【エストレ♀】ぜんぶ、夏のせい
その日は7月終わりの日曜日で、外は最高気温34度の真夏日だった。授業はなく、私とカツラギエースは、真昼間の刺すような陽射しを浴びながらグラウンドに立っていた。
「暑いね……体育館の予約が取れればよかったんだけど」
額に滲む汗をハンカチで拭いながら、ランニングを終えたカツラギエースに話しかける。彼女は直前まで走っていたから、全身汗でびっちょりだ。古ぼけたベンチの上に畳んである今朝洗ったばかりのふわふわとした白いタオルを彼女に手渡した。
「いいっていいって。トレセン学園は生徒が大勢いるから、予約が取れなくても仕方ねぇよ」
彼女はゴシゴシと顔を拭いて、タオルをベンチに戻した。そして、マジックで大きくカツラギエースと書かれたボトルを手に取ると、ゴクゴクと喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲み干した。
「冷てぇー! 火照った体に染みるなぁ!」
今日は一段と暑いから氷を多めに入れておいたのだが、どうやら正解だったらしい。彼女は口からこぼれた水滴をジャージの袖で拭うと、うーんと背伸びをしてこちらを向いた。
「トレーナーさん、なんか顔色悪いけどちゃんと水分取ってるか?」
実は、さっきからあまり気分が良くない。頭が締め付けられるように痛いし少し目も回っていた。
「ちょっとフラフラするだけだから、大丈夫だよ! ほら、今から水も飲むし」
彼女に心配をかけたくなかった私は、なんとか元気を振り絞って快活に笑って見せた。飲み物を取ろうと、ベンチに向けて体を傾けた瞬間。
ーーバタン! 体の力が抜けた私は、そのまま地面に倒れ込んでしまった。衝撃でたった土埃が、視界の端にチラリと見える。
「トレーナーさん! おいっ!! しっかりしてくれ……返事を……」
目を開けようと、返事をしようとしても体が言うことを聞いてくれない。頭の上から聞こえる彼女の声がだんだんと遠のいていった。
気がつくと、目の前には真っ白な天井が広がっていた。ぼんやりとした頭で私はどうしてしまったのかを必死に考えていると、横からいつもの声が聞こえてきた。
「よかった、目が覚めたんだな」
チラリと視線を横にすると、そこには泣きそうな顔のカツラギエースが座っていた。
クリーム色のカーテンが、エアコンの風でわずかに揺れている。どうやら、彼女が私を保健室のベッドまで運んでくれたらしい。
「ごめんね、心配かけちゃって。もう大丈夫だから、早くトレーニングに……」
まだ重い体を無理やり起こそうとすると、エースが立ち上がって私の肩を抑えた。
「トレーナーさんのばか! あたしのことなんて今はいいから、自分のことを心配しろよ!」
いつもは優しいエースが珍しく声を荒げて私を叱った。
「でも、今日のメニューがまだ……」
私がそう返した途端、肩を掴む彼女の手に力が入る。
「そうやっていつも人のことばっかり考えて! トレーナーさんに何かあったら、あたしはっ……」
彼女は目に涙を浮かべていた。そして悲壮な表情を浮かべたまま、私をギュッと抱きしめた。人間の男性なんかよりもよっぽど力強い抱擁だった。
そうしてしばらく、私は彼女に抱かれていた。ジャージの肩の部分が濡れている。カツラギエースの涙だった。保健室には誰もおらず、外から聞こえるウマ娘たちの掛け声だけが耳に響いていた。
「ごめん、トレーナーさん。あたし、ちょっと動揺しすぎだよな。自分でもわかってたんだけど、止められなくて。あたしたち、ただのトレーナーと担当ウマ娘だって言うのに、おかしいよな。あはは……」
彼女はもともと情に厚いウマ娘だ。それは知っていたけれど、まさか自分のことで涙を流してくれるだなんて、思わなかった。
「心配してくれて、ありがとう。ほんとにもう平気だから、心配しないで」
手を握ると、彼女はようやく安心したのか体を離した。彼女の体温が離れていくのがなぜかひどく名残惜しかった。その理由がわからず、私は困惑した。
「飲み物、飲めるか? トレーナーさんの水筒もう空だったから、あたしの飲みかけしかないけど……」
彼女が差し出したボトルには、大きく書かれたカツラギエースの文字。受け取ったはいいものの、指先がまだ痺れていてうまく持つことができず、私はボトルを落としてしまった。
ベッドの端に転がったボトルに手を伸ばしたけれど、うまく掴めずボトルは床をコロコロと転がっていく。
「あっ……」
「まだうまく飲めねぇか」
ごめん、と言いかけたところで彼女は水筒の蓋を開けた。そしてひと口スポーツドリンクを飲み、私の唇に自分の唇を押し当てた。
えっ? と声を出す間もなく、口の中にまだ冷たいひと口分のスポーツドリンクが注がれた。びっくりしたけれど、私の体は自然とそれを受け入れた。
ひと口、またひと口と冷たい感触が喉を通る。彼女の唇は薄くて、柔らかかった。
その間、感触を頭に焼き付けようとしている自分に気がつく。ああ、そうか。私は彼女のことが……
「トレーナーさん、顔真っ赤。キスぐらいしたことあるだろ」
カツラギエースはからかうように笑ったけど、彼女の頬は赤く染まっていた。
ーー私の頬が熱いのも、きっと夏の暑さのせいだ。
気がつきかけた自分の気持ちに蓋をして、何も動じていないかのように私は笑ってみせた。
「暑いね……体育館の予約が取れればよかったんだけど」
額に滲む汗をハンカチで拭いながら、ランニングを終えたカツラギエースに話しかける。彼女は直前まで走っていたから、全身汗でびっちょりだ。古ぼけたベンチの上に畳んである今朝洗ったばかりのふわふわとした白いタオルを彼女に手渡した。
「いいっていいって。トレセン学園は生徒が大勢いるから、予約が取れなくても仕方ねぇよ」
彼女はゴシゴシと顔を拭いて、タオルをベンチに戻した。そして、マジックで大きくカツラギエースと書かれたボトルを手に取ると、ゴクゴクと喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲み干した。
「冷てぇー! 火照った体に染みるなぁ!」
今日は一段と暑いから氷を多めに入れておいたのだが、どうやら正解だったらしい。彼女は口からこぼれた水滴をジャージの袖で拭うと、うーんと背伸びをしてこちらを向いた。
「トレーナーさん、なんか顔色悪いけどちゃんと水分取ってるか?」
実は、さっきからあまり気分が良くない。頭が締め付けられるように痛いし少し目も回っていた。
「ちょっとフラフラするだけだから、大丈夫だよ! ほら、今から水も飲むし」
彼女に心配をかけたくなかった私は、なんとか元気を振り絞って快活に笑って見せた。飲み物を取ろうと、ベンチに向けて体を傾けた瞬間。
ーーバタン! 体の力が抜けた私は、そのまま地面に倒れ込んでしまった。衝撃でたった土埃が、視界の端にチラリと見える。
「トレーナーさん! おいっ!! しっかりしてくれ……返事を……」
目を開けようと、返事をしようとしても体が言うことを聞いてくれない。頭の上から聞こえる彼女の声がだんだんと遠のいていった。
気がつくと、目の前には真っ白な天井が広がっていた。ぼんやりとした頭で私はどうしてしまったのかを必死に考えていると、横からいつもの声が聞こえてきた。
「よかった、目が覚めたんだな」
チラリと視線を横にすると、そこには泣きそうな顔のカツラギエースが座っていた。
クリーム色のカーテンが、エアコンの風でわずかに揺れている。どうやら、彼女が私を保健室のベッドまで運んでくれたらしい。
「ごめんね、心配かけちゃって。もう大丈夫だから、早くトレーニングに……」
まだ重い体を無理やり起こそうとすると、エースが立ち上がって私の肩を抑えた。
「トレーナーさんのばか! あたしのことなんて今はいいから、自分のことを心配しろよ!」
いつもは優しいエースが珍しく声を荒げて私を叱った。
「でも、今日のメニューがまだ……」
私がそう返した途端、肩を掴む彼女の手に力が入る。
「そうやっていつも人のことばっかり考えて! トレーナーさんに何かあったら、あたしはっ……」
彼女は目に涙を浮かべていた。そして悲壮な表情を浮かべたまま、私をギュッと抱きしめた。人間の男性なんかよりもよっぽど力強い抱擁だった。
そうしてしばらく、私は彼女に抱かれていた。ジャージの肩の部分が濡れている。カツラギエースの涙だった。保健室には誰もおらず、外から聞こえるウマ娘たちの掛け声だけが耳に響いていた。
「ごめん、トレーナーさん。あたし、ちょっと動揺しすぎだよな。自分でもわかってたんだけど、止められなくて。あたしたち、ただのトレーナーと担当ウマ娘だって言うのに、おかしいよな。あはは……」
彼女はもともと情に厚いウマ娘だ。それは知っていたけれど、まさか自分のことで涙を流してくれるだなんて、思わなかった。
「心配してくれて、ありがとう。ほんとにもう平気だから、心配しないで」
手を握ると、彼女はようやく安心したのか体を離した。彼女の体温が離れていくのがなぜかひどく名残惜しかった。その理由がわからず、私は困惑した。
「飲み物、飲めるか? トレーナーさんの水筒もう空だったから、あたしの飲みかけしかないけど……」
彼女が差し出したボトルには、大きく書かれたカツラギエースの文字。受け取ったはいいものの、指先がまだ痺れていてうまく持つことができず、私はボトルを落としてしまった。
ベッドの端に転がったボトルに手を伸ばしたけれど、うまく掴めずボトルは床をコロコロと転がっていく。
「あっ……」
「まだうまく飲めねぇか」
ごめん、と言いかけたところで彼女は水筒の蓋を開けた。そしてひと口スポーツドリンクを飲み、私の唇に自分の唇を押し当てた。
えっ? と声を出す間もなく、口の中にまだ冷たいひと口分のスポーツドリンクが注がれた。びっくりしたけれど、私の体は自然とそれを受け入れた。
ひと口、またひと口と冷たい感触が喉を通る。彼女の唇は薄くて、柔らかかった。
その間、感触を頭に焼き付けようとしている自分に気がつく。ああ、そうか。私は彼女のことが……
「トレーナーさん、顔真っ赤。キスぐらいしたことあるだろ」
カツラギエースはからかうように笑ったけど、彼女の頬は赤く染まっていた。
ーー私の頬が熱いのも、きっと夏の暑さのせいだ。
気がつきかけた自分の気持ちに蓋をして、何も動じていないかのように私は笑ってみせた。
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