一章
◇
自室でゆっくり落ち着く。今日の海斗は訓練をして、筋力トレーニングをして、それから食事をした。
平和。何もないことが、こんなに嬉しいと思わなかった。港街が襲われることもなければ、魔物を殺すこともない。淡々と過ぎていく日々は、なんと幸せなことか。たった数日、戦いを経験しただけなのに、酷く痛感した。
あれから沢山のヒトと話をした。その度に褒められた。凄い、と。褒められることは嬉しい。認められている。
けれど、どこか素直にそれを受け取れなかった。心ここに在らずで、魔物であれば殺してもいいのか?と頭の靄が晴れない。
海斗はこの部隊に入ってから迷ってばかりだ。
のうのうと生きていければそれでよかったのに。生きるために、誰かを殺さないために強くなろうとしている。段々何故戦っているのかわからなくて、溜息を着く。
そうして、今はロウとトランプをして悩んでいる。
「海斗ぉ、早く引けって。迷ってんの?」
「多分」
トランプをしながら話す。ベッドの上に胡坐で座り、迷っている。そうだ。迷っていなければ、こんなに困っていない。ロウの顔は海斗ではなくトランプを見ている。時々ロウはドライだ。深入りしないような態度は好感が持てるが。
人間は常に二、三個悩みがなければ生きられないと言うらしい。
だが、海斗は頭を使うのは好きじゃない。恋愛や金がたりない、なんてシンプルな悩みだったら歓迎なのだが。若者らしい悩みがほしい。いずれそれも出来るのだろうか。
ババ抜き、シンプルな悩みだ。どれがババか、それだけ。ロウが持っている二枚のカードに手をかける。右、左。
最後の三枚だった。先ほどから、ババがお互いの手元を移動しているだけ。人生というカードゲームはババ抜きに似ていて、悩んでも必ず勝利できる保証はない。
「まだぁ?」
「んー……」
カードを見つめる。透視できる訳でもないのに。こんなこともすぐに決められない。ロウはどう考える?戦うことに対して。
「なあ、ロウってなんで戦ってるんだっけ」
「俺? 家族のため」
すぐに綺麗な答えが返ってくる。そうだ、こいつは見た目に反して優等生なのだ。すっかり忘れていた。英語も話せるし世界史も得意。裏切り者。神は平等という言葉を知らないのだ。
「俺ほら、親父が病気だし、兄妹多いし。金稼がないといけないからさ」
「……そうだよな」
「海斗は」
「なんか、わかんなくなった」
「……なるよな、何が正しいのか、段々わかんなくなってくる。戦争って、そんなもんなのかな」
「さあ……な」
ロウは人のため。では海斗は?
まだもやもやしている。明確な夢も目標もない。どうしてまだ軍人をやっているのだろう。結果はご覧の通り、見事な精神不安定。まだ人生の半分も使ってないのに。
右のカードを引く。ロウが「あっ」と声を上げた。引いたカードを見る。ハートのエース。綺麗なカードだ。海斗は二枚のカードを地面に投げた。
「んじゃ、俺ちょっと出るわ」
「どこに? もう夜遅いぜ。良い子はねんね」
「ねんねしない。ちょっと教官に会いに」
「教官?」
「そ、戦いと人生の教官」
海斗は立ち上がり、部屋の電子扉を開く。ひらひら、海斗はロウに手を振った。部屋を出ると、廊下は寒い。今日は節電デー。あちらこちらの冷暖房が切られている。春といえど、やはりTシャツ一枚は寒いものがある。
さて、本日も教官殿は来るのだろうか。或は先にいるのだろうか。シュミレーションルームを覗く。電子音。夜闇の光。虫のように、光に近寄る。眩しい気がしたが、寄ると案外そうでもない。こちらに気付いたのか、本日の教官が音声を放つ。
「……なんだ、今日も来たのか」
「残念、勤勉なんだ」
「嘘つけ」
共に訓練をしたあの日から、海斗は毎晩シュミレーションルームに足を運んでいた。というのも、他に何をすれば自分の迷子の心が落ち着くか、わからなかったのだ。そうこうしているうちに、いつの間にかしっかり訓練を継続していた。
こちらを見ずに、カノンはモニターを弄っていた。海斗は向かいの装置に搭乗する。
カノンの装置と繋ぎ、視界を共有する。今日はどこに行くのだろう。フィールドの設定自体は先日と同じだ。魔物がより強いタイプに設定されている。一人でこれを相手にするつもりだったのだろうか。
目標は高い方がいいとは言うが。高い山を登り終えたらまた山がある。目標の連続が海斗は好きではない。意欲にもよるのだろうが、あまり気が乗らない。
いつ休めばいいのか、わからなくなる。
『初めての出撃の感想は』
「……わかんない、変な感じ」
『そうか』
「お前は俺の事、凄いとか薄っぺらく褒めたりしないの」
『変な感じなのだろう? 褒められても嬉しくないと思うが』
「……うん」
カノンと映像回線を繋ぐ。お互いの顔が見えると会話がしやすい。
『何が引っ掛かる』
「……なんだろう」
『素直に受け取れないのは、自分が自分を認められないからだ』
「……そうなの」
自分に納得がいっていないことを褒められるのは、素直に受け入れられないから。海斗は戦いの中で、疑問を抱いてしまった。殺すことが正しいのか、殺せない軍人がここに居てもいいのか。
『私の持論だ』
「なにそれ」
カノンは口調を変えずに言うものだから、妙に説得力がある。ペテン師に向いている。
今日の教官は饒舌なので、海斗もつい言葉をこぼす。
「なんだろう、皆生きてる」
『そうだな』
「俺、魔物も生きてるんだなって気付いて」
『……命を奪うことが嫌なのか?』
「嫌っていうか、しっくりこない」
『嫌なんだよ、それは』
「嫌、なのかな……嫌だけど、魔物は殺せるんだ」
『罪悪感を感じないからだ』
「……ヒトじゃないから?」
『そう、魔物は言葉を使わない。ヒトを責めない』
急に会話が途切れる。モニター越しのカノンに視線を向ける。どうやら設定画面と睨めっこしているようだ。
喋らないと、逆に不安になる。ただでさえ顔が綺麗すぎるせいで損をしているのに、これで会話下手です、なんて勿体無い。
「なあ」
『……なんだ』
「今日は俺から質問」
『……どうぞ』
「何で俺のこと、叱ってくれたの」
『……何で?』
カノンの顔が上がる。大きく開かれた瞳。素っ頓狂な顔をしている。
……おかしな顔だ。そんなに意外な質問だっただろうか。への字になった口元が不覚にも可愛らしかった。
『当然のことだろう?』
「何が?」
お互いに間抜けな顔をする。何の話をしているのだろう。
間が開く。海斗が何もわからないと悟ると、カノンは何かを察して話を続けた。なんだ、今の間は。今、何を考えた。
『いや……。大切だからだ、一人のヒトとして』
「その他大勢として?」
『いいや、赤羽海斗、個人として』
「俺? 何で? 仕事だから?」
『誰かを大切にすることに、理由がいるのか?』
「……いらない」
『だろう。だから戦場で戦ってほしくないとも思うし、お前が戦いたいのであれば、守る務めがある』
「俺、そんな価値ないよ」
『自分で自分の価値を下げるんじゃない。誰かにとって、お前は存在していてほしいヒトの一人だ。生きていて欲しいと、誰かが願っている。今は、私が』
「……できたヒトな、あんたは」
『できていないさ、私が罪悪感を減らしたいだけだ』
その先は、段々と恥ずかしくなって聞けなかった。これがこの男の本性なのだろう。なんて人たらしで、甘い。空っぽの海斗の心に、じわじわ浸食して来る。
この男に多くのヒトが着いていく意味が、わかった気がする。突然与えられる幸福ではなく、常にある安定感。
誰かに必要とされるだけで、不思議と嬉しくなる。こういうのを、チョロいという。ただ、損得勘定なしに向き合ってくれるのは、どこかむず痒い。何か繋がりがあっただろうか?と思い出そうとして、頭が痛くなったのでやめる。
そのままシュミレーションを始めようとして、もう一つ、聞きたいことを思い出す。操縦桿から手を話し、カノンに向き直る。
「お前は……なんで戦うんだ」
『……私か?』
「そう」
シンプルな答えを聞いていなかった。皆が自分自身の目標があるのなら、カノンにだってあるはずだ。他人のためではない、けれど他人のためになる、全てをかなぐり捨ててでも叶えたい、迷いのない自分の中の大きな夢が。
『世界平和』
「……は?」
『……何度も言わせるな』
人に説教をした男が。世界平和。世界の。平和。この男こそ、それはそれは……。
「それこそ、綺麗ごとだろ」
『かも知れない、だが私は全ての種族が……共存できる世界を実現したいと、思っている』
「お前の力で?」
『私だけではない、戦ってくれる沢山のヒト、民、この艦の皆、全てのヒトの力を借りて』
カノンが目線を逸らし、優しい表情をする。自分があって、他人がいて、きっとこのヒトは沢山のヒトに支えられているのだ。
「でも、そんなの無理だ」
『ヒトを殺さない戦いが出来ると思っているお前が、言うのか?』
「それは」
『……難しいことは理解しているさ。それでも私は、争いのない世界を見たいんだ。そのために戦っている。自己満足だよ。それが実現される時には、私はきっと血に汚れている』
「なんでそこまでして」
『約束なんだ、母と、父と……私をここまで育ててくれた上司との』
「……そのヒト達は、今でもそれを望んでるのかよ」
『さあ、な……もうこの世にはいないから』
「……ごめん」
『いや』
今度は自嘲気味に笑うカノンの視線には、強い意志を感じた。何が何でも、成し遂げるという意志。
以前は自分の夢ではないとカノンは語った。けれど、今はそれが自分の夢になったのだと。大切なヒト達の死を経験して、その世界を強く望んだのだと。
海斗はまた悩む。カノンには居場所があるから、強く入れるのだ。海斗には居場所も、立派な夢もない。原動力がない。
『理由がない戦いは辛い』
「そう……かも知れない」
『生きることも同じだ、理由や目的、自分が何かのためにしたいという事。それがないと、生きていても苦痛になる』
「俺、何もない」
俯く。そう、何もない。自分がやりたいことも、誰かのためにやりたいことも。
『作ればいい』
「作る?」
『すぐになんてできない。けれど、新しい生きる理由は間違いなく心を潤わせる』
「夢とか、やりたいって強く思うこと?」
『心からそう、思えること。お前は心から軍人になりたい訳ではなかっただろう?自分が心からやりたいと思わないことに、心は素直だ』
「それは、うん」
少し鬱気味な心を押し殺して、海斗はなんとか返事をする。目が泳ぐのがわかる。
自分の能力で簡単に食っていけて、おまけに評価されると思っていた。自分には才能があるから。思い上がり。自分勝手だ。仕事を妥協していた。
「ヒトのために戦うとか、本当は思ったことなんてなかった」
『そう思い込むのが、楽な生き方だと思っていた?』
「うん」
返事をしながら、コックピットで、体操座りをする。情けなくなって、カノンに顔を隠したくなった。膝に顔をうずめる。この状態で話をするのは失礼かも知れない。
「でも、誰かを守るためには誰かから命を奪わないといけない」
『……ああ』
「嫌だって、思った。なんでだろう、本能的に」
『優しいんだよ、お前は』
「違う、弱虫」
『……かもな』
カノンが苦笑いをする。そこは否定をしてほしかった。どれだけ殺したくないと思っても、軍人である以上それができなければ自分が死ぬ。自衛が出来ないヒトは、戦場では最初に死ぬ。話の最中で泣きそうになる。心が敏感すぎる、困った。
「やっぱり、殺すのは怖い」
『だが、軍人なんて悪く言えば殺す仕事だ。……終わりのない毎日の戦いのなかで、自分をうまく騙して、殺生を正当化しなければいけない。私は、そんな無意味な毎日、戦いを終わらせたい。お前のように、戦いに身を投じるヒトが一人でも減るように』
「終わらせるために、戦ってるのか」
『簡単に言うと、な。今は私にとって、それが生きる理由だ。この戦いが終わったら、また悩みながら新しいことを始めるさ』
膝から、顔を上げる。途端に恥ずかしくなった。悩んでばかりの自分も、自分の生きる理由を見つけられないことも。
失いたくないと言いながら、何が大切なのかもわからない。軍人として戦う理由もない。何が、したかったのだろう。
電子モニター越しのカノンは誰かの母親のように、海斗へ微笑みを浮かべる。もう覚えていないが、海斗の母が生きていたらこんな顔をするのだろうか。
もっと話をしてみたいと、謎の衝動が海斗を突き動かす。今さらだ、カノンには駄目な部分を既に見られているのだ、これ以上嫌われることなんてない。考えようとして考えて、また頭がショートして、わからなくなってしまった。
少し、誰かに聞いてもらって、整理をしたい。
『俺、ずっと何かを失うのを恐れてて』
「……何を?」
「わかんない、わかんないんだ……」
『……、』
「何が大切なのかもわからないのに、ずっと失いたくなくて怯えてる」
『そう、か』
カノンが小さく息を飲む。答えに迷っているようだった。
「そのうち戦う理由もわかんなくなって、自分に居場所がないような気がして」
『……居場所なんてものは、結果だよ』
「……行動の、結果」
『ああ』
「わかってる。でも俺には帰ってもここにいても、居場所はない」
『……お父さんは?』
「ずっとからっぽのまま」
『……そうか』
カノンは何かを考えて視線を逸らす。そういえば、彼に父の話なんてしたことがあっただろうか。じっとカノンを眺めてみると、今度は何か決意した眼差しが海斗を射抜く。
『私が居場所になる』
「は?」
『戦いの上ではまだお前を認められないが……ヒトとして、お前と向き合うことはできる』
「……俺と?」
淡々と言葉を連ねるカノンは、今モニターの向こうで何を言ったのだろう。向き合う。
誰と? 海斗と。縋るような目でモニターを見つめる。ひゅ、と息を呑んだ。
このヒト、おかしいんじゃないか。誰も深入りしようとしなかった海斗の不安と悩みを、受け入れて認めようと、信じようと言うのだ。つまり、親でもないのに、無条件で心のよりどころになると。
この言葉を父から向けられたら、どれだけ嬉しかったか。
顔がくしゃくしゃになる。ぐっと押さえて、咄嗟にモニターを切る。こんな顔、見られてたまるか。
『……おい』
「何」
『私では不満だったか』
「……違う、なんか、嬉しかった」
『……そう、そうか』
海斗は、声を抑えてひっそり泣いた。我慢しようとしたら、勝手に出てきたのだ。好きで泣いている訳ではない。一度泣くと、一気に嫌なことが出てくる。止まらない。
幼い頃から、父はずっと死んだ母を見ていた。海斗はそんな父を見て、命の儚さと大切さを痛感した。だが同時に得たものは、寂しさ。
父の心が自分へ向けられない、愛情の欠乏。誰にも信じてもらえない。生まれても、大切にされなかった。無意識に自分が嫌いになって、誰かに見て欲しいと思っていた。
自分を大切にしてくれたヒトは、確かにいたのに、今はいない。
大切なヒトはいずれ消えてしまう、母のように。そう考えるだけで、何もかもがやるせなかった。幼い頃に自分が守りたかったヒトのように、いなくなってしまう。あんなに大切だったのに、どうして思い出せないのだろう。
今、海斗へ優しい言葉をかけている男が、もっと早く傍にいてくれたら。
しばらく沈黙が続いてから、カノンが声をかけてきた。嫌ではなかっただろうか。部下のためとはいえ、あんな言葉をかけるのは。
『海斗』
「……うん」
『出撃するぞ』
「マジ? 鬼……」
『戦いの上では別だ』
音声上のカノンの声は、以前のように冷たく感じなかった。涙を袖でぬぐう。今日のシュミレーションは、うまくできそうな気がした。