【ゴルトレ♀】恋は永遠

 恋は永遠、なんて言葉を信じていたのはだいぶ昔のことだ。
「たっだいまーーーーっ! 起きてたのか、トレーナー! 今日もとれたてのあさりみてぇだな!」
 担当ウマ娘であり恋人のゴールドシップが、夕方の走り込みから帰ってきた。最近だんだんと暖かくなってきているからか、まだ春だというのに彼女の肌は汗ばんでいる。
 台所で夕食の支度をしていた私はおかえり、と言って棚からタオルと着替えを取り出して彼女に放り投げた。
「サンキューベリーマッチョだぜ! ファイヤーーーーッ、湯船へ向かってレッツゴー」
 小脇に着替えを抱え、野球ファンのようにタオルをぐるぐると頭上で回しながら、ゴルシは風呂場へと向かっていった。
 いつもの日常。ふつうが一番幸せ、とよく聞くけれど……
「たまには、甘い言葉だって聞きたいな」
 ふと口先からこぼれた、小さな望み。ゴルシと一緒に住むようになって数年。初めは新婚さながらだった甘い同棲生活も、いまや熟年夫婦のようになってしまった。
 お互いが日常、当たり前の存在というのも幸せなことだと思う。けれど、どこか物足りなさを感じてしまうのもまた事実だった。
「付き合い初めなんか、手を繋ぐだけでどきどきだったなぁ」
 自分の掌を眺めながら、彼女の手のあたたかさを思い出す。もう長いこと手を繋いでデート、というようなことはしていない。一緒に出かけることはあっても、デートという感じではなく、ただのお出かけのようになってしまう。
「やっぱりマンネリなのかなぁ……」
 と、事実を口にして、ちょっぴり切なくなった。そのまま私と彼女の關係についてしばらく考えたあと、これが家族になるってことなのかしら、と自分の両親の姿を思い浮かべたりもした。
「ようよう、なにぼけっとしてんだ?」
 しばらくの間座卓に向かってぼうっとしていたらしく、目の前にはよれたTシャツにジャージのゴルシが、少し屈んで私の顔を覗きこんでいた。
「ううん、なんでもないよ。夜ご飯にしようか、今支度するね」
 明日のトレーニング内容を整理しつつ、ダイニングテーブルに夕食を並べる。
「おっ、にんじんハンバーグじゃねぇか!! ちょうど食べたいと思ってたんだよ! さすがはトレーナーだぜ!」
 ゴルシはぴょんぴょんと子供のように跳ねながら、嬉しそうに言った。
「やっぱり長く一緒に住んでると、以心伝心ってあるよね」
 彼女は私の言葉にぶんぶん首を縦に振り
「アグリーーーーーッ! 私もトレーナーの思ってること丸わかりだぜ?! フッフーー!」
 と叫んだ。にんじんハンバーグがよっぽど嬉しかったのだろう。いつも高いテンションがさらに高かった。
 それなら、たまには恋人らしくしたいって思っているのもわかるのかな?
 なんて少しだけ期待したけれども、いつもと変わらない様子で食卓に着いた彼女を見るに、私の心の内は読めなかったようだった。
 近所迷惑だからと彼女を落ち着かせ、二人向かい合って夕食を摂った。
 にんじんハンバーグにサラダに、パンにスープ。飲み物は野菜のスムージーにして、毎食少しでもたくさん栄養が摂れるように献立を作っている。
 今日もたくさん運動をしたから、お腹が空いていたのだろう。ゴルシはすぐに夕食を平らげ、
「ごちそうさまだぜ! いつも通り美味でございましたわ! オーッホホホホ」
 と言って、空になった食器をシンクへと下げた。
 今晩、久しぶりにそういうことをしたい。そんな気分になった。けれど、どうやって誘えばいいのだろう。悩みながら箸を動かす。ご無沙汰すぎて、私は誘い方すらも忘れてしまったらしい。
 最後にしたのは半年ほど前。ゴルシが泥酔して帰ってきた日のことだ。帰ってくるなり玄関でめちゃくちゃなキスをされて、そのままベッドに押し倒された。
「そんなカッコでいるトレーナーが悪いんだぜ?」
 彼女はそう言って私のキャミソールを剥ぎ取った。その日はまだ夏の暑さが残っていて、私にしては珍しく薄着で彼女を出迎えたのだった。
「今日は、薄めのキャミソールにしようかな」
 密かな決定をしたところで、私の皿も空になった。食器を重ねて、シンクへと運ぶ。今日は私が皿洗い当番の日なので、そのままお湯を出して皿を洗った。
 食後二人並んでソファに座り、ありふれたバラエティ番組を眺めた。ゴルシは、テレビにタレントが映るたびにアンドンクラゲ、ベニクラゲ……とやたらにクラゲの名前をぶつぶつと呟いていた。
 私はおおかた、出演者がどのクラゲに似ているか考えているのだろうな、と予想した。何を言っているのかと質問したところ、彼女の回答は予想通りのものだった。私もゴルシ化が進んでいるのかも、と思うとなんだか笑えてしまう。
 しばらくテレビを眺めたあと、私は意を決して風呂場へと向かった。もちろんキャミソールと可愛らしいショートパンツを持って。
 いつもより念入りに体を洗い、風呂上がりにはタオル棚の上で埃をかぶっていたいい香りのボディクリームを全身に塗った。これで準備は万端だ。
 あとは、うまぴょいするだけ……そう思ってリビングに戻ると、
「ね、寝てる……」
 ベッドのゴルシはタオルケットの下で気持ちよさそうに眠っていた。今日は体力づくりのトレーニングだったから、きっと疲れていたのだろう。私ももう大人なのだし、いちいち気にしてたら……なんて自分を宥めたけれど、念入りに準備をしただけに今晩はなにもないということが少しだけショックだった。
「トレーナー! 起きろ! 起きろってー!」
 ゴルシの隣で、横になりながらスマホをいじっているうちに眠ってしまったらしい。もう朝か、と枕元にある時計に目をやる。
「まだ二時だよ……」
 と二度寝を試みたところ、
「だめなんだよ! 今じゃなきゃな!! だから起きろ」
 とゴルシに布団を剥がれてしまった。なにが、と用件を尋ねると彼女は姿勢を改めて仁王立ちをしながら答えた。
「いやー。なんか、アイス食いてぇなって。コンビニ行こうぜ」
 そういえば冷蔵庫のアイスを切らしていたのだった。コンビニまでの夜道を一人で行かせるのも不安なので、私も同行することにした。
 流石に薄着で外へ出るのは憚られたので、とりあえずベッドの端に丸まっていたシャツとゴルシのハーフパンツを身につけた。
 ゴルシも似たようなよれよれの格好で、なんだかだらしない二人だ。同棲以前だったら、お互いに見せなかった姿。
 玄関に鍵をかけてマンションを降り、深夜の住宅街を歩く。たまに通る自動車以外にほとんど人気はなかった。
 店内ではラジオがかかっており、なにやら流行りの音楽が流れていた。私たち以外に客はおらず、店員はめんどくさそうな顔をしてレジに立っていた。
「どれにしよっかなー、ゴリゴリくんもいいけどパペコも……くっそー悩むぜ!!!」
 色とりどりのアイスたちを前に、ゴルシは頭を抱えて絶叫した。店員が怪訝な目でこちらを見遣ったので、軽く頭を下げてその場をやり過ごす。
 結局彼女はゴリゴリくんのにんじん味を、私はパペコのホワイトサワー味を選んだ。
「袋いりますか」
「百枚くれ」
 店員の定型文通りの質問に、ゴルシは大真面目な顔でこう答えた。店員が面倒くさそうにかしこまりました、と言って袋を次々に取り出しはじめたので、私は慌てて
「一枚で! 結構です!! 本当にごめんなさい!!」
 と言って一枚だけ袋を受け取り、いそいそとコンビニを後にした。
「なぁ、ちょっと散歩して行かねー?」
 ゴリゴリくんを齧りながら、ゴルシは私の方を見てそう提案した。
「いいよ、少し歩こうか」
 あれだけ走り込んだのに、まだ体力が残っているなんてすごいなぁと感心しつつ、私たちは住宅街を抜けて河原へと向かった。
 マンネリかもと悩んでたけど、これはこれでいいのかもしれない。ゴルシと土手を歩きながら、そんなことを思った。付き合い初めのような胸キュンだのトキメキだのは無くなってしまったけれど、それでもこうしてゴルシといることが幸せに思えた。
「あっ、あの公園」
 土手を降りたところにある、小さな公園が目に入る。ブランコとすべり台、ベンチとゾウの乗り物だけが置いてあるその寂れた公園は、私たちがはじめてキスをした場所だった。
「そんなこと、もう忘れちゃったかな」
 さっきこれはこれでいい、なんて思ったけれど、やはり本音は少し寂しい。できることなら、一生どきどきしていたかったから。
「オメーとアタシが初めてキスした公園じゃねーか」
 予想外の言葉に、えっ? と声が出てしまった。
「覚えてたの?」
「あったりめーだろ、大事な思い出だろ?」
 驚いて立ち止まってしまった私に、彼女はばーかと言ってデコピンをした。なんだか、恋愛漫画に出てきそうなやりとりだ。
「久しぶりにどきっとしたかも……」
 半分残っていたパペコが、手の中でじんわりと溶けていく。気づかないうちに口から漏れていた私の一言を、ゴルシは聞き逃さなかった。
「もっと、どきどきさせてやろうか」
 ゴルシは残っていたゴリゴリくんを食べきり棒を片手に下げていたビニールへと捨てると、そのまま開いた方の手で私の顎を持ち上げた。
「待って、こんな道端じゃ恥ずかしい……」
「こんな夜中に誰も見てねーからさ、ほら」
 彼女に促されるまま、久しぶりにキスをする。やわらかくて、少し湿った彼女の唇の温度は前と全く変わっていなかった。
「真っ赤になってやんの。相変わらず、トレーナーは世界一可愛いアタシのお姫様だな」
 お姫様なんて歳ではないけれど、それでも好きな人に可愛い、と言われるのはとても嬉しかった。
 ゴルシは私の手に指を絡めて、再び歩き出した。引っ張られるようにして、私も歩いた。
「オメーさあ、今日アタシに抱かれたかったんだろ?」
「えっ……!?」
 唐突にそんなことを言われたものだから、素っ頓狂な声を出してしまった。絶対にわかっていないと思っていたのに、どうしてそのことがわかったのだろう。恥ずかしさから、なんで……?と小声で聞き返すと彼女は
「そんなの顔見りゃわかるって、何年一緒にいると思ってんだよ。それに、いい匂いのボディクリームも塗ってあるみたいだしー?」
 私の考えは、お見通しだったらしい。私の方が歳上だというのに……
 あまりにも恥ずかしくて、私はゴルシから顔を背けた。
「だって、もうマンネリになっちゃったのかなって思って……もう、恋じゃなくなっちゃったのかなって」
 私は、自分の本音を彼女に伝えた。声が震えてしまったけれど、涙も溢れそうだったけれど。それでもなんとか絞り出した私の本音。
「アタシは今でも、トレーナーに恋してるけどなぁ」
 ゴルシは少し寂しそうに呟いた。
「だって。最近手を繋いだりとか、デートとか全然なかったから……だから、もう私にどきどきなんてしなくなっちゃったのかなって……」
 ネガティブなことは出来るだけ言いたくなかった。なのに。
 ふいに、彼女は繋いでいた私の左手を自らの胸に押し当てた。
「ゴルシちゃん、今もどっきどきなんだけどなー?」
 豊かな彼女の胸の奥から、どくどくという心臓の音が聞こえてきた。
「アタシはいっつも、アンタにときめいてるんだぜ。風呂上がりなんかすげー色っぽいし、寝起きのぼけっとした顔なんかたまらなくかわいい。もしかして気づいてなかったのかー?」
「そう、だったんだ」
 全然気が付かなかった。もう、何年も一緒にいる私に魅力なんて感じないのだと思っていたから。
「いや、まあ。気が付かなくて当たり前っちゃ当たり前だな。いつのまにかそういうの、なんか恥ずかしくなっちまって。全然言葉にしてなかったぜ」
 彼女は私の頭をわしわしと撫でた。ゴルシの私より大きくて綺麗な手。頭がくしゃくしゃになっても、彼女は撫でるのをやめなかった。
「アタシ、アンタを泣くほど不安にさせてたんだな、悪いことしたよ。ごめんな、トレーナー」
 自分でも気が付かないうちに、涙が出ていたらしい。頬を伝う生ぬるい液体を、手の甲でごしごしと拭った。
「私こそ、最近ちゃんと好きって言えなくてごめんね」
 好き、という気持ちを表に出さなくなっていたのはゴルシだけではない。私も、慣れや恥ずかしさを言い訳にして、愛を伝えることを怠っていた。
 私も、ちゃんと愛を伝えよう。
「これからは毎日ちゅーしようぜ、いってらっしゃいとおかえりのちゅー」
「それって新婚さんみたい」
 ゴルシのおどけた提案が、おかしくも嬉しかった。まだ春の匂いの残る風が、二人の腕の間をふうわりと通り抜けていった。
「アタシは一生アンタと新婚さんでいたいけど?」
 ゆっくりと進めていた歩を再び止め、彼女は真剣な目でこちらを見た。
「えっと、あの……」
 ちゃんと愛を伝える、という決意はどこへやら。照れ臭さから、私は下を向いて彼女の視線から逃げてしまった。彼女は私の耳元へと顔を近づけ、こう囁いた。
「もう一生隠さねーからな。好きだって気持ちも、愛し合いたいって思いも全部」
 心拍数は、今までにないほど早くなっている。好き、好き、私はゴルシが好き。頭から爪先まで、好きという気持ちでいっぱいだ。
「ゴルシ、大好き」
 私もちゃんと伝えなくちゃ。こう言って、背の高い彼女の瞳を覗いた。
「アタシもアンタが大好きだ」
 恋は永遠。私はきっといつまでも、ゴールドシップに恋をしている。
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