ケンガンアシュラ
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「良いんですか、出なくて。先程からずっと鳴ってますけど」
落ち着きある色の、小さなダイニングテーブルを挟んで向かいに座る秋山が、何度目だろう。ショルダーバッグに入れっぱなしにしている携帯の着信が余程気掛かりなのか。眉を八の字、やや不安気な表情を浮かべて居る。電話の相手は解っているが、万が一、友人や仕事先だといけない。手持ちのショルダーバッグを開き、携帯の画面を確かめれば やはり。
「平気よ、理人だから」
「出てあげたら良いじゃないですか」
普段顔を合わせると、息を吐くかの如く軟派
「ごめんね、楓。夜分に押し掛けて。……ちゃんと帰るから、もう少しだけ居させて」
淹れて貰った温かいカモミールティーに唇を寄せ、
「二人で話すのも久しぶりですし、ゆっくりして行って下さい。紅茶のおかわりは
「ありがとう」
私の返答に秋山は、綺麗な細い腕を伸ばして。差し出した空のティーカップを手にキッキンへ向かって行った。――…未だショルダーバッグからは、携帯の揺れが不規則な振動で伝わる。長めの音は、着信。短めの音は、メッセージアプリの通知だろう。そっと、携帯に視線を向ければ、アプリの通知欄に映る彼からのメッセージが。
――ごめん。だから、お願い、帰って来て。
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「ねえ、理人、靴下脱ぎっぱなし」
『お、悪い』
「缶ビールも、空になったら
『後でやるからよ』
「食器、シンクに入れっぱにしないで、自分の分は自分で洗って」
『解ってる、解ってる、置いといて貰えりゃやるっつうの』
ソファで仰向に横となり、携帯を弄る彼。こうした“やるやる詐欺”が続いて幾日経つだろう。同棲を始めた時からなのだから、もう十分、溜め息も出尽くしている。彼と言えば、時折 眠掛けし、緩んだ指先から落ちて来る自身の携帯を目覚ましにしている。何度も繰り返される光景は、何故だろう、呆れを越して怒りが沸く。
『悪り、名前ちゃん、冷蔵庫にコーラ冷やしてあんだ、取ってくんねえ』
暮らし始めてすぐは、頼って貰えるのがむず痒くも嬉しくて、文句を付けながらも結局は言う事聞いていた。彼だって、社員を雇うSH冷凍の立派な社長なのだ、加え自身で仕合の予定調整をし、日々多忙な日常を送っている事は 共に生活する前より周知、明らかだった。しかしかく言う私も 仕事があり、毎日じゃないが残業で遅くなる時だってある。帰って来て早々、フローリングに脱ぎっぱなしの臭い靴下を洗濯機へ放り。中途半端に飲み掛けで、炭酸が消えた缶ビールを
「いい加減にしてよ」
共にした生活、これが幸せなのだと疑わなかった生活。甘やかした私が創り上げた生活は、いつしか。まるで水を沢山に淹れたコップのよう、少しずつ注ぎ続けた結果。とうとう容量の限界が訪れ、瞬間、縁から溢れてしまったのである。
『名前ちゃん……おお、どした、どした、』
「私だってフルタイムで仕事してるの、なのに、何で私ばっかり掃除して、洗濯して、ご飯も洗い物もしなくちゃいけないの…!」
『き、急にどしたって、なあ』
ソファに身を預けていた彼は、私の半ば悲鳴のような声に その目を丸くさせ。咄嗟と体躯の良い上半身を勢い良く起こすのだった。視線を合わせれば、焦燥の瞳で居るものの、一貫性の物、例えば女性特有のホルモンバランスの乱れか何かだと思っているのだろう。丸く可愛気のある瞳に、まだ余裕の笑みが浮かんでいる事。それは、溢れた怒りを沸騰させるには十分だった。
「急じゃないわよ、私、理人のお母さんじゃない、恋人なの」
『んな当たり前の事言うなよ、母親とセックスしねえだろ』
「馬鹿じゃないの!、私が言いたいのは、何で……何で、私だけ、…わた、…わたし…っ…、…」
駄目だ、絶対泣く物かと思って居たのに。溢れたのは怒りだけじゃ足りないようで。気付けば、瞳の端から熱い雫がはたはたと。頬を伝っては、フローリングへ流れていく。彼は、そんな赤にした私の瞳を凝視するや否や、ようやくとソファから立ち上がり 嗚咽を飲み込む私の肩を掴むのだ。
『名前ちゃん、落ち着けって』
「とにかくもう、やだ、触んないで…!」
『ちょ…、…一旦、一旦座って話そうぜ!』
「嫌…! 今、理人と居たくないの…! 本当、離してよ…!…」
大になった声は、張り詰めた空間に共鳴し、空気を揺らした。すると、彼の大きく温かな手は、泣きじゃくる私の肩をこうも簡単に解いていく。馬鹿みたいな指のピンチ力があるのだ、引き留めるなら、力一杯に引き留めてくれたらいいのに。抱き寄せて「悪かった」そう謝ってくれれば良いのに。どうして、どうして、こんなにも簡単に離してしまうのだろう。掌の離れた肩が異常に冷たくて、淋しくて、何だか虚しくなって。
「………理人なんて、もう知らない…!」
心にもない事を言った、そんな自覚はある。瞳を合わせて声にした訳じゃない。ただ一つ解るのは、彼が悲しい瞳を覗かせている。それだけは、空気に漂い、痛いほど伝わる物だ。そうして、その場に留まる事に耐えられなくなった私は、特に考え無しに財布と携帯だけを持ち。ショルダーバッグへ詰めたあと、適当なスニーカーを履いて家を飛び出したのである。
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メッセージアプリの通知と、狂気的な程の着信は、あれからぴたと止まっていて。秋山が、小鍋で紅茶を沸かして運んでくれるまで まだ少しと時間がある。私は、細い溜め息を一つ付いたのち、恐る恐る携帯を取り出した。
「不在着信四十二件に、メッセージ十四件て…」
恐らく、これ以上無視を続ければ彼は友人らに頼み込み 私の捜索をし始めるかも知れない。元々はただの痴話喧嘩なのだ、周りに迷惑を掛けてはいけない。一通だけでも返信をして置こうと、そう、アプリを開いては 未読のメッセージから読み起こす。そこには。
「――…」
ごめん、俺が悪かった
頼む、ちゃんと話そう
家事、頼り切ってたのホントごめん
洗濯はさっき回した。なんか柔軟剤?は見つけられなくて入れてない
掃除した
便所も
缶ビール濯いで捨てた
ゴミ出しも終わったよ
食った食器も洗って拭いて片付けた
あと何出来る?
観葉植物に水やった!
ちゃんとやるから。頼む、帰って来て
飯、卵かけご飯で良ければ明日から作るから
ごめん。だから、お願い、帰って来て。
「…………馬鹿じゃないの」
ただの文字なのに。彼の相当焦った様子が目に浮かび、思わず苦笑が漏れるほど。読み終わるとすぐに、もう一通。きっと、既読が付いた事で、彼も私が携帯へ目を通した事を察したに違いない。駄目押しのメッセージは、一体どんな言葉が送られるだろう。
――…コンドームも忘れず買い足しました
「本当、馬っ鹿じゃないの」
十五通目のメッセージを受け取ったあとだ。秋山が紅茶を運んで来てくれたが。私の表情を目にするや否や、事を察してくれて。
「おかわりは、要らなかったみたいですね」
「ごめん、そうみたい」
私は、財布と携帯しか入っていない、余りにも軽い過ぎるショルダーバッグを手に立ち上がる。湯気の上がった紅茶が、静か、私を見送ってくれた。