一章
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満月。魔物が活性化し、危険が高まる日。
暗闇を跳ぶ、機体の群れ。三つの小隊が一つになり、中隊として作戦が開始される。中隊としての作戦は、師団の中では特殊なケースだ。故に、カノンが指揮をとっている。
決まって月に一度のペースで実施されるこの任務は、存在する二十の小隊をローテーションで回して組まれる。
満月がくると、いつも海中から化け物がこの世界に顔を表した。月光の中、うねる巨体。蛇でありながら、その生き物と称するには大きすぎて。その姿を見て、誰もが月夜の化け物と呼ぶ。
ヨルムンガンド。この世界最大で、最も長寿の魔物。今まさに海斗の目の前で高らかに天を仰ぎ、雲を衣に魂を食っている。
ヒトが死ぬと、魂のみの存在となって、現世を彷徨う。彷徨った魂は月の満ち欠けに応じてニブルヘイム――地底へいきつき、魔物の食糧となる。
そうして魔物が食べた魂――生きた記憶を抜き取った抜け殻が、魔物の死によりユグドラシルへ返る。この世界の正しい輪廻転生だ。
つまり、魂を食べるというよりは、魂の記憶を食べて、魂を浄化していると言った方が正しい。
しかし何百年も前に、この地上にヨルムンガンドという魔物が海の中に巣食うようになってから、世界のバランスは大きく崩れた。
本来であれば魔族、という種族も存在しなかった。ヨルムンガンドが表れてから、ヒトの形をした魔族が現れたと言われている。
ヨルムンガンドは地上で暴走をし、全ての魂を独り占めしだした。
地底に集まるはずの魂達は何故かヨルムンガンドの元へ集い、地底に住む魔物や魔族は魂に在り着けなくなった。
魂という食料を失った魔物や魔族は、次第に人間や天族を襲いだした。自らの食料を得るため、戦争のはじまりだ。
この昔話は、軍の全てのヒトに必要知識として教えられる。けれど、疑問が残る。
「なんで倒さないんだ」
海斗は素朴な疑問をカノンに投げかける。カノンと海斗は今日初めて、最初から共に作戦を遂行する。カノンが隊長機として出撃するのは、実は稀だった。それにしてはいつも戦闘に出ているイメージがあるのは何故だろうか。深く考えないでおこう。
海斗の質問に、カノンは律儀に音声通信で答えた。
『倒せるのであれば、とっくの昔に倒している』
「それは……たしかにそうだけど」
『……倒せないのだ、やつは』
「なんで」
『刺しても刺しても倒れない……何度も試したさ』
「……カノンでも倒せない敵っているんだ」
『非常に屈辱的だがな』
音声だけでも、納得のいかない顔をしているカノンの様子が思い浮かぶ。
最近になって気付いたが、この男は相当負けず嫌いである。先日、仕事の息抜きにとカノンをトランプへ誘ったのだが、ババ抜きで負けただけで口を尖がらせていたのを思い出す。
その後再戦をして無事に自分が勝利すると、何事もなく仕事に戻って行った。なお、一度負けたことに関してのカノンの台詞は、「ババ抜きなど運が左右するもの私は認めない」だった。
勝つと満足していた癖に、どの口がいうのだろう。知れば知るほど、出会った頃の印象とはどんどんかけ離れていく。無愛想で冷徹な男かと思っていたが、そんなことはなかった。
些細な気付きも、海斗にとっては面白い発見だった。
そんなカノンが倒せない敵、となると、相当悔しいはずだ。内心では絶対にいつか倒してやる、とでも思っているだろう。
「なあ、何と戦うんだ」
『戦うのではない……監視だ』
「監視?」
『奴の周りには魔物が集まる。その魔物達が街に危害を加えないかを監視する』
敵がいるのに、見ているだけ。後味の悪い仕事だ。
中隊がヨルムンガンドの前方に到着し、各機がフォーメーションを取る。ヨルムンガンドとその周辺の魔物を、ぐるりと囲む。
魔物が辺りに危害を加えないよう、本当に監視しているだけ。何もできない、もどかしさだけが募る。
普段は見えない魂が、数を重ねて青白く光る。
歓喜の雄叫びを上げながら、それを喰らう大蛇。そこに、おこぼれを頂こうとする魔物の群れ。地獄絵図だった。
遠巻きにヨルムンガンドと比較すると、以前退治した大きさの魔物達が米粒に見える。魔物が米粒なら、エインヘリアルなんて埃か何かだろう。
時折食事の邪魔をする他の魔物を、ヨルムンガンドは大きな口で肉ごと噛み砕き、命を奪う。
不要な肉は海へ吐きだす。魔物は人間や天族、動物などの生き物と違って、体内で食べ物を消化できないと言われている。恐らく体内の構造が違うのだろう。
巨大な蛇が動く度に海が荒れ、大きな波を起こす。月を背景に、黒く長く空へ伸びる化け物は幻想的でありながら、あまりに残酷な光景だった。
倒せればいい。しかし、この姿を見て倒せるとは、到底思えない。
「……倒せるのかよ、あんなの」
『……倒す、いずれは』
「倒すより先に寿命が尽きちまう」
『弱気だな』
「だって」
『奴を倒さなければ、この戦いの根本は解決しない』
カノンの声を亡き者達の子守唄とし、魂がただ浪費されていく様子を見守る。生まれ変わると信じて死んだ者達は、どうやって報われよう。
ヨルムンガンドが死ななければ魂は解放されない。輪廻転生が行われない。倒さなければ、魔族だって正しい生態系を保てないだろうに。
「なんで魔族は、奴を倒さないんだ」
『諦めたんだ』
会話に、レオンが入って来る。個通なのに、どこから聞いていたのだろう。
「諦めた?」
『あいつらはカノンさん達が奴と戦ってる時に、奴に敵わないと思って、俺達を裏切ったんだ。だから俺達がやらねえといけねえ』
レオンは一時補給のハズだったが、満月が近いため、彼も一時的に戦列に加えることとなった。戦力としては申し分ないが、海斗としては如何せん面白くはない。
急にライバルとして勝負を挑まれ、おまけに「カノンさんには近寄るな!」と何故か喧嘩腰。自分が何をしたというのだ、海斗は小首をかしげる。
この会話もレオンからすれば、不愉快なのだろうか。自分の方がカノンを知っている、とでも言いたげに会話を勝手に進める。
『レオン、勝手に入ってくるな』
『でも、このチビ全然わかってないじゃないっすか』
「だ、誰がチビだ!」
『テメェ意外に誰がいる』
敵意を向けられた上に、チビとは心外だ。海斗は確かに背が小さいが、これから伸びる予定だ。小さいとは言わせない。十八歳はまだ伸びる。
売り言葉に買い言葉、「デコスケ」と言い返すと、今度はレオンが反発して騒ぎ出す。格好いいと思ってオールバックなのだろう。
海斗からすれば、前髪を後ろに撫でつけてオラオラしている奴は、柄が悪く見えるだけである。できればお近づきにはなりたくない。通信で海斗をレオンが揉めだすと、カノンが咳払いをして会話を中断する。
『任務中だ』
『す、すんません』
「ごめん……」
怒られた途端に静かになる。まるでカノンに飼われている犬のようだ。静かになった機体の中でバーニアや空気噴射の音が響き、ごうごうと鼓膜を揺らす。
化け物の食事は、もうすぐ終わりそうだった。辺りの魔物は数を減らし、食事を出来たものだけがヨルムンガンドから逃げるように去って行く。
どれも敵意はなく、エインヘリアルの間をすり抜けていく。
「こいつら、襲ってこない」
『満たされているんだ。……この魔物達は、普段地上に隠れ住んでいる魔物だ』
「退治しないのか?」
『今はこの魔物達が、輪廻転生の軸になっている。私達が討伐しているのは、増えすぎた魔物やニブルヘイムから新たに来た魔物。或いはイレギュラー』
「地底の魔物や魔族は、自然に命を失った魂を食えない……」
『ヨルムンガンドがいる世界には、今の状況が皮肉にもバランスがいい……。これ以上食事の邪魔をするものがいれば、恐らく満足しないだろうな』
「満足しなければ、地上のヒトが襲われる?」
『ああ……そうなればただの虐殺と等しい』
「……どうにかできないのか」
『どうにかするために、戦っているんだ』
不毛な争い。この世界を正すために戦っているのに、それを妨害するものがいて、さらに争いになって。戦いの原因は共通なのに、何故手を取り合えないのだろう。皆、生きるために戦っているのに。
以前戦った魔族だって言っていた。この戦いを終わらせるために戦っていると。平和への手段が異なる種族では、手は取り合えないのだろうか?
疑問が残る。魔族の真意がわからない。
周囲を見渡すと、レーダーに危険そうな反応はない。
ヨルムンガンドが海の底に戻ろうとする。重量のありそうな身体を動かす度に、世界は痛いと悲鳴を上げ、地震を起こす。
そういえば、満月の夜は、いつも大きな地震が起きていた気がする。地震の正体を知らない昔の海斗は、いつもびくびくと机の下に隠れていたものだ。
すっきりとしない気分で巻き起こされる天変地異を見つめていると、カノンが合図をする。
『これより帰還命令を出す。各機、周囲の状況に気を配り、艦へ戻ってくれ』