トリコ
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耳を澄ました。少しの風に煽られ波立ち、水面が揺らぐ音がする。この黒い、黒い、湖は、一体どこまで深いのだろう。通常、海ならば、空を映す光の反射比率が高くなり、浅瀬なら鮮やかな水色や、緑色になるし。深い海底であれば、反射光が届かず濃い青色、もしくは黒に見えるはずなのだが。――…黒の湖に浮かぶBAR“メリア”。ここは、湖の色そのものが漆黒の如く。どれだけ深いのか、もしも溺れたら足は着くのか、など考えも及ばぬ事。
『コンクラーベでいいよな』
カウンターすぐの、高い丸椅子に腰掛けると いつも私が口にするノンアルコールのカクテルを促す。小さく首を縦にすれば、彼はマスターのメリアへ コンクラーベと、自身の分であるマルガリータをオーダーするのであった。
「十夢」
『ん』
「結婚、しちゃうのね」
輪郭のない、ただに
『……ごめんな』
そんな言葉が欲しい訳じゃない。それでも、サングラス越しの彼の瞳は 傷付いた子供のよう、酷く重たく在って。向けられた瞳には、作り笑いの末、
常々ここは、彼との密会に適している場所だと思った。危険地域に浮かぶこのBARは、SPを連れた国の大統領だとか、大臣クラスの者。はたまた、常識から逸脱した取引や交渉が密に行われる特殊な場所なのだ。聞かれたくない話をするには、危険区域が好都合。何度も繰り返されたこの密会だって、その対象にある。
「困らせるから、ずっと言えなかったんだけど、私ね」
『……』
「本気で好きだったのよ、あなたの事」
『……本気なら、もっと早く言って欲しかった』
彼は被っていた帽子を外し、その黒黒とした髪の毛を無造作に掴んでは、乱暴に掻いて見せる。細いため息混じりの声、その声の先に何度、口付けただろう。髪を掻き上げるその太い腕に何度、抱き締められただろう。肌を重ねた回数など、もう、両の手では、全く数えきれない程に。
「本気だって言ったら、困らず喜んでくれた」
『ああ』
「そしたら、今。あなたの隣に居るのは彼女………“奥さん”じゃなくて、私だった」
『勿論』
「……タイミング、遅かったな。この前セックスした時、言えば良かった」
コンクラーベを一口。ミルクとオレンジの中に、仄かに木苺を感じる。甘酸っぱくて、美味しい。彼とこうして隣で飲む時は、必ずと言っていいほど このノンアルコールカクテルをオーダーしている。別にアルコールが飲めない訳じゃない、ただ、私にとって。彼と過ごす時間は、彼と、私、二人だけの世界で在って欲しかったのだ。
――…コンクラーベ。ラテン語で、“鍵のかかった部屋”
このカクテルを口付けている時だけは、彼と私は鍵の掛る部屋に二人きり。外から誰にも邪魔される事ない、特別な時間を過ごしている。ミルク多めのそれを口にしたあとは決まって、『俺にも一口』と私の唇を自身のそれで覆う流れ。
「……ミルク、切ラシテ居タミタイ。少シダケ、店ヲ空ケルワネ」
いつもながらメリアも、気遣っては丁度良い頃合いに店を空ける。ミルクなんて無くとも特に急ぐ物と思え
『名前、』
「なに」
『…俺にも、一口』
暗号と化されたその言葉を合図に。頬に在った指が、滑るよう降りては顎先を掴んでいて。互いが近づく際、もう一方の手で黒のサングラスを離していく。直線に重なった瞳が、静かと燃えていた。あとに睫毛を下ろせば、瞬間に感じるは唇への熱。幾度となく触れても飽き足らず、離れてしまう少しの時間さえ惜しいほどに。
『…名前、舌、』
「…十夢……ん、待っ、」
『待たねえ』
半ば無理矢理開かれた唇に、ぬるり。彼が口にしていたマルガリータの、濃厚なテキーラが。舌を伝って体液と共、この身に流し込まれていく。噛みつくよう荒々しい口付けに、脳内が
「駄目、ね、待って……っ、…今日はもう、これ以上は」
今更、良心が湧くなど
『愛してるんだ』
それもまた、今更。キスの時も、肌を重ねる時だって。今まで一言も声として聞いた事ないそれは。頭の回路を鈍らせるに、ほとほと十分過ぎた。見上げた瞳の奥には、目を丸く見開く自分が居て。
『離したくねえ…、』
「…………もう少し、早く言ってくれなきゃ、……遅いわよ」
『…悪い』
もう一度、と。どちらかともなく寄せられた唇。濡れた体液で溢れいて、深く混ざった舌先は、無意識に芯の熱を上昇させていく。彼の腕は既、回した背にあるシャツを通り越し、素肌に触れていくのだった。先に交わった情事を思い出し、下腹部の違和感が蘇る最中、彼は吐息と共、静かにその声を耳へ届かせる。
『俺がずっと。馬鹿みたいに、いつもマルガリータ、オーダーしてんの、お前なら気付くかなって』
ふと、いつかの記事で目にしたマルガリータのカクテル言葉を思い出す。記憶に捕まったそれは。――…“無言の愛”。
「言葉にしてくれなきゃ、本心かどうかなんて、分からないじゃない」
『なら今。“無言”を消して、ただの愛にするよ』
「………今更、ね」
苦笑を溢した矢先、乾燥した大きな手が、背を這い下着に指を掛ける。先程湧いた良心など、たった一瞬。下腹部の違和感が、本音中の本音である。彼同様、私もこの鍵の掛かった二人きりの部屋で。ただ、彼の愛が欲しいのだ。
「十夢、」
『ん』
「抱いてって、言ったら、困る」
問いに応えは要らなかった。アルコールを含んだ熱い唇が、首筋に滑り赤い跡を残していく。素肌に触れた指先も、外した下着に埋もれていた突起を探り出し、執拗に善くしていくのだから。指先の感触に耐えれず声を漏らせば、彼の瞳から余裕は削られていき。そうして、甘い、甘い、愛を呟かれる。
『言ってくれなきゃ、困る』
この日、私は、世界に鍵をかけた。