アーカイブ
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
M県S市杜王町。山があって海があって、ついでに川もある。勿論、都会に比べれば遊ぶ場所やイベント事は少ないかもしれないけれど。それでも、街中に行けば大概欲しい物は揃うし、学校終わりの学生が夕食時まで時間を潰すには、殆ど退屈しないで済む。華は控え目だが、割といい町だと、俺は思う。―――咥えたストローから口に広がる炭酸が、なんて間抜けな事だ。冷たくきりっとした気泡に、少し浮かれた脳内を正す為と頼った癖。これでは微炭酸が舌で転がるだけ。
「美味しくないの」
最近出来たカフェだった。“S市初上陸”なんて謳われると、物珍しさに誰もが爪先を向けたがる。当然、自身もその広告にまんまと引っ掛かった一人なので、たかだか炭酸が抜けていたくらい、気を穏やかにしたい物だが。どうも、眼の前に彼女がいる手前、無意識。小刻みと揺れる片足が落ち着かずにいる。
『…いや、旨いぜ。ああ、そりゃもう、最高』
「そう、それなら、よかったわ」
地元のぶどうヶ丘高校に上がり、暫く経った頃だ。眼が回るよう奇怪な日々も、あらかた収集が着き。かつて在った日常が、再び時を進めている。普通に起床し、普通に飯を喰って。何故か迎えに来る友人と登校し、ありふれた授業を受ける。帰り道は漢三人でつるむ時もあれば、一人。パチンコへ寄ったり、大人しく家でテレビゲームをしたりなど。なんの変哲もない、かつての日常が、ただ時を重ねている。しかし、そんな当たり前の日常に、ひとつだけ。本当にひとつだけ変化があったのだが。これがなかなかどうして、厄介極まりないのだ。―――燻り揺れる、小さな感情である。ちなみに自慢じゃないが。はっきり言って自身が持つ、知識の外。全くの未知、片足くらい揺れだってする。
『それで、話しってのは』
「嗚呼、突然誘ってごめんなさいね。ほら、仗助くんて、康一くんと仲良しでしょう」
『野郎同士で“仲良し”ってのは、ちょっと気色悪いぜ』
頬を引きつらせた俺を視て、彼女はそれが可笑しかったのか、愉しそうと吹き出した。―――間抜けな炭酸が実に“美味しい”カフェへ誘われたのは、丁度、下校途中の事。友人二人は予定があるという事なので、昨日夜にセーブしたゲームの続きをするか、パチンコへ向かうかを悩んでいた所だった。背中に柔らかな声を掛けられ振り返れば。同じクラスの彼女がそこに居て。なんでも、俺に訊きたい事があるらしく、話しの内容に場所を選ぶ事から、この。出来たばかりのカフェへ二人、テーブル席を真向かいに座っている。
「やだ、気を悪くしないで頂戴ね」
『別にいいけどよオ』
前述、燻り揺れる小さな感情は。何故か彼女を眼にすると湧き立つ、と最近知った。きっかけは、康一が由花子と付き合い始めた頃だろうか。由花子が友人である彼女と、惚気話で盛り上がる様を度々見掛けるようになった。話しの内容は全く以てどうでもいいのだが、その惚気話しに、いちいち頬を紅潮させる彼女の
「それで、本題なんだけれど」
向かいの彼女は。カフェオレだか、カフェラテだか解らない、甘い匂いのするティーカップを唇から離しては。誰が周りで訊く訳じゃないにも関わらず、それは小声で呟くのだった。
「由花子さん、康一くんとお付き合いしてから、凄く幸せそうじゃあない」
『はあ……』
「それで……それでついに、ついにね」
『………』
「キス、したんですって…!」
友人の、それもかなり近しい友人の、予想外。唐突な色恋事情の暴露に、思わず咥えていたストローから炭酸を吹き出してしまった。その様子に慌てた彼女が、スクールバッグからハンカチを取り出す手前。それを制し、自身のポケットから ちり紙を取り出す。一応、ハンカチとちり紙は、持ち歩く主義なのだ。まあ、吹き出した奴が何を言おうが格好付く訳ないのだが。後、口元を奇麗さっぱり拭い終え、一呼吸済ませたあと。余り戻りたくない先の話しへ時を戻す。しかし、しかしだ。そもそも。
『それ俺に話して、どうすんだよ』
「それもそうね、きちんと筋立てて話すべきだったわ。私が訊きたいのは、その…どんな感じなのかしらって」
『どんなって』
「…キ………キス」
『いや、だからよオ! それを俺に言われても困るぜ、だいたい由花子に直接訊きゃあいいじゃあねえか、ダチなんだろ』
少しばかり大になった声。彼女はその応えに対し、“二人の秘密なんだそうよ”と首を横に振るのであった。本当に、なぜ俺が誘われた。僅かでも期待してしまった自身が幾分、愚かに感じる。取り分け、彼女はただの話し相手が欲しかっただけなのかも知れない。否、そうに違いない。俺は、間抜けをかます炭酸のストローを引っこ抜いて、ジョッキごと一気に胃袋へ流し込んだ。嗚呼、不味い。込み上げる嘔気を無理矢理喉奥へ押し込むと。思いもよらぬ声が、ぬるい炭酸でいっぱいの胃袋を締め付けるのだった。
「由花子さんに言われたのよ」
『なんて?』
「仗助くんに訊きてみたらって」
『なんで!』
危うく
「ほら、仗助くんてお洒落さんでしょう。靴は“バリ”ーだし、靴下だって“ミスタージュンコ”の高いシリーズ」
『お〜…、お洒落さんね。響きは悪くねえな。まあ、お洒落っつうなら、この髪型が一番のポイントだぜ、仗助くん的にはよオ』
「髪型の事はごめんなさいね、よく解らないんだけれど……でも。そんなお洒落さんな人が」
『うんうん』
「キスの経験ひとつないなんて、あり得ないじゃない」
『うんうん、…は?』
―――なにがあり得ないって。そりゃ学校へ行けば、ジョジョだジョジョだと
「って、由花子さんが言ってらしてね」
『あのアマッ!』
「だから、どんな感じか知りたいなら、仗助くんに訊いてみなさいって、言われたの」
『あのアマッ!』
語彙力がほとほと
「そ、それで、どんな感じなのかしら」
『……それは、それはよオ〜…その』
考えろ、考えろ。このイカした髪型に埋まる脳味噌で考えるんだ。向かい、彼女から送られる期待に染まる視線が、痛くて痛く仕方がない。そうして俺は、漢の
『そのカフェラテの泡』
「……泡?」
『そう。始め、そいつに唇充てたろ。例えるなら、まあ、一番近しい感触がそれだ、ウン』
自分で言っておいてあれだが、それは物凄く柔らかくて、温かくて、甘いのかもしれない。まだ触れた事のない未知は、一体どんな味だろう。後、少しの沈黙のあとだ。彼女は仄か、頬を桃色にしながら。それは可笑しそうに呟くのである。
「仗助くん」
『あ?』
「これ、“カフェオレ”」
『どっちだって、いいじゃあねえか!』
不味くて間抜けな炭酸はやめて。今度、彼女と二人で訪れる時は。黙ってカフェラテを頼む事とする。………カフェオレか。
15/15ページ