一章
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海斗が軍に入って、いつの間にか春も中旬。
今は非番だ。小隊ごとに交代制でパトロール任務を与えられるが、それがない時は自由時間となる。何もない時は自主的にトレーニングを行うか、娯楽部屋で遊んでいる。
毎日のシュミレーション訓練は相変わらず続けていた。
どうにも、やはりカノンに負けるのは悔しいのと、実力を早く身に付けたかった。今はただ追い付く、自分なりの目標だ。
きちんとやっている理由はもう一つあった。認められたい。正確には、きちんと自分を見て欲しい。今まで海斗の内心と真剣に向き合ってくれるヒトなんて、いなかった。
一度は否定された。違う、叱られた。お陰で真剣に戦う意味を考えることにはなったが、今となっては感謝している。カノンなら海斗を否定しない、見捨てない、いなくならないと心のどこかで期待してしまっている。
向き合うために、頑張ってみたいと思った。単純かも知れない。だが今までにないくらい、心は穏やかだ。
訓練は、昼間にやることもあれば夜にやることもある。夜にやると、決まって素敵な教官のおまけつきだった。
今は、トレーニングルームでひたすら筋力を鍛えている。ランニングマシンの上で真剣に走る海斗は、新人にしては好ましく見えるだろう。熱心な新人だ、と。ついでに白いTシャツは爽やかなアピールができる気がする。
トレーニングルームでは、幅広い筋力トレーニングを行える。スポーツジムで見たことある、というものから、深夜の通販番組で見たことあるものまで、さまざまな器具が揃っていた。
「ふう……」
トレーニングも終わったところで、一息。部屋のベンチに座る。タオルで汗を拭き、スポーツドリンクを飲む。
周りに仲のいいヒトは特にいない。吹っ掛けてくるヒトはいるが。
先日の出撃で、海斗はどうやら有名人のようだった。それもそうだ、少将であるカノンに喧嘩を吹っ掛けた挙句負けて、その次の出撃では魔物をほとんど一人で駆逐。
「お調子者」から「生意気くん」など既に色々なあだ名が着いていた。
誰かこの後暇そうな奴はいないか。知り合いの顔を思い出す。第二小隊はただいまパトロール中。ロウは忙しい。
彩愛はシュミレーション訓練を一人でやりたいと言っていた。女の子を筋トレに誘うのは流石に気が引ける。
初日に知り合った庄平は……知らない。声をかけてみたが、なんだか怪しいビデオを部屋で見ている。正直怖い。
カノンは仕事中。事務仕事で忙しいらしい。椅子に座っているのが苦手と本人は語っていたが、律儀なもので昼間は大抵椅子を温めている。
もう一度筋トレをするか思ったところで、艦内にアナウンスが鳴る。メルの可愛らしい声だ。
『緊急事態、緊急事態。第一小隊は直ちにブリッジへ集合せよ』
アナウンスを聞き、海斗は椅子から立ち上がる。脱いでいた軍服を身に付け、ブリッジへ走った。この艦に乗ってから初めての緊急任務だ。
一体何があったのだろう。トレーニングルームからブリッジは少し遠い。
艦内を走っていると、知らない軍人に「頑張れよ!」と応援された。有名人は困ったものだ。適当に返事を返し、前を向く。
ブリッジに到着すると、既に他のメンバーが揃っていた。ずらりと並ぶ第一小隊の面々。
ブリッジの指令椅子には珍しくカノンが座っていた。そうだった、彼は総司令だ。指令椅子の本来の主は少将のカノンである。
「アジアエリア、エリアTにて第二小隊が大型クラスAの魔物と遭遇。援軍要請後、出撃中の第二小隊と連絡が途絶えている状況だ」
カノンの淡々とした現状報告に、ブリッジの第一小隊がどよめく。第二小隊に所属しているロウは大丈夫なのだろうか。
エリアT、すなわちチャイナエリアだ。あの辺は山岳地帯が多い、戦いにくい地形だ。
大型となると、ドラゴンが予想できる。さらにクラスがA、かなりの強敵だ。
魔物にはクラスがD、C、B、A、Sで強さを分けられている。このクラスは軍が独自に判断したものだが、大きさ、戦闘力、能力、魔物の動きや性格から判断される。
Sに近づくほど凶暴で、危険な魔物だ。逆に、Dに近くなると、子供の魔物や、比較的駆除が楽な魔物が多い。
「第一小隊の諸君には、至急、エリアTに向かい、第二小隊の救護に当たってもらいたい」
「魔物がまだいる可能性は……?」
シュレリアが不安気に口を開く。連絡が途絶えたとなれば、何かあったとしか思えない。通信機器の不良も考えられるが、常に最新機器を使用している第一師団が、機械不良を起こすとは考えにくい。
「可能性はある。現在、艦をエリアTに向けている。第一小隊には先行してもらいたい」
ようはこうだ。第一小隊が到着した頃に、魔物が残っていれば先に殲滅をさせて艦を安全に救護に向かせる。何事もなければそのまま第二小隊を回収し、艦は元の警護ルートに戻る。艦の到着までに魔物がいたとしても、援護を出す予定。
艦はこの世界を守るうえでも要だ、そう簡単に危険に晒すわけにはいかないのはわかる。
問題は第二小隊がどれだけの戦力を残しているかだ。場合によっては、第一小隊が向かったところで、第二小隊が全滅している可能性もありえる。
「他の小隊も出撃させるのはいかがでしょう」
カノンの横で千怜が冷静に意見を出す。彼女は副指令のため、カノンの補助が主な仕事だ。
「もし、魔族がいたら?」
「それは……」
「敵が魔物だけではない、罠の可能性も充分にある。多くの魔族が待ち受けている可能性も否定できない。もし罠だったとしたら、大きなリスクを背負うこととなる」
「ではなおさら……」
「罠だとしたら、艦が狙われる可能性もある」
「それは……」
「常に最悪の状態を想定しておかなければならない。どちらかわからない以上、必要以上に増援は出せない。他の任務に当たっている小隊もいる中で、艦内の戦力を減らすことはできない」
「……わかりました。出撃中の隊には移動エリアを知らせます」
「頼む」
確かに、全滅だけは避けなければならない。常に世界を魔物や魔族の脅威から守る最前線に立つ。それがこの戦艦スキーズブラズニル、第一師団だ。
どれだけ危険な魔物であろうと、艦の戦力を大量投入はできない。
加えるなら、第一小隊はこの艦のエース部隊だ。それを危険な魔物がいる場へ救護に投入するだけでも、かなりのリスクがある。第二小隊を気にかけているのも事実だろう。
「後ほど、私も救護隊と共に向かう。もしも不味い状況であれば、引き返してくれ。お前達の命を無駄にしたくはない」
「……任務了解致しました。第一小隊、ただちに出撃します」
隊長のシュレリアが、敬礼をする。身内なのに息が詰まらないのだろうか。彼女が去った後に、第一小隊がわらわらと後を追う。ブリッジを去る前に、後を見る。
司令として座っているカノンの顔は、ほんの少し不安を孕んでいた。
「なあ」
「……なんだ、さっさと行け」
「あのさ、俺、ちゃんと助けてくるから」
「生意気だな」
「知ってる、だから帰ってきたらうんと褒めろよな。今日は良かったって」
「……あほか」
「あほだよ。でも、他の誰でもない、お前に言われたらなんとなく、自信が着く」
「……そうか。赤羽海斗、第二小隊を……隊長をよろしく頼む」
「隊長?」
「私の入隊と同期の女性だよ、それ以上は語らん」
「へへ、どうも」
誰かを頼まれたということは、少しは信用されたということだろうか。手厳しい印象もあるので、その点は嬉しい。「んじゃ」と声をかけてブリッジを後にした。