ケンガンアシュラ
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機嫌が悪い訳でも、具合が悪い訳でも無くて。些細な事だ、仕事のトラブルで ただ心が疲弊している、それだけ。特に大事となった訳じゃない、しかし。普段なら有り得ないミスを起こした自身に落ち込むのは必然と言える。職場ではミスを穴埋めする為、気を入れ替え当たり前にきっちり八時間働き、何なら残業で補填した。終始顔色の整わない私を見兼ねた上司からは、“そんな気にするような事じゃないから”と苦笑と共、労いの声を掛けられたのだが。
「もう、最悪」
恐らくは、休日明けにより 頭が完全と稼働出来て居なかったのだ。それを言い訳にしたらいけないが、今日だけはそう言う事にしたい。―――残業終わり、浮腫んだ脚を引き
「沢田にも嫌な態度取っちゃった、あとで謝らないと…」
“お風呂にする? ご飯にする? それとも私?”なんて現実ではそうそう耳にする事のない浮かれた台詞を向けられて。本来なら、吹き出しながら 何言ってるのよ、とか、じゃあ あなたが良いな、なんて。こちらも
「駄目よね、本当」
まずは、ただいま。それから、ご飯を作ってくれて、帰りを待ってくれてありがとう、と礼を述べるのが先であると言うのに。仕事の疲弊を家に持ち込み、さらには出迎えてくれた彼に当たるなど、自身が情けなくて仕方がない。自業自得だが、彼にあんな瞳をさせてしまったのだ、繰り返せば、愛想を尽かれても文句は言えないだろう。暗がりの寝室、ベッドに潜りながら、深い、深い溜息を付く。そんな時だった。
『名前、入っていい』
控えめなドアのノック音と共、暗い部屋にリビングからの細い光が差し込む。隙間からは彼と、彼が用意してくれた夕飯の匂いが流れるのだった。心地良さと、申し訳なさと、安堵で、目頭が熱くなる。なんて都合の良い身体。
「ん、」
『入るわよ……平気、熱は? ごめんね、さっきは。具合悪いのに、ふざけたりして』
「…ち、…違う、その、………さわ、沢田、さっき、ごめ、ごめんなさ…っ、…」
『ああ、全く。ほらほら、泣かないの』
ドアの隙間から顔半分だけを覗かせていた彼は、私の瞳から水が湧くや否や、慌て。横に成るこの身を預けたベッドへ駆け寄ってくれるのだった。そうして膝を屈ませ、未だ流るる目尻の水を。静かと伸ばした繊細な指先で
「……ご飯、作ってくれてありがとう、あとお洗濯にお掃除も」
『名前も。お仕事お疲れ様』
優しい指先は、離れずこの頬に。訊けば、私が寝室に籠もっている間、彼も夕飯をまだとして居たらしい。一緒に食べた方が美味しいから、と言う何とも安易な理由だが、常、彼の奥底に在る慈愛に、胸の痛みは広がり帯びるばかり。私は、何故残業になってしまったのか、原因となった今日の出来事、その
『別に私は何も気にしちゃいないわよ。アンタは今日一日大変だったんだから、余裕無くなるのも当たり前』
「本当、ごめんなさい。……でも、沢田って、苛々する時ないじゃない、私と大違い。そう言う所、ちゃんと見習わなきゃね」
頬に触れていた指先が、乱れ、流れた髪をそっと耳へと掛けてくれる。いつもそうだ。寝起きの時、整わず跳ねた髪を柔らかく掬ってくれ。風の
『何言ってんの、自分の女の前よ』
「え、」
『常に 格好良い姿ばっか見せたいじゃない。そう言う生き物なの、漢って』
寝室のドアからは、リビングから煌々と成る暖色の灯りが満ちていて。暖かな色は、彼の肌に埋まる温もりに似ている、そう感じた。私は、耳元へ在る彼の指先へ手を伸ばし。そうして、その温もりを確かめるよう、指先を絡ませるのだ。
「ねえ、今日の夕飯なに」
『あら、お腹空いてるの、食べれそう?』
彼自身も夕飯を摂らずして待って居てくれたのだ、相当空腹に違いない。それでも、急かす事も、苛立を覗かせる事もなく、繋いだ手を離さず居てくれる。自分がどれ程 贅沢なのか。落ち着きのお陰、余裕の表れた脳内で、よくよく考える事だ。
「格好いい彼氏の顔見たら、お腹空いて来ちゃった」
『何よそれ、持ち上げたってデザートは出て来ないわよ』
「え、デザートは沢田が居るから要らないけれど」
ふざけた訳でも、
『…ば、馬鹿、やめてよ、そう言う不意打ち』
「ええ。完璧で格好いい沢田も好きだけど、何だか、焦っちゃって可愛い沢田も好きかも」
『ちょっと、こら、誂わないで。夕飯抜きにするわよ』
「何でよ、この人でなし」
薄暗な寝室。静寂だった黒色に、幾つかの暖色が寄せ合い、集まる。温かなここは、紛れもなく贅沢で、優しくて、代わりの利かない場所。ふと、一番大切な事を伝え忘れて居た事に気付く。彼と、彼が待つこの温かな場所へ。短くも、日々の贅沢が募る、愛の言葉を。
「ただいま」
『おかえりなさい』
瞼を閉じるのだ。そうすると決まって、彼の唇がこの肌へ落ちてくるのだから。