一章
「どうして母さんは死んだの?」
「……母さんは、沢山のヒトを守ったんだ」
「……そっか」
「エミリア……」
「……父さん」
幼い少年と無精鬚を生やして項垂れた男が、墓石を呆然と見つめる。お互いの深い蒼をした髪は、親子であることを証明していた。
その日は、肌に纏わりつく小雨が降っていた。周囲には母の死を悼むその他大勢。
涙を流す方法を知らない少年は、この日奪われる悲しみを知った。少年の父親は全てを失い、生きる意味を失った。
記憶の中の蒼い月。大きな魔物。剣、血しぶき。脳裏に焼き付いた光景。自分を庇う誰か。泣きもしない、恐怖で声が出ない自分。
しかし、瞬時に少年の頭は理解した。もう母はいない。何もできない無力な自分を責めた。もうこんな悲劇を、繰り返してはならない。誰にも、大切なものを奪われてはならない。
生き物には何故、命があるのだろう。神はどうして、生命をつくったのだろう。どうせ奪うなら、無意味ではないか。何故、生きなければならないのだろう。
奪って、奪われて、戦いは誰かを孤独にする。今日は、墓前の少年を孤独にした。
「……海斗」
喪服を着た背の高い青年が、海斗と呼ばれた少年に話しかける。
青年の長いプラチナブロンドの髪は、随分外で雨に濡れたのか、水の重さを含んでいた。夜の月に似た瞳は、哀しみで揺れている。
海斗は彼を知っている。咄嗟に名前が出てこない。
青年は海斗の背丈に合わせて、膝を折る。同じ目線で見た彼の姿は、憔悴しきっていた。
「君に渡すものがある」
「……うん」
「君のお母さんが、身に着けていたものだ」
「母さんが……?」
「……ああ」
青年が海斗の首に、ペンダントをかける。ペンダントには青や紫に煌めく石が括り付けられており、不思議と暖かな気持ちが沸きあがってくる。
「……この石が、お母さんが、お前を守ってくれる」
しなやかな手が、海斗の頭を優しく撫でる。無理をして笑った青年の美しい顔が、母を彷彿とさせる。
海斗を大切にしてくれる、優しいヒト。同時に、海斗が守りたいヒト。
「海斗、お前は軍人には……」
そうか、彼は――
石が、小さく光った。
◇
「あ……」
夢から目を覚ました海斗を待っていたのは暗闇と、無機質な天井だった。何度も同じ夢を見ている気がするのに、何も思い出せない。小さな頃の記憶。
あの時の青年は誰だったのか。幼い頃の記憶は忘れやすいというが、思い出さなければならない気がして。
「……まただ」
無意識のうちに涙がこぼれている。シャツの袖で涙を拭いて、天井を見つめた。こんな状態ではいけない。夜が明ければ、士官学校の卒業式なのだから。
自分の気持ちを押し殺して、海斗は再度瞳を閉じた。
◇
今日も天気が良かった。太陽は相変わらず仕事をしているし、雲は気ままに流れている。
大地は踏みしめているはずなのにどこか生きた心地がしない。真下に地獄があるせいだろうか。
煉瓦のタイルが綺麗な広場は広くて、それでも一ヶ所に人がすし詰め。回転寿司なら流されているところだ。生憎ここの寿司屋は回らない。毎年恒例の士官学校の卒業式には、広場はこんな風にごった返すのであった。
ヒトの群れの中で、海の色に似た青い無造作な髪から、アホ毛がひょっこり飛び出している。赤羽海斗、青年になりかけの少年はそこにいた。どこにいるかというと、この世界の平和を守っている軍の、士官学校の、さらに卒業後の配属先を示す掲示板の前だ。
正式には世界統一連合軍士官学校という。小難しい名前だ。
アジア支部の士官学校はアジアエリアに属していながら、教育レベルが高い。そのためヨーロッパやアメリカ等、他のエリアからの留学生が多く、多国籍である。
そして海斗はまさに今、アジア支部の士官学校をめでたく卒業したところだった。
「卒業しちまったな」
海斗の隣で友人がぼやく。跳ねた金髪と、しっぽのように長い襟足がゆら、と揺れる。
名前はロウ・ハリス。由来はLaw、つまり正義。由来の通り馬鹿正直で真っ直ぐで……アホ。最後は一応名誉のために撤回しておこう。
「そりゃ、学校なんだから卒業はするだろ」
「いや、卒業したら働かなきゃじゃん?」
「ニートの方が恥ずかしくない?」
「海斗は不労所得とか、考えたことないのか~?」
至極当然の会話を交わす。士官学校なのだから卒業すれば、当然ながら軍人になる。年齢十八歳、お年頃。今年の夏で十九歳。成績はほどほど優秀。エインヘリアル――ロボットの操縦だけなら主席卒業間違いなしとお墨付き。
さて、これからは新人軍人だ。軍ではエインヘリアルの操縦技術が必須だが、食っていくのに苦労はしないだろう。
ただし母のように、軍人として責務を全うして死ぬなど真っ平ごめんだ。
苗字は赤羽だから最初の方にあるはずだ。さてさて、自分の名前は。
「お、みっけ!」
「え。もう?」
「俺じゃないよ、海斗の」
ロウが掲示板を指さした先には、海斗の名前が記されていた。見つけられないことを察してわざわざ見つけてくれたのだろうか。お節介なことだ。
目線をズラし、名前の横の文字を見る。自分の配属先はどこだろう。
できれば平和なところがいい。ミッドガルド――海斗達、人間の住む世界で平和にお巡りさんを務めとる警備系の部隊とか。戦いになる確率も低く、死亡率も低い。
逆に最前線で戦う一個師団は御免だ。複数の師団が存在するが、どの師団も頻繁に敵とドンパチをやっている。常に死と隣り合わせだ。
とにかく前線は嫌だと祈りつつ、自分の配属先を確認するため、掲示板を見る。
「第一……師団!?」
目が飛び出るとは、まさにこのことか。最悪だ。世界最強と謳われる、そりゃあもう戦いの中心の部隊。
「お、すげえところじゃん!やったな!エリートコースだぜ!」
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
「お、俺も第一師団じゃん。仕事でも一緒だな、か・い・と・く・ん?」
横で、友人がお気楽な声を出す。何がいいものか、勘弁してくれ。エリートうんぬんの話ではない。これでは平和にエインヘリアルで仕事をして、ほどほどに生活する人生プランが台無しだ。
空の彼方を見る。この世界を支えている馬鹿みたいに大きな電子生命の樹が生えていて、その上にこれまた樹に支えられた大きな大陸があって、その下にどうやって浮いているのか不明な巨大な戦艦がいる。
戦艦スキーズブラズニル。それこそ世界統一連合軍の主力艦隊であり、海斗の配属先なのであった。
忘却のアライブ