HUNTER×HUNTER
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辺り一帯が嫌に熱くて、それはまるで灼熱のように。舞った土埃が眼を過ぎれば、ちくり、痛みが走るのだ。汚れた空気は竜巻のよう旋回し、痛みに変えた彼の激昂が振り落とされる。以前だ、興味本位で彼の技をこの眼で視ようとした所、広範囲に及んだそれに危うく飲み込まれそうになってしまった事があって。あのまま見惚れて居たら、在るは確実なる死であった。正直、命と引き換えてまで視る勇気はない。そうして怒りの象徴、彼が小さく呟きを発した途端、反射的に身体はこの場を後としていた。息を切らし、薄暗な建物から一歩、肌に陽の光が触れた瞬間。背を押すような爆風が身を仰け反らせる。―――
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消毒液にガーゼ、軟膏に包帯。これだけあれば、取り敢えず応急処置程度にはなるだろう。
錆びれた貸宿。どこで見つけたのか、既に廃墟と化した其処は、夏であると言うのに幾分、妙な涼しさがあった。部屋のドアノブを回す手前、一応声を掛けてみる。
「フェイ、起きてる」
寝ているなら、あとの方がいい。女王蟻の討伐中、彼が生身で受けた傷は相当な物だった。駆逐後、帰り際は案外平然を装って居たが、身体の回復には時間を要すると思えた。傷の手当てより寝ていたい、と言うのなら勿論そうした方がいい。自身の身体の事だ、理解と決定は彼に委ねる。
「寝てるのね」
暫くしても応答がないので、また出直そうと
『いつまで そうしてる気か』
「あ……ご、めんなさい。ずぶ濡れだから驚いちゃって」
『ここ水道、まだ繋がてるみたいね、ツイてたよ』
成る程、水浴びか。バスタオルを腰に巻き付けた彼に顎で“入れ”と促される。私は切傷が浮かぶその背に続いて、ドアを締めるのだった。
部屋に脚を運べば埃を被ってはいるものの、割れた窓硝子より吹き込む風のお陰で、空気の流れはいい。きっと、隙間風なく密室のままなら、積もった埃で咳込んでしまう所だった。薄い背が向かうはシーツのないマットレス。良く見れば、彼が腰に充てがうバスタオルと思わしきそれはベッドシーツを剥がした物であった。
「フェイ、シャワールームがあるなら、ちゃんとそこで身体を拭いたら良かったのに」
黒色の髪の毛。毛先から落ちる大粒の雫と、半端に拭いた身体から滴る水が、床を引き
『お前が帰ろうとするからね』
「え、」
『勝手に入れば良かたのに。何故、帰ろうとするか』
それじゃまるで。私を引き留める為に慌ててシャワールームを出て来た、そんな言い方ではないか。ドア先から声を耳にし、素早く蛇口を捻り水を止め。肌に在る水滴を十分と拭う事なく、咄嗟。眼に触れたベットシーツを剥がし纏わせては、あのドアを。もし、もしもそうだとしたら、こんなに嬉しい出迎えは他にない。怪我人を前に申し訳ないが、上がる口角を自身でどうこうするには難しかった。
『何、笑てるね』
「ごめんね、嬉しくて、つい」
『は?』
「何でもない。さ、傷口の手当てをさせて」
『………よく解らない奴』
「あなたもね」
『喧嘩したいか』
「違うわよ」
『売るなら、買うよ』
「だから、違うってば」
可笑しくなって吹き出すと、彼はあからさまと不機嫌を決め込むのだから、これまた可笑しな事。声を出して笑えば、次は部屋から出て行けと追い出されるに違いない。私は小さな嬉しさで込み上げた笑みを必死と固め、後。彼の隣に腰を下ろしては、持って来た応急処置道具を広げるのだった。―――消毒液にガーゼ、軟膏に包帯。新品のそれらから仄か香るは、病院を彷彿とさせる物だった。この時改めて、彼が手当てをしなければならない怪我人だと思い知らされれる。無事で、無事で良かった。ガーゼに適量の軟膏を薄く伸ばしていると、彼は面倒な面持ちで息をつく。
『こんなの、唾付けて寝てれば治るね』
「何言ってるのよ、犬や猫じゃないんだから」
億劫な様で在るものの、明らかな拒否を見せず、ただ大人しく其処に居る。言葉はなくも、二人の関係を表すには十分だった。
「先に消毒するわね、少し染みるかも」
軟膏を塗ったガーゼより先、彼が水浴びで綺麗と汚れを落とした肌へ消毒液を吹きかける。一応顔色を伺い処置を成すが、貫くは無言。傷口に染み、
「フェイ、痛いわよね。あとはガーゼと包帯巻くだけよ、もうすぐ終わるから」
『別に。全然痛くないね、むしろ痒いくらいよ』
眉間の歪みを嘲笑を浮かべる事で擬態させている。恋人の前なのだ、強がらず痛い時は痛い、辛い時は辛いと言ってくれて構わないのに。この漢の痩せ我慢と来たら、苦笑が零れるほどに。後、消毒した皮膚へ軟膏が付いたガーゼを充てがい、新品の包帯を巻いてみせる。
「どう、きつくない」
『緩いよりは、きつい方が好みね』
「………えっち、最低」
『なに言うか、包帯の話しよ。名前の方こそ、なに連想してるね』
「…もうやだ、…意地悪」
『は、褒め言葉ね』
「フェイ」
諦めが肝心であるが、そんな漢を好きになってしまったのだから。どうもこうも無い。私は、彼の傷を負った肌に頬を寄せるのだ。温かい。きちんと血の通う、人間の温かさのそれ。―――生きてる、ちゃんと生きている。肌から、皮膚から巡る心臓の躍動が、彼の生を強く証明していた。この温もりが消えるなど、考えただけで酷く息苦しい。
「無事で良かった」
濡れた毛先からは未だ、ぽつり、ぽつりと。拭わぬ雫が溢れ落ち、私の頬へと流れてくる。雨みたいだと思った。静か、安らかに途切れなく流るる恵み。なんて、心地良い。微か、傍で聞こえる彼の息遣いと、肺が上下する胸板、肌から伝わる確かな熱。全てが心地良くて、まるで雨だと。そう思った。
『馬鹿か』
「………」
『お前を置いて、逝く訳ないね』
心臓が、きつく締め付けられた。“好きだ”、“愛してる”そんな言葉よりも遥か。胸に届く口説き文句のようなそれは。躍動を早めさせるに十分過ぎて。ふい、するりと、彼の白い指先が伸びては、私の顎を捕まえる。そうして引かれゆく行先で、互いの唇は重なりゆくのだった。―――どうしよう、熱い。熱い、熱い。怪我をしている所為、炎症の反応で熱が出たのではないか。傷口から細菌に感染して、発熱しているのではないか。様々な不安要素が脳裏を過る中、眼の前の情景は一変。いつの間だろう、天井を見上げ、彼が私に覆い被さって居る。無論、押し倒された事へすら気付かなかった。
「フェイ、待っ、……」
唇が離れるも、互いは透明の糸で繋がれて居るまま。待てと口にしたものの、見上げた瞳は恍惚。駄目だ、そんな視線を充てられ平常で居られる程、私はお利口でも何でもない。他ならぬ彼が其処に居て、肌が、唇が触れゆく時に。その白い首筋へ手を回せずには居られないのだ。言葉と行動がまるで乖離している。
「怪我、酷くなったら、きっと私の所為ね」
『少し違うね』
「……」
『二人の所為よ』
天気予報では一日晴れのはずだったが、通り雨だろうか、外は雫に埋もれている。そしてこちらもまた、覆い被さる彼の毛先より。拭い切れずに今も尚 落とされ続ける冷たい雫が、頬を撫でるのだった。それは、安らかに途切れなく流るる、恵み。次に唇が重なる音は、雨の音に掻き消されていた。