一章
機体が呻く。鉄と鉄とが軋む音。コックピットの半導体が、ぐおんぐおんと機動する。
そういえば、すっかり忘れていた。仮想ALIVEシステム。システムは機内のモニターにさまざまな情報を表示し、急速に何かを演算処理しだす。
同時に、海斗の胸元が光る。
「な、何だ……!?」
光の正体はいつも持ち歩いているペンダントだった。システムと呼応しているのか。
光が収まると、咄嗟に取るべき動きが頭に浮かんでくる。否、流れ込んでくる。
力いっぱいに操縦桿を押し倒す。敵を押し返し、足元のペダルを踏んで空へ飛ぶ。
機体が軽くなった気がする。気ではない、明らかに運動性が上がった。
炎が空中にいる海斗に向けて放たれる。炎の不規則な動きも全て理解できる。避けるには後ろに下がって、それから、下にもぐって接近をして――。
目まぐるしく竜の目がこちらを捕える。急に動きが変わったため、困惑している様子だ。
避けられる。今までにない程頭がクリアだ。操縦する手首はしなやかに跳ね、足は軽やかにステップを踏む。海斗がアクションを起こす度に、エインヘリアルが自分と一体になったように動く。
誰よりも速く全てを掻い潜り、喉元にタックルを仕掛ける。牙がびっしりと生えそろった口から嗚咽が上がり、竜が仰け反る。喉元を槍で切りつけ、今度は血しぶきが上がる。弱点も見える。目、喉、腹、心臓。
機体頭部のカメラに血が跳ね返る。視界が悪い、それでも敵が見える。
切っ先を心臓に向ける。肉がぐちゃ、と割れる音。ひときわ大きい悲鳴が辺りを震わせる。巨体がずしり、崩れていく。
巨人が歩を下したのかとでも思う程、地面が揺れた。空は、薄ら茜色。
海斗は肩を上下させた。熱の籠る機体内部は、肺を熱くさせる。システムが静かに消えていく。役目を終えた、と言いたげだ。
途端に静かになったコックピットが、大きく揺れる。今度はなんだ。
「うっ、く……!」
『へえ、やる奴もいるんだな』
襲撃だ。魔族の操る機体から、遠距離で攻撃をされたようだ。魔物を倒したからと言って戦いが終わるわけではない。魔族がまだ残っている。
上空から機体がゆっくり、降りてくる。右手にはハンドガン、左手には剣。長い剣はどこかで見た赤色の機体を思い出す。目元は緑。黒をベースにした機体を青のラインが鮮やかに彩り、蝙蝠に似た羽は目障りな悪魔だな、と海斗は疲れた頭で思考する。
まだ、赤の方が馴染みがある。対抗しようとしてみたが、そうとうな負荷がかかっていたのか、機体が上手く動かない。
『でも、もう俺と戦う体力なんて残ってないよな』
「は……嫌な奴だな、お前」
魔物にヒトを疲れさせておいて、自分はその後疲労困憊の敵を殺して終わり。卑怯な戦い方だ。だが、実際にもう戦える程の気力が残っていない。
敵が銃口をこちらに向ける。小型のハンドガンだ。コックピットを撃ち抜かれれば、間違いなく死ぬだろう。
『あんた、赤い機体を知っているか』
「赤?」
『まるで返り血を浴びたみたいな、赤い機体。俺達はベルセルクって呼んでる』
「……知ってたら?」
『情報によってはお前を生かす』
「残念、知ってても教えないよ」
『つまんないな、お前』
赤い機体。きっと、カノンのことだろう。一体なんの用があるのだろう。無様に死ぬのに、上官の情報まで漏らして溜まるか。
海斗は、疲れて目を閉じた。今できる事はもう、何も残っていない。約束もきっと果たせた。エイミを守れた。
『俺の名前はディース、あんたは』
「名乗ってくれるんだ」
『冥土の土産だよ』
「いらない」
『……お前、むかつく』
目の前の機体が、ハンドガンのトリガーに手をかける。ヒトが手に持つよりずっと大きくて、広い銃口。すぐに弾が撃たれるだろう。
さようなら、世界。銃撃の音。装甲がはじけ飛ぶ。
「っ、」
目を開く。生きてる。今撃たれたのは海斗ではない。
よろめくディースの機体。上空を見上げる。希望の空に、赤。
真っ赤な、機体。敵と同じくハンドガンを右手に構え、左手には長剣。凄い速度で振ってくる。
身体が耐えきれない馬鹿みたいな速度で、精密に遠距離射撃を当てるヒトなんて、海斗の知る限りこの世に一人しかいない。
「……へっ、いいとこどりかよ」
ぼやいているうちに、降下してきた機体は勢いよく着地し、先ほどの巨大なドラゴンよりも激しく大地を動かす。
降下の速度で横滑りした機体は土煙を上げ、長剣をブレーキ代わりに地面に突き刺し、がりがりと地を削りながら止まる。誰も真似しようとしない、無茶苦茶で精密な操縦。
一気にその場の空気が変わる。ゆったり立ち上がった真紅の機体に、敵が慄く。
『第一師団総司令、カノン・グラディウス少将である。これより戦闘に参加する』
『赤……お前が、ベルセルクか!』
『なんだ、また私のファンか?』
苦笑いをしているであろう、カノンの冷めた声がスピーカーから漏れる。もう少し早く来てほしかった、と思うが生きているのでよしとする。
ディースの機体が、カノンへと飛び掛かる。剣と剣がぶつかり合う。敵の剣を受け止めると、赤――カノンの操るフレイ・リベリオンが足蹴りをし、鍔迫り合いをしている敵を蹴り飛ばす。この男の頭の中にはきっと騎士道精神だとか、そんな綺麗なものはないのだろう。
突然の蹴りにふらつくディースに、カノンは斬撃をお見舞いする。鮮やかすぎて目で追うことも出来ない。
耳を刺す音が鳴り、黒い頭が吹き飛ぶ。どうやら間一髪で避けたらしい黒の機体は、コックピットのハッチを開けて視界を確保する。
頭を破壊されるとモニターが遮断される部分は、どのエインヘリアルも同じなようだ。
操縦者は、前髪で左目を隠した男。年頃は海斗と同じくらいだろうか。いや、魔族も人間と同じ歳の取り方とは限らない。ディースは操縦桿を握り、慌てて後退をする。
『くそ、ふざけやがって!』
『……次は? 終わりなのか?』
『へっ、余裕ぶっこいてる場合かよ。てめぇがここにいるってことは戦艦は今頃囲まれてるぜ』
『ああ……それの対処を他の部隊としていたため、ここに来るのが遅くなってしまってな』
『そんな、馬鹿な……!』
戦艦が囲まれている、いや、過去形か。囲まれていた。敵の狙いは戦艦だったのだろうか。だが、どうやら敵の作戦は失敗したようだ。
『ディース、撤退だ!』
ディースの背後から、もう一機、敵機が現れる。紺と金の混じりあう、細身の機体。この作戦のリーダー機だろう。身軽で運動能力の高そうな機体だ。一挙一同、優雅な動きは気品すら感じる。足蹴りなんてする少将にも見習ってほしい。
『でも!』
『今回はここまでだ、王に言われたことはやったさ』
『まだ戦える!』
『お前じゃあ、あれには勝てない』
『……っ』
ディースが悔しそうに赤を睨む。魔族も、あんな顔をするのか。海斗がモニター越しに見たディースは、他のヒトとなんら変わりがない風に見えた。
『待て、今更現れて何が目的だ』
カノンが、敵を静止する。
『……戦いのない世界』
『何……?』
それだけ発すると、敵が上空へ飛び立つ。リーダー機が腕を天高く上げ、腕部から空砲を発射する。それを合図に、周囲の数機がわらわらと引き上げる。魔物は、地べたで全て命を散らしていた。血なま臭い惨状だ。
味方の機体が、去って行く軍勢を眺める。ぽつりぽつり、誰かが言葉を零す。
『勝ったのか……?』
『終わったんだ……!』
通信も回復した。南の方角に、こちらへ向かってくる救護隊を発見する。無事に任務は完了したらしい。
海斗もまた、緊張を解く。ヒトとの混戦もあった、それでも死ななかったのは海斗にとっては大きな進歩だ。
救護隊が近くに着陸し、動けない機体を収容していく。その中には、ヘルモーズも含まれている。通信で「ありがとね、海斗くーん!」とふにゃふにゃした礼を言われた。
シュレリアの機体、フレイアは傷こそついているものの、目立った外傷はなかった。
ロウや彩愛が心配になり、辺りを見渡す。二人もまた、無事なようだった。
安心して椅子に伸びていると、フレイ・リベリオンがこちらに寄ってくる。そうだ、海斗の機体も動けないのだった。コックピット内に映像通信が表示され、穏やかな顔をしたカノンが写った。
『……感想は』
「しんどい」
『はは、そうだな……。一番大きいのを倒したそうじゃないか』
「まあね」
海斗が偉そうにふんぞり返ると、カノンもまた、静かに笑った。以前の戦闘後より、今日は清々しい気分だ。
何をするのだろうとカノンの機体を眺める。ふわり、一瞬浮いた感覚。機体と機体がぶつかる。フレイ・リベリオンの肩にかつがれている。もう少し丁寧に扱ってはくれないだろうか。
「ちょっと雑なんじゃない?」
『我慢しろ、引きずられた方がよかったか?』
「勘弁」
減らず口を叩くと、会話が止まる。少し生意気だっただろうか。一拍おいて、再度カノンが口を開いた。
『……赤羽海斗』
「なに」
『エイミを助けてくれたこと、例を言う』
「どういたしまして」
仲がいいのだろうか、ともかく助けられてよかった。この男に礼を言われるとむず痒い。続けて、カノンは大切なものを愛でるように言葉を紡ぐ。
『それから』
「なに」
『……海斗、良くやった』
「……うん」
簡単な言葉だけで、胸が温かくなる。使い果たした心が満たされていく感覚。嬉しくなり、海斗から自然に照れくさい笑みが零れた。