トリコ
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皺一つない白のジャケットへ袖を通し、髪もオールバックにセットした。要らないと思いながらも腰刀を添えるのは、日頃の癖に他ならない。――…海竜、レオドラゴンの牙から成る名刀“竜王”。血反吐の出る鍛錬を共にした自身の剣術には、到底欠かせない物であり、もはや身体の一部と言っても過言ではない。この牙と共、いよいよ出発となる南へ。南極大陸より遥か最南端、アイスヘルへ向かう事となる。
「マッチさん」
『…ラム、シン、ルイ』
面積は、約千三百万平方キロメートル、気温は年中 零下五十度を下回る。話を聞けば、周辺はどこもかしこも氷山だらけの断崖絶壁。人間界の中においても屈指の危険地帯とされているらしい。そこへこいつらを連れて行くのは気が引けるが、なかなかどうして背中を追うのをやめない。諦めが悪い所は誰に似てしまったのか、思わず苦笑が漏れる。
『あと少しで出発だ、スラムに居る…かつての俺等みてえなガキに、飲ませてやろうな』
「勿論です、手に入れましょう、センチュリースープ」
古来、冷凍技術が発達していなかった時代。美食屋たちがアイスヘルの天候を天然の冷蔵庫代わりにしていたと言う。長い年月を経て保存されたグルメショーウィンドウには、世界中の食材が今もなお そこに埋まっていて。美味なる食材がもたらすエキスが融合され、伝説のスープ、センチュリースープとして流れているとの事。そうして恐らく、予期せねばならない事態は スープの争奪戦である。理由は闇に紛れるも、美食會が何かしら動きを見せ始めている事に変わりはない。自身の腕や脚の一本、二本程度なら想定内、はなから無傷で手に入れようとは思ってなどないが、どうにか無事に帰還したい物だ。
『そうだな……じゃあ、俺は少し空ける』
「竜王の研磨ですか、お供します」
『いや、今日は…一人が良くてよ、夕刻には帰る』
「名前さんですか」
『…………まあ』
玄関先で腰刀を充てがった
「それならちゃんとプレゼントの一つや二つ、持って行かないと駄目ですよ」
「そうですよ、しばらく会えなくなっちゃうんですから」
「本当、本当。帰りを待つって、結構しんどい
身支度も束の間。手ぶらで逢おうとしていた手前、何やらそれではまずいらしい。
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「マッチ」
俺の姿を視線の端に捉えるや否や、彼女は表情を緩ませ、読んでいた本を閉じる。待ち合わせ場所は 人気のない静かな海。夜なら薄暗なバーという選択肢もあったが、何せ今日の夜から早々に出向く為、残された時間は限られているのだった。寄せては返す波の音、堤防へ腰掛ける彼女の隣へ身を寄せる。
『穏やかだな』
静かと揺れる海。向かう先ではしばらく目にする事など出来ないだうろ。陽に照らされた水光を眺めて居ると、隣からコーヒーの香りがして。
「来る途中のカフェで買ったの、マッチの分も」
『悪いな』
テイクアウトしてくれた、ホットコーヒーを受け取り一口。目の前で揺れる水面も、湯気立つコーヒーも、彼女の優しい温もりも。――…五体満足、無事に還れる保証などどこにもない、誇れる
「何だか似合わないわね」
『何が』
「不安な顔」
自分の女に心配掛ける男なんざ、全く笑える。既に心中、見透かされてるに違いないし、ここで嘘をついたってロクな事になりはしない。二口目のコーヒーを喉奥へ流し込んだ
『名前』
「ん、」
『明朝には立つ。勿論、生きて還る事が前提だ』
遠くの海で、船の汽笛が鳴っている。超長音が続けて三回。これは世界共通、“さよなら”の意。穏やかな波の元、今、このタイミングで鳴らさなくたっていいのに。
『身体のどこかが壊れちまうかも知れねえ、お前を抱く腕や、一緒に歩く脚だって』
人目を避けたデートにも文句の一つ言わず。そんな彼女に対して、気の利いたプレゼントや言葉など与えた試しがない。それでも、逢えばいつでも変わらぬ笑顔で傍にいて、唇を落とせば控えめに頬を紅潮させる。髪を指先で
『それでも、お前が俺で良いってんなら、必ず幸せにする、だから、待って居て欲しい』
普段、浮いた言葉など声にする機会がなく。言ってみたは良いものの、これ程の羞恥とは。
「……お花、綺麗」
気の一つすら利かず、恥ずかしながらこれが初めての贈り物になる。正直、何を贈ればいいか、なんて分からない。受け取ったブーケに目を落とした彼女が、驚きの表情を浮かべるのも さながら無理ないだろう。
『なに選べば良いか……本当、分かんなくてよ』
「嬉しい、大切にするね」
『…大切にするったって、生花だぜ、いつか枯れちまう』
「そしたら“また”、あなたがプレゼントしてくれるでしょう」
『…そうだな』
愛おしそうに花を抱く彼女の横顔は、照らされた水光で、より煌めきを帯びていた。花などどれも同じに見え、あまり深く考えず渡してしまったが、案外嬉しそうな顔をする。贈り物をする男の気持ちが、何となく分かった気がした。ふと、見つめて居た花から瞳を反らし。向けられた視線はこちらへ。
「ねえ、マッチ」
『あ?』
瞬間、皺一つとないシャツの襟元を掴まれて。細く、白い腕に引かれる。寄せられるは、淡色の口紅が塗られた唇。近付いた時にしか感じる事のない、彼女の濃い匂いに、白昼と関係なく熱く反応してしまう身体は、呆れるほどに単純で。離た矢先、恐らくは腑抜けた面になっているであろう俺を前に。それは当たり前のよう呟かれるのであった。
「“早くキスして”欲しかったんでしょう」
『……は』
思わず間の抜けた声を出せば、彼女は瞳を丸くしたあと おかしそうに笑って。また、愛おしそうな表情で、手元にある赤い、赤い、花を覗くのだ。
「あなたがプレゼントしてくれたお花、ハナキリンって言うんだけれど」
『鼻? 何だって』
「花言葉なのよ」
――…早く、キスして。
「待ってるね、マッチ。いってらっしゃい」
『………行ってきます』
掌に握りしめていた、テイクアウトのコーヒーが