一章



 ◇


 夢を見た。またあの夢だ。幼い頃、母の墓前で立ち尽くす夢。

「……海斗」

 声がする、聞き覚えのある声。いつもは思い出せないのに、今ならわかる。低くて優しい、海斗の耳をくすぐる声。幼いあの日、母と父と、もう一人、守りたかった相手。

(――カノン)

 黒いスーツを身に着けたカノンは、空の涙で濡れていた。そうか、彼は最初から海斗を知っていた。だから海斗を、気にかけていたのだ。
 地面に膝をついたカノンが、海斗にゆっくり語り掛ける。

「君に渡すものがある」

 母が持っていたとされるペンダント。賢者の石、形見。何故、忘れていたのだろう。こんなに近くに、大切だと思ったヒトがいたではないか。
 いつものように、カノンが海斗にペンダントを渡し、優しく頭を撫でてくれる。

「海斗、お前は軍人には……」

 今まで思い出せなかった夢の続きが、わかる。
 「軍人にはなるな」と言葉が紡がれる。カノンは最初から、海斗が軍人になるのを望んでいなかった。答えは簡単だ。戦いから遠ざけるため。
 言葉と同時にペンダントの石が光る。

(待ってくれ、俺はまだ――)

 知りたいこと知れていない。何故カノンは海斗を気にかけてくれていたのか。何故悲しそうな顔をしているのか。何故、カノンを大切だと思うのか。


 ◇


「――!!」

 咄嗟に目が覚めて、海斗はベッドから飛び起きる。遠い記憶、夢の跡。夢の中で声を出そうとして、出せなった。

「何、で……」

 ずっと夢の中で曖昧な誰かを探していた。思い出そうとする度に思い出せない、それでもはっきりと大切なヒトだと理解できる相手。それがまさかこの艦の総司令で、上官で、よりにもよって。
 カノンは海斗のことを覚えていて、軍人になった海斗を気にかけていたのだ。そしてカノンは恐らく、海斗の家庭内事情も知っている。以前父のことを聞かれたことがあった。父が軍人だったことや、母の葬式に来ていた点も踏まえ、交友があった可能性は十分にある。
 
 それなのに、自分は忘れていたなんて。まだ「何故カノンを知っているのか」すらわからないのに。

「最低だ、俺……」

 今まで守ってもらっていた。海斗は彼に何ができただろうか。答えが出ない頭を掻きむしって、ベッドまた横になる。

 身体がへとへとで、重たくて仕方がない。戦いのせいだ。それから、システムのせいだ。そもそもあのシステムは一体何だ。運動性が上がるのはいい、相手の動きを予測できるのもいい。いいこと尽くめだ。
 だが、こんなに疲れるとは。操縦と同時に脳を弄られたような感覚。記憶を思い出せたのはシステムのせいだろうか。
 いや、まさか。……いい加減に起きなければ。

 今日は先日の戦闘もあり休みだ。しっかりと休みをくれる仕事は、嫌いではない。同室のロウは海斗をねぎらってか、艦のどこかで好きにしているようだ。
 重たい身体をなんとか起き上がらせ、時計を見る。時刻は昼を過ぎた辺り。ギリギリまだ食堂で食事を提供している時間だ。昼食にしては遅い気もするが、食べなければ身体が持たない。
 軍服に袖を通し、部屋を出る。特に慌てた様子もなく、艦内は落ち着いたものだった。廊下をのろのろ歩く。食堂に歩いていくうちに、金髪の女性とすれ違い、声を掛けられた。

「あれ、君が赤羽海斗くん?」
「はい?そうですけど」
「私だよ私~、ってわかんないか」

 ふにゃ、と気の抜ける笑みを向けられる。赤い軍服、佐官だ。腰まで伸びた金髪が見事である。頭の上に結ばれたリボンが可愛らしい。声はどこかで聞いたことがある。どこだっただろう。本当に記憶力が悪い、と海斗は自分に困り果てる。

「えーっと、どなた、ですか」
「さて、誰でしょう?」
「ええ……」

 誰だか聞いているのにまたクイズを出されてしまった。雰囲気が独特すぎる。天然なのか、それとも自覚があるのか。なんとか頭の中のいろんなヒトを思いだす。
 困っていると、奥からカノンが歩いて来る。こちらに気付いたカノンが、二人に声をかける。助かった。答えを教えてくれ。

「あれ、カノンちゃん」
「……その呼び方はやめろ。エイミ、あまり新人を困らせるんじゃないぞ」
「はーい」

 エイミ、そうだ。どこかで聞いたことのある声だと思った。先日の戦闘で第二小隊の隊長を務めていた。こんな美しい女性があの厳つい機体に乗っているのか。いや、この艦にギャップはつきものだ、最初の頃に散々思い知らされた。

「海斗くん、この前の戦闘凄かったよねぇ! 改めて、ありがとう」
「あ、いえ……」
「改めて紹介しよう、第二小隊の隊長、エイミ・リンドブルム中佐だ」
「ふっふっふ、よろしくね?」
「あ、はい……」

 エイミから手を差し伸べられたので、とりあえず握手をしておく。彼女の手を握ったら、手をぶんぶんと振り回された。恐らくこれは無自覚。

「エイミ、そのくらいにしてやれ、本当に困っている」
「え? ほんと? ごめんね?」

 特に悪びれた様子もなく、辺りに星が散りばめられそうな謝罪である。少女漫画であったら綺麗なトーンが貼られていたのだろうが、残念ながら現実は少女漫画ではない。
 「先に食堂に行ってるね!」と残し、エイミが去って行く。何故か食堂に行き先を固定されてしまった。いや、確かに食堂には行こうとしていたが。
 海斗がぽかんとしていると、カノンは申し訳なさそうな顔をしていた。この男でもこんな顔をするのか、面白い。

「ああ、すまない……天然なんだ」
「それは……なんとなくわかった」

 二人でエイミの背中を見る。後ろ姿は可愛らしかった。金の長髪にリボン、それは可愛いに決まっている。
 残された海斗とカノンは、歩きながら会話をする。カノンの手元には書類。いつも紙束か電子端末を持っているイメージがある。忙しそうだ。
 廊下で出会うのは初めてかも知れない。……海斗がいつも同じ場所にいるためだが。
 目的地はどこなのだろう。紙束を見るからに、執務室だろうか。話を聞くに、カノンは時間が空けば各部署に様子を見に行ったり、書類のやり取りに行ったりしているようだった。上官なのだから執務室に呼び出せばいいものを。

「その、この後は」
「仕事だ」
「うへぇ、仕事の鬼」
「お前は、食事か」
「うん、遅いご飯」
「……海斗、調子は」
「ぼちぼち」
「良くも悪くもなく?」
「さっき起きたばっか」
「そうか」

 軽い会話。まるで不器用な親子だ。しかし、今の海斗にはこの関係にどこか安心感があった。心の奥底で、自分の憑代になってくれるヒトを無意識に探していたのかも知れない。
 だから、簡単な会話だけでもいいのだ。気にかけてくれているという証拠。繋がっていてくれるという期待。それだけで、気持ちの暴走が減る。

 たった一人、いてくれるだけでいい。
 話すために歩いていると思える速度で、ゆったり歩を進める。海斗の歩調に、カノンは合わせてくれているようだった。

「そっちは、もうご飯食べたの」
「ああ、早めに済ませた。今日は客が来る予定だからな」
「客?」
「そう、お客様だ」
「ふーん」
「今日まで非番だろう、お前は好きに過ごすといい」
「うん」

 好きに過ごす、と言ってもどうにも思いつかない。いつからだろう、休みを過ごすのが下手になった。働いているからか。
 ヒトは仕事をしだすと、趣味を忘れるという。仕事の時間が多すぎて、うまく趣味の時間が確保できないからだ。
 この軍は一応休みという概念もある。だが、何故だろう。好きなことに集中できない。今までやっていた好きなことから、目移りしているのだろうか。何をするでもない、カノンと話をしている方が、満たされる。

「な、後で執務室行ってもいい?」
「構わんが……相手は出来んぞ」
「客のせい?」
「まあ……そうだな。なのでお前と会話をする時間は限られる」
「いいんだ、俺がそうしたいだけだから」
「……そうか」

 空間を共有しているだけで、喜ばしい。すると、きょとんとした顔で、カノンが海斗を見る。何か言いたいが何も言い返せない、そんな様子だ。 
 最近、カノンも豊かな表情を持っていると気が付いた。観察とは長く続けるものである。他者の理解に、こんなにも役に立っている。
 お許しも出たことだし、仕事の手が空いたときに話相手になってもらおう。「じゃあまた後で」と別れようとして、ふと次の言葉を考える。
 カノンは、今の海斗をどう思っているのだろう。

「なあ、カノン」

 自分でも驚く程自然に、海斗の口が目の前の相手の名前を呼ぶ。

「――どうした」
「カノンは、俺のこと最初から知ってたんだろ」
「……どういう、意味だ」
「俺達、知り合いだったんだろ、思い出したんだ。お前が母さんの葬式にいたこと」
「……」
「母さんは……赤羽エミリアは、知り合い?」
「……ああ、そうだ」
「父さんとも?」
「……そうだ」
「なあ、俺とお前って」

 海斗とカノンは、一体どんな関係だろう。幼い頃から知っていて、大切だと思える存在。

「俺とお前って……運命?」
「……」

 沈黙。何か間違えたかも知れない。カノンはいつもの無表情を浮かべた。やめてくれ、今その顔は堪える。

「海斗、お前はナンパにでも目覚めたのか?」
「は、」
「もう少し面白いジョークが思いついたら聞いてやろう。運命などない、他人の空似だ。そんな非科学的な現象は信じるに値しない」
「な、決めつけんな!」
「はいはい。私の決めつけだな、決めつけ」
「だから!」

 カノンは呆れた仕草でため息をついた。顔を赤くした海斗を尻目に、早歩きで去って行く。

「おい! カノン! 待てって!」
「待たん、さっさと飯でも食ってこい」
「くそっ! 後で執務室に行くからな!」
「不埒な輩は来ないでよろしい」
「聞けって!」

 廊下で大声を出したが、そのままカノンは聞こえないふりをして行ってしまった。
 ……変なこと、言わない方が良かったかも知れない。
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