶と想い。こんなちっぽけな石がなんだというのだ。仮にそんなものを守る石なのだとしたら、今すぐに、靄のかかった頭の中をどうにかしてほしい。何故、こんなにも胸が苦しくなるのだ。
「嫌い? そのペンダント」
「……わかんない」
「何がわからないの?」
「……それがわからないから、わからない」
「じゃあ、お手上げね」
手を両手に上げて、シュレリアが降参のポーズを取る。降参はこっちだ、どうにもならない気持ちをどこにぶつければいいのだ。
海斗が煮えたぎらない顔をしていると、シュレリアは困った顔で愛想笑いを浮かべた。先生が生徒にする顔だ。そんな顔をさせてしまうと、逆に申し訳なくなる。思い返すと、いつもシュレリアを困惑させているかも知れない。特に彼女が悪い訳ではないのだ。
空気を読んでか、シュレリアが自分の話をしだす。気遣いばかりさせている。
「満月の夜はね、いつも眠れないの」
「なんで」
「……何でかしら、怖いのかも知れないわね」
「怖い?」
「お兄様を失うこと。いつもね、満月の夜には独りで戦ってるの」
「……うん」
いつの間にか、シュレリアの方が辛そうな顔をしている。
やはり、カノンは満月の度に独り、化け物に戦いを挑んでいる。海斗が想像できない程、幾度となく戦っているのだろう。倒せない相手に戦いを挑み続けるのは、辛くはないのだろうか。
それを見守るシュレリアだって、いつ死ぬかわからない兄を見続けなければならないのだ。もし大切なヒトが死んだら、残されたヒトは泣いて暮らさなければならない。海斗の父がそうだった。傍でそれを見てきた海斗にはわかる、誰かを失うことは、辛い。
海斗はカノンではない。こういう時、シュレリアになんと声をかければいいかわからない。できることは、安心させることだけだ。
「大丈夫だよ、多分。カノンは死なない」
「わかってるわよ、お兄様、私の何倍も強いもの。でもやっぱり、私の気持ちは置き去り」
「そんなこと……しないよ」
「……どうして?」
「……カノンは、ヒトの気持ち、大切にしてると思う」
なんとなく、今までカノンと話をしてきて思ったことだ。ヒトの心を置き去りにするようなヒトは、海斗のような他人を気にかけはしない。
ヒトの痛みの分からぬ者が、あんなに部下に慕われるはずがない。そう、海斗の中には確信があった。兄妹の前でこんなことを話すのは、愚直だろうか。
「もし先に逝きそうになったら俺達が守ればいい、あいつじゃないと、あんな化け物倒せないよ」
「……そうね」
曇ったシュレリアの顔が、ほんのり明るくなる。もう長いこと、カノンのことで悩んでいるのだろう。少しだけ、羨ましくなる。
海斗には兄妹なんていない。そういえば、両親はもう他界しているとカノンが言っていたことを思い出す。つまり、カノンとシュレリアはこの世にたった一人の肉親どうし。思いつめて当たり前か。
いつかカノンがやってくれたように、話を聞くだけで、シュレリアの気持ちが楽になるといい。
目を合わせ、そろそろ部屋に帰ろうかと頷いた。
「ねえ海斗くん、ごめんね? 本当は私が海斗くんのお話、聞こうと思ってたのに」
「ううん、大丈夫。だって、辛かったんだろ。そういう時、話した方が楽になるから」
「……ありがとう」