ケンガンアシュラ
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不思議な事に、身体は疲労を感じていても、妙に脳が冴えてしまう時がある。元々、人間の体内には“時計遺伝子”と言う、概日リズムを整える為の体内時計が存在しているらしいが。これが地球の一日である二十四時間ではなく、二十五時間に設定されているのが何とも困り物。するとどうなるか、体内時計は僅かながら一日、また一日とずれて行き、放って置くと昼夜逆転してしまう。そんな概日リズムを整える為に、朝は陽を浴び食事を摂る、そうする事で、ずれた体内時計を元に戻しながら過している訳なのだが。
『You can't sleep?』
特にこの頃多忙だった
「ごめんなさい、起こしちゃった」
彼と同じ時間に床に着き、隣で規則正しい寝息を耳。時計に視線を配るのが何となく嫌で、でも気になって。そう何処か落ち着きなく寝返りを繰り返していたからか、黒に染まった寝室に彼の掠れた声が響いた。
『いや、夢ん中にハニーが出て来た物だからよ、無性に抱き締めたくなったんだ』
だから俺が勝手に起きたんだよ、そう付け加えるのだった。同時、太い腕が先まで寝返りを打っていたこの身を掴まえると、唇が額へ触れゆく。まだ少し眠たそうに唸る声が、心地良い振動となって肌へ伝わった。きっと気持ち良く深い眠りについて居た事だろう。それでもこうして、私が気を遣わぬよう溢れる愛へ変えては。なるべく“ごめんね”と返さず済む言葉を拾い上げ、それを自然に渡してくれている。けれど、寝起きに至ってもそんな風に頭が働くなんて、余程染み付いた事なのか、思わず関心してしまう程。
「ありがとう」
『こちらこそ』
抱き締められた腕に身体を寄せると、ボディソープだろうか、いい匂いがした。自身も同じ物を使っているのに、特に香りに意識が向かないのは、恐らく。私が彼を愛していて、愛する人の匂いだから。だから、好き。そんな単純な理由。
『いい匂いがする』
「……」
私の髪に鼻を寄せた彼が、安堵を溢すような溜息と共。そんな言葉を口にするので、ほんの少しだけ声が詰まった。寝食を共に過ごすと互いに似てくると言うが、まさか今想い描く思考までが繋がると思わず、何だか妙に嬉しくなってしまう。そう、私が小さく肩を震わせ笑う様子に、彼も連れてくれるのだった。
『何かいい事でもあったかい』
「いいえ、何でも。ただ、あなたが居る事が嬉しくて。それだけ」
『MeToo. 俺の隣を選んでくれてありがとう、愛してる』
「私もよ」
軽く、唇と唇が触れるだけの短いキスをした。肌が重なるとより匂いが際立つ。自身では解らぬ自身のそれを 彼が好きだと言ってくれる。なんて幸せなのだ。その幸せは、はっきりと眼で捉える事は出来ない。視えないし、触れない。けれど例えば、それらの正体を問われ、応えるとする。私は迷わず、彼だと応えるだろう。―――固い腕に頭を乗せ、暫く経った頃。ふと、思い出したように彼が呟くのだった。
『甘いと言えば、明日の朝食に良い物を買って置いたんだ』
「え、なにかしら」
『何だと思う』
「勿体ぶらないでよ」
『それじゃあ、朝のサプライズが無くなっちまう』
「気になって逆に眠れないわ」
応えが見え隠れする言い方は、
『よし、リビングへ行こう。Let’s check our answers.』
元々眠れないと覚悟していた夜だ。それならば、ここは うんと愉しんでしまった方がいい。折角のサプライズを駄目にしてしまう申し訳なさは勿論あるが、我儘の使い所で言えば今だろう。
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間接照明のみを灯した柔らかなリビング。パジャマのままダイニングテーブルに着くのは何だかおかしな感じで。いけない事をしていると言う僅かな背徳感が、より好奇心を掻き立てた。眠気は一旦、隣へ置く。
「これ……」
彼もまたパジャマ姿のまま、向かった先は冷蔵庫。間接照明と同じ色の冷蔵庫の灯りは、真夜にしては随分と明るに感じた。そうしてすぐに可愛らしい紙袋を取り出しては、袋を破り私の前へ。そのサプライズを取り出して見せるのだった。
『今コーヒ、いや…夜だしミルクにしよう、鍋で沸かすよ、You can sit here and wait.』
「アダムが買って来てくれたの」
『俺が買わなきゃ誰が買って来るんだよ、怪談話はやめてくれ』
青い顔で再びキッチンへ向かう彼が、小鍋にミルクを注ぎ沸かし始める。暫くすれば次第、沸々と煮立つ小さな音が、静かなリビングを囲うのであった。―――“ダンキンドーナツ”。ドーナツをミルクやコーヒーに浸し食べる欧米の習慣に
「そんなんじゃないってば、凄く嬉しいのよ、ありがとう」
例について彼に訊けば、今はメジャーな食べ方としないらしい。極たまに、気紛れとビスケットを浸す程度のようだった。それでも、視た事のない新しい文化を眼に、一度は同じようにしてみたい、そんな好奇心は誰にだって湧く物。そう、私が何気なく映画の最中に独り言を呟いたのを。彼は訊き逃さないでいてくれたのだった。
「いい匂いがする」
『待ってな、もう少しでミルクが沸くぜ』
「…………あれ、待って。今……食べるの」
寝ても居ないのに、いや、寝て居ないからだろうか、頭の働きが鈍くある。私はただ、彼が明日朝のサプライズと称した物の答え合わせをするとばかり思っていたのだが。彼はミルクを沸かしているではないか、それも暫く前から。沸々と鳴る音も、もうじきマグカップへ移されるであろう音である。確かにサプライズを視たい、そう希望したのは自身だが、まさか真夜にドーナツを食すとまでは考えにも及ばなかった。そうして驚くのは、私だけじゃないらしい。
『その為にリビングに来たんじゃないのかい』
「それはそうなんだけど、……ほら、もうこんな時間でしょう、さすがに体型に響いちゃうかなって」
『平気さ、ドーナツをみろよ、ふわふわで軽そうだろう。そんだけ軽ければ、だいたい空気みたいなもんさ』
「ええ、どう言う事」
おかしくなって吹き出せば、それと同時。ミルクを沸かした小鍋が火から降りる。後、静かな音を立てながら、お揃いのマグカップへ注がれた温かなミルクが運ばれて来るのだった。
『お待たせ』
「どうもありがとう」
『それじゃあ、いつか観た映画の主人公のように』
雑に破られた可愛い紙袋。浮かんだ明日のサプライズへ手を伸ばせば、甘い匂いが立ち込める。ミルクの湯気が少しの薄暗に紛れ、柔らかに霞んでいった。そうして、ふわふわの生地のドーナツを手、彼が沸かしてくれたミルクにそれを浸すのだ。
「I'll give it a try.」
『By all means.』
生地に染み込んだミルクが、一、二滴ほどカップに戻った。あとは十分に吸い込んだ分だけをひとくち。―――不思議な食感だった、ふわふわなのに、しっとりしていて、ドーナツの甘みが僅かと抑えられている。何だか、幾らでも食べられそうなほどに。私が初めてのダンキンドーナツに無言を貫いていると、ダイニングテーブルの向かいに座る彼が、自分も、とドーナツに手を伸ばすのだった。
『どうだい、主人公になった気分は』
「おかしいわね、眠り姫になっちゃいそう」
『いいさ、その子も主人公なんだ』
概日リズムを整える為の体内時計、設定は、しっかり二十五時間。―――現在時刻は午前一時。そうだ、今日だけ一日を二十五時間にしてしまおう。そうすれば、時計遺伝子と地球がぴたり合わさる。主人公の夜は、いつだって自由だ。