一章
◇
海斗は艦内の廊下を歩いていた。食堂でランチとやらを腹に詰めるためだ。
廊下。長い。知っている。廊下は長いと家で学んだ。壁。硬い。これも家で学んだ。地面。冷たい。誰か踏みしめた跡。知っているのに知らないこと。知っているつもりなのかも知れない。
自分のことはもっとも自分が知っているはずだった。嘘。知らなかった。他人の分析、粗探しばかりに夢中になって、自分自身をこれっぽっちも見ていなかった。あいつは駄目だ、こいつはこういう部分がある。ヒトのことばっかり。
自分なんてどこにもいない。他人の駄目な部分を見つけて、自分はこいつよりも優れていると、優越感を得る。つまらない人生を送ってきたものだ。カノンと戦って気付かされるなど。
あの男関わっていると、自身の嫌な部分に気付かされる。それは、自分がカノンより劣っているからだ。前方を歩く頼もしい背中が恨めしい。嫉妬。
権力、能力、知識、容姿。役職上、金だってあるだろう。何もかもを持っている。こんな醜い感情が自分にも潜んでいたとは。また海斗は、自分の理解していない部分に気付く。
神は不平等だ。ひとりのヒトに何もかも与えるなど。
そうこう考えている間に食事の時間である。食堂は思っていたより普通だった。これだけ大きな艦なのだから、もっと絢爛豪華なのかと思っていたが。
椅子と机がずらりと並ぶ風景は士官学校で見たことがある。細かな内装まで予算は出せないのだろうか。
食事を受け取るには、決まった時間に決まった場所に受け取りにいかなければならない。
今まさに配膳台で食事を受け取っているカノンも、ここで出されるものを食っているのだ。この戦艦でしっかり食べて運動をすれば、カノンに近い体格になる可能性は充分にある。目指すは高身長。
しかしまあ、ああやってみるとあの上官もなんだか可愛らしく見える。わざわざ配給の女性に笑顔で礼を言っている辺り、実は好青年なのかも知れない。海斗には冷たいが。
海斗も同様に配給される場所に並び、トレイを受け取る。中身を確認しながら、ロウが先に座っている席へ向かう。
トマトやレタスに紫キャベツ、パプリカで彩り鮮やかなサラダ。トレイの大きな部分には、たけのこと牛蒡と人参で彩られた炊き込みご飯が盛られている。人参、いらないよ。あまり好きではない。後でロウに押し付けよう。嫌いなものを抜くのは得意だ。
それからメインとばかりに盛られたレバニラ炒め。肉は大事だ。だが、レバーは人参より嫌いだ。
どうしたものか、海斗の眉は自然に垂れ下がる。あの鉄臭い味はどうにも好きになれない。まるで血を食っているようだ。渋い顔で席に着く。
席に着いたところで、カノンが全体に声をかける。修学旅行の生徒もまとめる先生が似合いそうだ。
「諸君、訓練ご苦労であった。この食事は私が作ったものだ」
食堂内がざわつく。どこからか「ええ……」という何か不穏な声が漏れる。
「……というのは冗談だ」
慣れた士官達は茶化す笑いを上げる。この艦ではこの手のネタは日常らしい。彼なりの新人への気遣いなのだろうか。ちなみに話を聴く限りカノンは料理がすこぶる苦手らしい。調理をすると頂けないものばかりできあがるようだ。「ええ……」という声の意味はこれか。
茶番が終わったところで、本日のスケジュールが言い渡される。
まずは食後に艦内の案内。本当は昨日行う予定だったが、魔族の襲来により本日になったようだ。
次に、休憩を挟んで格納庫に集合し、シュミレーションのフィードバック。これを受け、以後自分が乗る機体が決まる。
あれだけボコボコにされたのだから、あまり期待はしいなでおこう。
さて、食事を頂こう。嫌いなものはロウのトレイの中にそっと入れる。「レバーくらい食えよ」と文句を言われた。これだけは頑張っても好きになれない。かといってレバニラのニラだけ残っても美味しくはない。諦めて無理やり食べることにする。鼻を摘まんでレバーを嚙み砕き、水で流し込む。
横目で他のテーブルを見ると、カノンが普通に食事をしている姿が見える。つくづく普通という言葉が似合わない。
綺麗な手でフォークを持って、庶民のように食べている。食べ方は綺麗だ。零さないように食べれば、器用さが上がったりするのだろうか。もしや食事の際も何か意識して食べているのでは。食事も訓練の一環の可能性がある。そうだ、自分も綺麗に食べてみよう。
どうすればカノンよりも上になれるか。そう考えながら、海斗もフォークを口に運んだ。
◇
お空の上は快適かと言われるとそうでもない。一日だけならまだしも、何週間も空の上だ。感覚がおかしくなる。昨日地上から飛び立ったばかりなのに、既に変に浮いた感じがするのは海斗の気のせいではない。
艦内の案内は、あらかじめ渡された地図と照らし合わせながらされる。あの少将直々の案内だ。恐れ多い。
医務室、娯楽部屋、肉体を鍛えるためのトレーニングルーム、さまざまな部屋がある。特に娯楽部屋なんてよく通うことになるだろう。遊びがないのは心に毒だ。
いよいよ艦の要であるブリッジに案内される。電子扉が開くと、モニターに空が広がっていた。海斗には到底理解できないであろう設備の数々は圧巻の一言。
真ん中にある席は司令席だろう。その前方に艦長席、なにやら仰々しい機械。大きなレバーは操縦桿だろうか。左右に通信機、レーダー機械、艦の武装を操作する機械、とにかく機械が多い。
ブリッジでは特殊レーダーや音波探知などで、世界中の危機を監視している。どのような事態であっても、民間人を守る。そのためには大規模な技術が必要なのだ。まったく、改めて大変な所に入隊してしまった。
「ありゃ!新人さんなのね!」
どこからか声が聞こえる。どこだ。視線を下に向けると、小さな子供。軍服を着ている。軍服の色は赤であることから、階級は佐官。……海斗より年上には見えないが。
薄いピンク色の髪がふわりと跳ねて、くりくりとした瞳が愛らしい。どう見ても子供だ。恐らく男の子。女の子と見間違うほど愛らしい。カノンが前に立ち、彼を紹介する。
「紹介しよう、艦長の皇光大佐だ」
「よろしくね~!光艦長って呼んでほしいの!」
「えっ……!」
まだこんな年端もいかない子供が。大佐。しかも艦長。どうなっているんだ、この艦は。司令は狂人、副司令は鬼、艦長は子供。変人の寄せ集めだろうか。
「僕はこう見えても四百三十五年生きてる天族なの!」
「よっ……」
頭の中を読まれたのだろうか。天族であれば納得がいく。天族の見た目は成長しない。
彼らはいわば肉体という器がある意識体のようなものだ。生まれた時から死ぬときまで、姿が変わらない。
一応肉体を持って生きていることに変わりはないので、空腹や尿意、眠気等の生理現象はある。人間に近い構造をしているためか、人間と結婚をして子供を産む、というケースも多い。
四百三十五年となると相当長生きだ。目の前の彼の年齢を人間加算するなら大体四十三歳。中年。中年の子供、複雑だ。
「あの……なんで和名なんですか……?」
彩愛がそれとなく質問する。天族は理由がなければ和名は存在しない。つまりは。
「僕、結婚しててアジア籍になったの!元の名前はヒカル・ヤマトというの!」
「けっ……!?」
彩愛の顔がぎょっとする。結婚、この見た目で。年齢からすればしていてもおかしくないのだが。ギャップが激しすぎて混乱しそうだ。
「見た目はこうだが腕はたしかだ」
「ちなみに皆が気になるカノンちゃんは、二百八十五年生きてるの!」
「余計なことは教えんでよろしい。後ちゃんはやめろ」
「えー!ちゃんの方が可愛いなの!」
お喋りな艦長だ。聞いていないこともペラペラと話してくれる。二百八十五年というと、人間加算では二十五歳だろうか。想像より若い。
この小さな艦長より若い男が総司令であり少将、世の中不思議なものである。
艦長の紹介が終わると、今度はオペレーターの紹介をされる。戦いで状況や作戦を伝えてくれるオペレーターは、非常に大切だ。しっかり覚えておこう。
席から、二人の男女が立ち上がる。同じ顔をしているが双子だろうか。短く清潔感のある黒髪。青い瞳。
「はじめまして!私はメルティーナです!」
「僕はアルティードです」
「私のことはメルで、こっちはアルって呼んでください!」
女性の方がメルで、男性の方がアル。メルの方が元気に解説をする。メルの方が姉だそうだ。雰囲気的にはアルの方が兄に見えるが、ヒトは見かけによらない。先ほど学んだばかりだ。ちなみに、海斗の予想通り双子だった。
加えて、カノンが補足説明をする。士官学校ヨーロッパ支部卒業の、優秀なオペレーター。ヨーロッパの方はアジア支部よりオペレーターや通信、メカニック等の技術職に特化している。目の前の双子も、優秀な技術を持っているのだろう。出身はイギリスだが、二人は英国紳士、淑女といったイメージとは程遠い。
挨拶を終えると、奥からフランス人形のような容姿の女の子が歩いて来る。中学生くらいだろうか。いや、見かけで判断するなと今日は何度も教えられている。
肩に着くくらいの金色の巻き髪と、小さな口。眠たげな碧眼が美しい。不健康な顔色をしている点が、人形のような容姿に拍車をかけている。何を食べて生きているのだろう。女の子らしい口が静かに音を紡ぐ。
「……神楽坂雨音です」
意外と和名だった。
「通信と……索敵を……担当しています」
もう少し早く喋れないのか。もうこの際、容姿と名前のギャップには突っ込まないこととする。このままでは驚きに脳が持たない。「ふふふ」と怪しげに笑った雨音はどことなくオカルトチックである。
他にも、機銃担当だとか、モニター担当だとか、随分な人数を紹介された。労力を使う艦だ。そこいらの中小企業よりも第一師団の方が大人数だ。
シュイン、機械的な音が後ろで鳴る。横にスライドした扉の奥からは、千怜がブリッジに入って来るところだった。
「あ、ハニーなのー!」
「はっ…!?」
この子供艦長には度々驚かされる。そうか、千怜の苗字は皇、光の苗字も皇。
艦内結婚とは羨ましい。にしてもこの組み合わせもどうしたものか。意外性はいらないのだが。
光が千怜へ手を振っている。眉を寄せた千怜がずけずけと歩いて来る。機嫌が悪そうだ。どれだけの胃薬があれば彼女は落ち着くのだろうか。
千怜が光へ説教をしているうちに、カノンと新人一向は別の場所へと向かった。……彼女達の痴話喧嘩にすこし興味があったのは内緒だ。