ケンガンアシュラ
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少し生地が分厚くなり過ぎただろうか。おおよそ三十秒から一分程でひっくり返すらしいが、この様子だと少し長めに火を通さないと生焼けになってしまうかもしれない。仮に生焼けになったとして 彼が青い顔で何度も繰り返し手洗いに行く姿など 全く想像出来ないが。
「あ、苺」
まずい、生地を焼く前に 苺を洗いヘタを取って置くべきだった。生クリームの完成に一人喜び 浮かれて冷蔵庫へ眠らせたのが少し前。苺も同じタイミングでカットしようと思っていたのだが、すっかり忘れクレープ生地を焼いてしまっている。今更 フライパンの火を止める訳にもいかないし、止めた所で本当の生焼け生地が出来あがってしまう事は確実。身体の作りが異常なまで頑丈と言える彼へも、さすがに そこまで粗末な物を出すにはいかない。
『随分とデッケえな』
突然響いた低い声に、無意識と肩が揺れる。今の今まで、目先のソファに身を預けては 大口を開け寝ていたはずなのに、まるで足音一つ立てず。いつの間に背後へ回られたのだろう。ふと事実 彼が“中”に居た頃を想う。こうして瞬間にも相手の背後へ回る異様な
「そう、クレープに入れようと思っ……て。…何で食べちゃうんですか」
振り向けば当然。先程まで大口を開け寝ていた彼の口は、周りを赤に汚しながら その甘い香り漂う苺を一杯に頬張っている。私が漏らした次の長い深呼吸が、溜息だなんて事もお構いなしに。
『あるなら喰うだろ』
「そうじゃなくて。そんな惜しげもなく食べないでください、せっかく山下社長が下さったんですから」
『どうせケーヒで落としてんだ』
「違いますよ、義伊國屋書店の大屋社長からの頂き物なんです」
『…ああ、ヒムロリョウと……カネダスエキチの』
この日、山下社長が 成り行きで友となった大屋から苺の差し入れがあったのだ。自身で購入した訳ではない、苺狩りで。聞けば、義伊國屋書店の闘技者である氷室と金田も連れたらしいが、その三人での果物狩りの図は なかなか堪える物がある。大屋はその場で 苺を摘まむ程度に楽しんだようだが あとの二人がそれはもう、とんでもない量の「お土産」を抱えたらしく。きっと互いを意識して どっちが多く採れるか、なんて勝負をしたに違いない。そして、とてもじゃないが食べきれないと 大屋伝えで山下社長へ回って来たのは良いが。
「そう。それに、クレープが食べたいって言ったの、王馬さんじゃないですか」
『俺は食べたい、なんて言ってねえ。食べた事がねえって言ったんだ』
彼が同様の事を会社で呟いた時、山下社長が名案の如く。「王馬さん、クレープ食べた事ないのお!? じゃあ せっかく苺貰ったからさ、作りましょうよ!」と大声をあげ。仕事終わりに三人でクレープを作ろうと話していたのだが、山下社長が唐突に乃木会長に呼ばれてしまい。何故かこうして、私の部屋で彼と二人、クレープを焼くという謎の構図が出来上がった訳なのだ。
「大体、同じような物です」
ふと彼との話しに気を取られ、少し目を離していた隙にフライパンから香ばしい匂いが漂って来た。目を落とせば、きつね色を通り越した濃い茶色。もれなく水分すら飛んだ生地はからからに干からびている。
『……お前、飯作れんのか』
「作れますよ、あなたが話し掛けるから……もう」
彼の
「……ちょっと、王馬さん…」
驚いて目を見開けば、彼の頭にはハテナが浮かんでいる。それもそう “あれば喰うだろ”と言い放った男だ、下手な冗談を言うタイプじゃない。しかし、せっかく大ぶりな苺を 余すことなく食す者があるか。確か、大屋が言うには 美人姫という品種だったか、一パック二千円との高級品。驚く私を他所に、目の前の彼の胃には 貰った苺、三パック分。金額にして約六千円が、一瞬で飲み込まれていく。
『腹減ってんだ。足しにもならねえが』
足しにならないなら 食べないで欲しい。なかなかお目に掛かれない希少な苺だったのだ。クレープに入れるには、生地があんなになってしまったのもあり無理としても。せめて一粒くらいは、甘く濃厚で、高級な苺を堪能したかったのに。
「酷い…私も食べたかった」
たかが食べ物、されど食べ物。横取りされて瞳が揺れるのは 何十年ぶりだろう。恥ずかしさで瞳を伏せると、ふいに彼の大きな手が 私の顎を掴んだ。
「…む…、なにするんですか、離してください」
威嚇にすらならないが、きつい視線で見上げてみる。当たり前に彼は 取り乱す様子一つ見せず、瞳が重なると何だかおかしそうに『おお、怖え、怖え』と笑っては余裕綽々。触れられた手から離れようと顔を背けるも、力が圧倒的過ぎて 動けばこちらの首が曲がってしまいそうだった。諦めて細い溜息をついたあと途端に、彼との距離が縮まって。何かと思えば。
『おら。まだ飲み込んでねえぞ』
あ、と行儀悪くも口の中身を見せて来る。こういう所をどうにかして欲しいのだが、一行に直る気配はないのは今更。
「お行儀悪いですよ」
『知るか』
呆れて目線を外せば、それは唐突に。いつの間に触れられたのだろう。甘い感触と同時、ざらり濡れた舌の熱。口内を弄られるよう強引に 彼の口から押し出された物は 私の唇を触れては舌へと乗っていく。甘く、熱く。
「………」
『甘いよな』
離された唇に呆然とし、ただに彼を見上げると。どれだけ苺が美味しかったのだろう、腹の足しにならないと言い張った割に、満足気な表情を浮かべている。
「……ジャムみたい」
私の言葉に彼は笑って。先程皿へと取り出した 干からびたクレープ生地を。何故かそれは機嫌良く、口一杯に頬張るのだった。