一章



 ◇


 考えるのは好きではない。けれど考えてしまう。海斗は、休憩所のベンチでぼんやり考える。出撃してから数日立っていた。

 ヒト。美しい。生きる意味がある。そんなことは誰が決めた。
 なら、醜い生き物は生きる価値がない?例えば、魔物。本当にそうなのか?答えなどない。自分が決めなければ答えではない。悩んでも意味がないのは理解している。それでも、考えてしまうのがヒトという生き物だ。

 出撃をしてから、余計にわからなくなってしまった。魔物も生きているのだと、気付いてしまった。敵から色々なものを奪われている。そう思っていた。それはこちらも同じだった。生活を奪い、居場所を奪い、最後には命を奪い。

 戦えば嫌でもそうなる。力がある方が奪う立場になる。シンプルな考えだが、真理だ。力がないから、何かを失う。けれど、力があるから戦いは起こる?わからない。
 解決しないことを、悩み続ける。誰かに聞いた方がいっそいいだろうか。

「なーんかなぁ……」

 心が迷子だ。次に出撃があったら、戦えるだろうか。

 海斗がぼーっとしている休憩所には自販機が立ち並び、壁際にトイレ。広いスペースには座って談笑できる椅子とテーブルが複数あり、わらわらと話をする軍人たち。憩いの場だ。
 先ほど自販機で買った炭酸の缶ジュースを開ける。空気の抜ける音がして、ほのかに甘い香りが飲み口から漂う。よほど静かな航行なのだろう、炭酸が噴き出ることはない。

 軍艦にしてはどこかおかしい。最近この艦に乗っていて感じる。まるでそう、施設。戦うための艦ではなく、ヒトの暮らす施設。ずっと感じていた違和感はそこだ。
 この大きな艦は、ヒトが地上と同等の営みを送れるようになっている。ミッドガルド、地上にいるような感覚。普通じゃない。地上に家があるのに、ここで暮らせる。
 ここを、家にしろということか。にしてもこの艦は別格だ、ホテルのようだ。
 大勢はこの場に慣れてしまっている。けれど、自分はこの場所の一部じゃないような感覚が、海斗を襲う。足元を見つめる。地面など見ても誰かが助けてくれるわけではないのに。

「こんにちは」

 声が降ってきた。下を向いていた海斗の視界に、眩しい生脚が入ってくる。どこかで聞いたことのある声。目線を上に上げる。蒼い瞳に月光のような髪。シュレリア・グラディウス。少佐であり、そして総司令の妹。肩書だけで相手を殴り殺せるようなヒトが、海斗になんの用なのか。

「隣、いいかしら?」
「……どうぞ」

 二人がけのベンチに、体重が乗る。座った瞬間に少しいい匂いがした。美人というのは、匂いから容姿まで完璧だ。格差を感じる。
 シュレリアを見ずに、両手で包み込んだ缶ジュースを眺める。ご丁寧に点字が書いてある。物はどんなヒトにも優しい。姿かたちは関係ない、相手への思いやりのあるデザイン。考えたヒトは尊敬に値する。
 目線を合わせないでいると、シュレリアが海斗を覗き込んでくる。いきなり距離を詰めてくるタイプは、苦手だ。横目で返すと、ふんわりした笑顔が向けられる。

「ね、赤羽海斗くんよね」
「知らないで座ったのかよ」
「知ってたわよ? 入隊式の時、会ったもの」
「じゃあ、何」
「確認のために聞いただけ」
「……そっか」

 続かない。恥ずかしい話だが、海斗は女性経験はない。ましてや、年上の女性など話す機会がなかった。どうしよう。気まずい。どう扱えば良いのだ。
 シュレリアは相変わらずにこにこしている。なんだ、何が目的だ。何故話かける。

「初出撃、凄かったわね」
「……どうも」
「どっかーんって突進して、どんどん敵をなぎ倒していって……口だけの男の子なのかと思っちゃった」
「……どういう意味」
「威勢よくお兄様に喧嘩売ったって聞いてたから」
「あー……」

 恐らくシュミレーション訓練の時の話だろう。あまり思い出したくない。あれだけ調子こいて喧嘩を売ったのに、ボロ負けだったのだ。入隊してわずか二日目の黒歴史だ。
 顔が赤くなる。照れているのではない。恥ずかしいのだ。シュレリアとの話ではなく、自分がボコボコにされたことが。思い出すと、次は腹が立って顔が赤くなる。
 一人で顔を変えて秘め事をしていると、シュレリアがくすくす笑う。

「君、面白いわよね」
「どういう」
「私がそう思ってるだけよ」
「……はあ」
「初めて見たもの、お兄様に食らいつく子」
「今までいなかったの?」
「お兄様、見た目ちょっと怖いでしょ」
「言えてる」

 怖い。綺麗なだけならまだしも、カノンはいつも真顔なので、怒っているのではないかと誰しもが思う。怒られた時のことを思い出すと、今でも海斗の背筋が凍る。

「叱られたりもしたでしょ、ごめんなさい、怖かった?」
「……別に。ただ、悔しかった」
「そうなのね……言い過ぎたかも、っていっつも気にしてるのよ、お兄様」
「あの冷酷な面で?」
「そう」

 ここで初めて目を合わせた。お互いに少し、笑う。綺麗な女性だ。カノンより表情が豊かなせいか、ほがらかに見えた。
 印象は大切だ、特にファーストコンタクトは。最初の印象で、人間性をほとんど決められるといってもいい。
 炭酸を口に含む。ちょっときつい。舌が痛い。

「ね、私は君のこと気になるな」
「……へ?」
「ふふ、好きかも、ってことよ」
「…………ああ、そう?」

 目を丸くした。鳩が豆鉄砲とはこのことか。好き。隙でも鋤でもなく。女に子と書いて。好き。この女は突然何を言っているんだ。
 「一目惚れって信じる?」と笑いながら聞かれた。信じるもなにも。二目惚れでは?とどうでもいいことを。そんなに軽率に好きなんて、言うもんじゃない。
 嬉しいというよりも、困惑。自分の小隊の隊長は、目の前の女性なのだ。不味いことは言えないし返せない。
 おかしなことを言って見ろ、今後何年務めるかわからない職場が気まずくなる。

「あっ、海斗くん」

 向こうの通路から彩愛が歩いて来る。助かった。このタイミングでの増援は有難い。シュレリアは綺麗だし、気を使ってくれているのだろうが、海斗には扱いにくい。大人の女だから。童貞のようなことを言うが童貞なのだ。

「あら、ライバル登場?」

 シュレリアが首をかしげる。彩愛を見ると、またにこりと笑う。彩愛はぺこり、上官にお辞儀をする。健気な子だ。そこに好感が持てるのだが。奥ゆかしいとでも言うべきか。
 シュレリアは「お邪魔よね?退散退散」とベンチを立ち上がった。そう言われると、逆に申し訳ないことをした気分になる。颯爽とシュレリアが立ち去ると、辺りに良い匂いだけが残った。花の妖精か何かなのだろうか。
 喉が渇く。きつい炭酸をもう一度口に含む。のど越し爽やかとはいかない。

「シュレリア少佐、どうしちゃったんだろう?」

 シュレリアが立ち去った隣に、不思議そうな顔をして彩愛が座る。石鹸の香りがする。さっきから香り香り、と変態臭いのは海斗の鼻が敏感なせいである。犬のようだ。
 彩愛も手にジュースを持っていた。奇遇にも海斗と同じものだ。

「あ、それ」
「あれ、同じだね……偶然」
「ほんと」
「おいしい?」
「んー、普通」
「じゃあ、私も飲んでみてから」

 彩愛がプルタブを引っ張る。カシュ、といい音を鳴らすと、飲み口に口をつける。なんだろう、この、青春の一ページみたいな。士官学校のうちにやっておけばよかった。

「ほんとだ、普通」
「だろ」
「うん」

 他愛もない会話。ジュースの事で少し、盛り上がる。炭酸もきついよね、後甘味料の味がする。なんて本当にどうでもいいような内容の会話。
 年が近いせいか、接点があるからか、海斗と彩愛の会話が弾む。
 相手によって態度が変わって、薄情だ。通路の奥に遠のいていく月光の揺らめきを眺める。彼女もポニーテールにしたら、あの男に似るのだろうか。

「シュレリア少佐って」
「うん」
「天族なのよね」
「らしいね」

 天族。アースガルドで生まれる、不思議なヒト。
 人間とは違い、意識体に近いものらしい。肉体はあるが、その肉体のみに囚われない。魂によって肉体が形成されているため、魂が失われると肉体は消えてしまうのだとか。海斗達は天族ではないから詳しくは知らない。
 彼らは霊力という魂の寿命を使って生きている。霊力の使用で自分の傷を治したり、エインヘリアルも通常より何倍も性能を引きだせるそうだ。命を使って機体をパワーアップしているのだから、あまり羨ましいとは思わないが。
 中には人間から天族に生まれ変わる者もいるそうだが、そうなったら、世の中は天族だらけなのではと疑問に思う。
 しかし人間と天族のハーフも世の中では珍しくない。あながち、もう世間は天族まみれなのかも知れない。

「天族ってね、霊力を使い果たすと魂が消滅してしまうんだって」
「……へえ」
「なんか少し、切ないよね」
「……そうだな」

 存在をすり減らしながら生きる。それは果たして正しいのだろうか。軍人になって、エインヘリアルに乗るなら、なおさら。
 勿論、自分の人生の決定権は個人にあるため、口出しはできない。
 シュレリアは満足しているのだろうか。そんな生き方に。カノンも満足しているのだろうか。満足しているようには思えない。
 目の前に可愛らしい女の子がいるのに、他の人物のことを考えるのは最低だ。考えを変える。そういえば、と思いだし、先日の戦闘の話になる。

「この前の戦闘さ」
「うん」
「……大変だったよな」
「そうだね、でも」
「でも?」
「海斗くん、沢山頑張ってたから」
「俺が?」
「うん」

 頑張ってた。少し予想外の答えだった。確かに、いろんなヒトに凄いと褒められた。褒められたところで、気持ちはあまり明るくならなかったが。

「偉いなって。誰よりも訓練して、その結果がちゃんと出てる。海斗くんは凄いなって」
「……凄くなんて」

 ない。そもそも訓練だって短く切り上げる予定だったのに、カノンが――愚痴っぽくなる。
 やめよう。普段から不平不満ばかり言っているせいで、文句がぽんぽん出てくる。ネガティブとはよく言われるものだ。寧ろ彼のお陰で海斗はここまで成果を出せたのだ。感謝せねば。
 またカノンのことを思い出してしまった。どうかしている。

「じゃあ、私が勝手に凄いって思ってるだけ」
「……そっか」
「嫌?」
「……わかんない」
「……そっか」

 落ち着かない。缶ジュースの淵を一指し指で叩く。とん、とん。この振動で炭酸が少し抜けないものか。

「私は失敗ばっかりで」
「……そう?」
「うん、模擬戦のときも、あんまりいい成果残せなくて」
「あれって成果を残すもんじゃないし、大丈夫だって」
「そうかな……?」
「多分、確信はないけど。まだ始まったばっかじゃん。心配すんなって」
「そう、だよね」

 「ありがとう」と彩愛が静かに目元を緩める。きっとこの子は、自分に自信がないのだろう。海斗と同じだ。誰かに声をかけられないと、自分のことを認められない。劣等感の塊。
 だから物事をポジティブに考えられない。できたことも、自分では上手く評価できない。他人本位。できなければ、落ち込むだけ。また頑張ろうなんて思えない。本当はこういう性格は、軍人に向いていないのかも知れないけれど。

「……頑張りすぎんなよ」
「え?」
「頑張りすぎると、疲れるだろ。今できることを、とにかくやればいいんだと思う。それで誰かが彩愛のこと笑うんなら、そいつは嫌な奴なんだよ。頑張ってるのに頑張れって言われても、疲れるだろ」
「……うん」
「やらなきゃって思うと、できなくなる。だから、今日はこのくらいできた、で良いじゃん。そうしたら、俺が彩愛ってこんな頑張ってるんだ、って勝手に思って、勝手にすげえな、って言う」
「……優しいね」
「優しくないよ、自分勝手」
「そっか」
「おう」

 自分なら言われて嬉しいと思うことを言う。しかし自分ならなんて感情は、相手の立場に立ったつもりだ。つもりでも、何も言わないよりはいい。

「ね、海斗くん。誰かと話すのって、苦手?」
「んー、ちょっと」
「そっか……」
「別に彩愛のことが苦手なんじゃないよ」
「そっか……じゃあ、たまにこうしてお話しない?」
「ん」

 短く返事を返す。ずっと話をしていると、時間が立つのも早い。休憩所の時計を見ると、すでに三十分近く経っていた。長話をしていた気がする。缶を傾ける。飲もうとすると、ジュースはもう空っぽだった。
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