【ゴルトレ♀】抱きしめるはなし

「ふーっ、やっぱり日本の空気が1番肺に馴染むなぁ」
 6月の夜、大荷物を引いて空港のロビーを歩いていた私は思った。湿っぽい空気を思い切り吸い込んで、吐いた。
 この1週間、私は香港にいた。海外のウマ娘たちのトレーニングを見学させてもらいに行ったのだ。
 日本のウマ娘は欧米のウマ娘たちに比べて小柄なため、トレーニング内容をそのまま取り入れるということができない。そこで、同じアジア圏である香港のウマ娘たちを参考にしては、という意見が学内で上ったのだ。その代表として選出されたのが、なぜか私だったのである。
 日本語と英語が少しできるくらいの、平々凡々なジャパニーズである私よりもっと適した者はたくさんいると思われたが、学園長命令であれば仕方がない。幸い現地のガイドは、日本語もちろん英語もペラペラ中国各地の言葉にフランス語、ロシア語まで操っていたから、言葉に不自由することは一切なかった。
 ガイドである彼は、20代後半で背の高いイケメンだった。甘いマスクにナイスなスタイル、5カ国後を話せる頭の良さを併せ持っていた彼は、いかにもプレイボーイというような[[rb:出立 > いでたち]]だった。
「ねぇ、この後はそのままホテルに?」
 見学をした帰り道、ギラギラと輝く摩天楼の間を並んで歩いていたとき、彼は蜂蜜みたいな甘ったるい声で尋ねた。
「え、ああ。そうですけど……」
 彼は私の方に手を置いて、顔を近づけながら囁いた。
「よかったら、うちで飲まない? いいワインが揃っているよ」
 ワインなんて建前に過ぎないことくらいは、私にでもわかった。彼は片眉をあげて、私の返事を待っている。ぐずついた空から、一粒雨が落ちてきた。頬に当たった小さなそれは、そのまま滴ることなく私のファンデーションを滲ませているようだった。
「ごめんなさい、私恋人がいるので」
 ふぅん、と彼はつまらなそうに鼻を鳴らした。こういうことには慣れているらしく、その後は普通に話をしてホテル前で別れた。
「君みたいな素敵な女性と飲めなくて残念だよ。そのボーイフレンドが羨ましい」
 正確に言えば、私の恋人は女性だからガールフレンドというのが正しいのだが、わざわざ訂正するほどの仲でもなかったので私は黙って微笑んだ。
 彼はウインクをして、ひらひらと手を振りながら都会の喧騒へと溶けていった。だんだんと雨粒が大きくなってきたので、私は急いでロビーへと入った。
「ゴルシちゃんに会いたいな……」
 これが、部屋に入ってから真っ先に出てきた言葉だった。
 ほぼ毎日彼女と過ごしていたからか、たった2日離れていただけで私は寂しくてたまらない気持ちになっていた。担当で、友達みたいで、恋人の彼女は毎日私の手を引っ張って色々な世界を見せてくれる。
 ホームシックならぬ、ゴールドシック。いつもなら絶対に思いつかないような、しょうもない駄洒落を考えてしまう程度には、彼女が恋しかった。
 携帯電話に手を伸ばした。彼女からの連絡はない。彼女はもともと連絡がまめな方ではなかったから別にいつも通りなのだけれど、なぜだか今日は無性に寂しくなってしまった。
 [[rb:ゴールドシック > ・・・・・・・]]は1週間ずっと続き、5日目には枕を濡らすほどだった。そして、長い長い出張はついに終わった。
 行く者帰ってきた者そのほか[[rb:者々 > ものもの]]が行き交うロビーの先に、大好きな芦毛の頭が見えた。そして、ぴょこぴょこと動くウマ耳。
「よぉ! 久しぶりだなトレーナー!! サプライズで来てやったぜ、喜べ!!」
 彼女は人々の間をするりするりと忍者のように駆けてきて、私の前で仁王立ちをした。
 彼女の顔を見たら、安心からか緊張の糸がぷつりと切れた。目からぼろぼろと涙が出てきて、私は困惑した。
「ゴルシちゃーん……うう…………」
「ちょ、オメーなんで泣いてるんだ? 奇跡の再会でもねーのに」
 彼女は困った顔をして私の目を覗き込んだ。自分でもなぜ泣いているのかわからないから、私は何も言うことができなかった。
「寂しかったのぉー……会いたくて、やっと会えてぇぇ…………」
 えんえんと子供が泣くように、私は泣いた。まばらにいる人々が、怪訝そうな顔でこちらを見ていたが涙は止まらなかった。
「わかった、わかったから。とりあえず、出るぞ。歩けるか?」
 私は小さくこくりと頷いた。彼女の右手が、私の左手を掴み、ぎゅうと握った。
 彼女の手に引かれるまま、私たちは空港に隣接された公園に到着した。もう19時を過ぎているからか、子供達の姿はない。ベンチにでも座るのかと思ったが、彼女はずんずんと私を連れて歩いていく。
 公園の端にポツンと植えられた落葉樹の前で、彼女はようやく立ち止まった。
「ゴルシちゃん、こんなところでどうする……」
「すっげー寂しかった。やっと会えて、メチャクチャ嬉しい」
 私の言葉を遮って、彼女は叫んだ。
「本当は見つけた瞬間に抱きしめてやりたかった。けど、アンタが人前でそういうことをするのが好きじゃねーって知ってたから、頑張って我慢した」
 背中を向けていた彼女が、手を解いてこちらを向いた。彼女も私と同じ気持ちで1週間を過ごしていたらしい、ということに私はようやく気がついた。
「もう、いいだろ?」
 私が頷くと、彼女は勢いよく私を抱きしめた。いつもよりもずっと力強いハグだった。視線を落とすと、彼女の尻尾まで、私を抱きしめようとしていたのが見えた。
「出張なんて行くなよ、このヤロー。仕事だから仕方ねぇってわかってるけどさ。寂しかったんだ、すごく」
 彼女の豊かな胸が、私のほとんどない真っ平らな胸部に押し当てられる。その奥から、どくんどくんと彼女の鼓動が伝わってきた。
「私もすごく寂しかった、だからさっき顔を見て泣いちゃったのかも。電話でもしてくれればよかったのに」
 彼女はやだ、と言った。
「だってさ、声聞いたら余計に会いたくなるじゃねーか」
 出張中、いつも以上に連絡が少なかった理由がようやくわかった。本当は、少し不安だったのだ。彼女と私の気持ちは同じ重さじゃないのかもしれない、と。
 どうやらそれは、私の思い過ごしだったらしい。
「ああ、トレーナーがいる。トレーナーの匂いだ。くそっ、心臓がうるせー」
 彼女は呟いた。私よりもはるかに背の高い彼女に包まれるようにして抱きしめられる。私の鼓動もまた、彼女のものと同じくらいに早くなっていた。
「だいすきだ。大好きだぜ、トレーナー。悔しいくらいにだいすきだ、ずっとずっと会いたかった。1週間中ずっと、アンタのことで頭がいっぱいだった」
 いつもは飄々としている彼女が、珍しく感情のままに言葉を紡いでいる。
「私もね、ずっと会いたくて。だから、今日帰ってきてすぐに会えたのがすごく嬉しかった」
 夜の公園には、誰もいなかった。彼女は抱きしめるのをやめて、代わりに唇をよこした。何度も何度も、互いの存在を確かめるかのように、私たちはキスを重ねた。
「アタシは、ずーっとアンタのだ。だから、トレーナーもずっとアタシのものでいてくれよな」
 キスの雨が止み、彼女は言った。
「もちろん、なんなら名前書いてもいいからね」
 ここで茶化すのかよ、と彼女は笑った。そう言った彼女のには右手には、いつの間にかマジックペンが握られている。
「えっ?」
 彼女がにやにやしながら、こちらにじりじりと近づいてきて……
 翌日、私の額は電車で、学園で大注目を浴びた。額にデカデカと書かれた「ゴールドシップ」の文字は、彼女からの一風変わったラブレターのようにも思えた。
 が、流石におでこは勘弁してと伝えよう。私はジャージに着替えて、グラウンドへと向かった。今日も、私の愛バ兼恋人が、私の到着を待っている。
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