一章
◇
「少し、あの子に甘すぎるんじゃないの」
千怜がカノンに投げかける。甘い、とは特に思っていない。しかし、気にかけているのは確かだ。
「部下の気持ちを考えるのは、大切だと思うが」
「それにしても、いつも以上に甘いわよ」
「チョコよりは苦いさ」
「そういうとこ、嫌いよ」
「ユーモアも大事だぞ」
お堅い准将は冗談が通じない。つまらないと時々思う。自分も堅い人間であるとカノンは自負しているが、それにしても何もかもを否定されてしまったら言葉に詰まる。その真面目さは彼女のよさでもあるのだが。
座りながら、ぼんやりと考える。そんなに、海斗に対して甘いだろうか。だとしたら、かつて自分を育ててくれた上司の子供だからかも知れない。
赤羽・エミリア。それがカノンの上司の名前、以前この艦を指揮していた司令の名前。叔母であり、海斗の母でもある。つまるところ、カノンと海斗は従兄弟になる。
父の姉。気さくで、どんなこともへらりと笑い飛ばし、安心感のあるヒト。今のカノンがあるのは、エミリアのお陰だった。
憧れた彼女の背中を追っていた。彼女も戦いの中で守りきれず、死んでしまったのだが。
負い目を感じているのだろう。戦いの中で、海斗から母親を奪ってしまったことに。だから、こんな親の真似事でもしているのだろうか。苦笑する。
「……独りよがりだな、私も」
「……は?」
「誰かのためと思いながらも、結局は私もエゴイストだ」
「ヒトは皆、エゴイストでしょう」
「……そうだな」
「貴方が以前、私に言った言葉よ。道に迷ってお忘れで?」
「はは……お前は本当に、真面目だ」
「悪口?」
「まさか」
そうだ、千怜もまた、エミリアの部下であり、同時にカノンが導いたヒトの一人であった。
迷っていたのかも知れない。また他人を傷つけてしまったのではないかと。勝手に考え込むのは悪い癖だ、何度言っても自分の癖など直らない。それを部下に指摘されるのは、まだまだ未熟な証拠だ。
対して温めていない椅子を立ち上がる。司令椅子のいいところなど、クッションが柔らかいことぐらいだ。
「少将」
「救護の準備は」
「小型の輸送艦の準備をしているわ。物資等に関しては積み込み中。輸送艦の警備に他の小隊を割り当てて、後四十分程で出れるかと」
「わかった」
千怜が手元の電子端末を覗く。こういう時、千怜の補佐能力は本当に頼りになる。後は少しヒステリーな部分だけどうにかして欲しい。
端末から視線をずらし、千怜は険しい顔でカノンを見た。
「今回の件、どうお考えで」
「敵の狙いは恐らくこの艦だ」
「天界ではなく?」
「上が狙いならとうの昔に攻め入られている」
「この艦ではなく、小隊が狙いだったら?」
「それはない」
「なぜ?」
「小隊を潰しても無意味だと、奴らは知っている」
「貴方が死ねば、奴らは舞い上がるでしょうけど」
「……私が先行して叩く。救護は少し待たせてくれ」
小隊は例え全滅したとしても、若い番号の小隊が繰上げされ、補充される。まるで使い捨ての道具のように。それがこの軍の決まりだ。常にこの部隊は戦い続けなければならない。
嫌な決まりだと、カノン自身も思う。戦うヒトが必要とはいえ、ヒトは消耗品ではない。誰もが世界に存在しており、生きている。軍人だけではない、この世界のヒト全てが。ヒトの命を預かっているのだから、指揮を間違えれば多くのヒトを泣かせる。
自分の背に、世界中の多くのヒトの命が重くのしかかっている。カノンの中で、それが怖くて辛いものだという感覚は麻痺してしまった。いや、麻痺させているのかも知れない。一々感情を動かしていては、自分が押しつぶされてしまう。
出入り口に、歩みを進める。可愛い部下たちの命を守らなければ。後から送る援護は、たった一人でいい。
「……またご自身で出られるので?」
「何か問題でも」
「……確かに少将の戦力は高い、個人でほぼ一個師団の戦力に匹敵する。あなたがいるだけで戦場は変わる」
「ああ、敵の注意を引いて蹴散らすには適任だろう?」
「否定しないの、本当に嫌な奴」
「優秀すぎるのでな」
「総司令官の仕事は指示を出すこと」
「指示を出しながら戦えばいい」
「そんなの貴方以外にできません」
確かにそうだ。前任の司令官のエミリアも、出撃しながら指揮を出す無茶なんて一回しかやっていない。その一回で死んでしまったが。
カノンの行動は極めてイレギュラーだ。しかしイレギュラーな対応が定着してしまえば、後任の司令も同じことをやらなければならない。
カノンの後任は現在副指令の千怜だ。彼女に“同じことをやれ”とは流石に気の毒だ。だが、自分が出撃して命を守れるのであれば、それでいいと考えてしまう。極めて自己犠牲的な考えに見えるが、カノンにとっては自ら選んだ最善の選択だ。
「次からはできる限り座っていよう」
「嘘ばっかり、どこに座るの?」
「さあ?」
「……自分で嫌われ役をやる必要など、ないわよ」
「……いいや、必要はある」
「負い目を感じる必要だってないわ。エミリアさんが死んだのは、貴方のせいじゃない。戦いに身を投じる必要なんて、ない」
「……どうしてそう思う?」
「付き合い、長いもの」
「お前達には助けられてばかりだよ」
「私は貴方が嫌いだけれど」
「知ってるさ。付き合い、長いからな」
左手をゆらゆら、振る。後ろからそんな姿を見た千怜は、どう思っただろうか。軽蔑しただろうか。いや、今さらか。真面目な振りをして、本当は真面目でもなんでもない。
エミリアと一緒だ。自分の立場から逃げて、世界のために死に急いでいる。気付かないうちに、背中を追いかけてしまったのだろう。だから、海斗にも優しくしたくなかったのに。また辛い思いをさせてしまう。
「少将」
「まさか、止めるのか?」
「今さら止めないわよ。どうせ出る癖に。止めるだけでいかないなら、何度だって椅子に座れと言うわ」
「それはすまない」
「何を悪びれもなく……。そんなことが言いたい訳ではないわ。帰ってきたら残った事務処理をしなさいよ」
出撃前に嫌なことを聞いた。また紙束と睨めっこだ。
「もっとマシな台詞は言えないのか」
「では……できるだけ早めに帰ってきてください。私の胃薬の量が増える前に」
「……了解」
軽薄な笑みを浮かべ、カノンはブリッジを後にした。口ばかり達者だけど、皆自分を持っている良い部下に恵まれたものだ。出る瞬間に聞こえた「まったく……」という言葉は聞いてない、聞こえてない。