ケンガンアシュラ
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『なあ、名前ちゃん。飯行かない』
「行きません」
『カフェでお茶だけでもいいからさ』
「行きません」
『そうだ、帰り送るぜ。ついでにドライブなんか』
「行きません」
どんな誘いも頑な。まるで壊れた玩具のよう、全て同じ言葉で返される。眉一つ動かさず、冷えた声色で俺を突っぱねる彼女は あからさまに溜息を付いてみせた。
「理人さん、いい加減にしてください」
『ならもう、いい加減ついでに いっそヤラせてく』
「さすがに警察呼びますよ」
言葉の最後を千切るようにして、眉間に皺を寄せた彼女の視線が ようやく俺を捕まえた。黒々と濡れた瞳は、暗い地下駐車場でも 光を忘れる事なく静かに光っている。――それはまるで月だ。明るさを失った夜の空に、ぽつり浮かぶ青い月。引力に引っ張られるよう、俺もまた 彼女の瞳に吸い込まれていく。
「全くもう」
そうして またも外された視線。この日、SH冷凍所属闘技者として この地下駐車場で行われた仕合に出場していた。彼女は社長である俺の秘書を務めており、幅広い業務と 裏事業で繰り広げられる仕合の日程調整などを淡々と
『それにしても、今日の相手は手応えなかったなあ』
「そうですね。開始十秒で 理人さんのローキックでダウンですから」
彼女の居る手前、ド派手に格好良く決め技を繰り出したかったが ローキックがどこまで通用するかも確かめて起きたかったのもあり この日の仕合では指先を封印していた。相手も特に名の知れた闘技者じゃなかったし そもそも決め技を使うまでもなかったのだが。
「まあ事実、理人さんは勝ちましたし、会社としての方向性は なかなか良いんじゃないでしょうか」
とてつもなく分かりにくいが、これは彼女なりの褒め言葉である。直後、俺が調子に乗り始めるのを察知した彼女は ショルダーバックから車のキーを取り出して。
「私、ファイトマネーの受け取り手続きをして来ますので。理人さんは先に車へ行ってください」
『いや 俺、ここで待ってる』
「どうしてですか。仮にも仕合だったんです、次の仕合も 明後日で組んでいますし、休める時に身体を休ませないと」
そう言って、彼女は立ち尽くす俺の胸板を両手で押した。ぴくりとも動くはずなんて これっぽっちもないのに。無理矢理に押しているらしいが 力負けし、押してる彼女自身が どんどん後ろへずり下がってしまう。とうとう諦めたのか、少し息を荒げた様子で 胸板を強く叩かれた。
「…ほら!…先に行って助手席で待っていて下さい、私も手続きしたら あなたを家まで送りますから」
相変わらず細い足に似合ったヒール。コンクリートに足音を響かせ、その場を去ろうと向き返った彼女の手首を すかさず掴んだ。瞬間、引っ張られたと同時に態勢を崩した彼女が 俺の胸に飛び込む。ふわり、至近距離でしか感じられない甘い香りに 思わず心臓がぴくりと跳ねた。
「………あ、ぶないじゃないですか……」
見上げる彼女の頬が少し赤らんで見えるのは、地下の電灯が赤みを帯びているからか。それとも、こうして互いの肌が触れ合う程の距離に居るからか。望み薄でも、後者なら堪らなく嬉しい。
『俺もここで待つよ。車まで距離あるし、女の子一人で歩かせらんねえだろ』
絡まる視線で、身体の芯が熱く悶える。仕合の時なんかより、ずっと、ずっと熱く。すると、彼女は考えを巡らせた
「……………それも、口説いてます?」
『半分は本気。もう半分は、口説いてる』
きっぱり言い切った俺を見て、彼女は濡れた唇から細い溜息を一つ漏らした。
「前から聞きたかったんすが、私のどこが良いんです。理人さんなら、もっとノリが良くて楽しい女性を見つけた方が良いと思うんですけど」
ちらと配られた視線は、本心。ただに突っぱねている訳じゃなく、単純に理由を聞きたがっているのだ。考える間もなく、冷えた夜のような薄暗の地下で 彼女の瞳を一点に見つめた。
『目が、綺麗だった』
「………え…」
『なんつうか、上手く言えねえんだけど。今まで逢った女の子の中で、一番……目が綺麗だったんだ。月、みてえだと思った』
「……」
――そう、まるで月なのだ。明るさを失った夜の空に、ぽつり浮かぶ青い月。引力の前に 理由などいらない。引っ張られるよう、俺もまた 彼女の瞳に吸い込まれていく。ただにそれだけ。
「……意外と。身体の割にロマンチックなんですね」
『おうよ』
語尾が地下に響き
「そうだ。帰り、理人さんを家まで送りますけど、その前に一つ。頼みたい事があったんです」
『おお、珍しいじゃねえか。何でも言え、何でも』
飯も、お茶も、ドライブも。すぐに現実とならなくていい。彼女と居れる時間が一秒でも伸びれば、結局の所 何だっていいのだ。張り切り気味に問えば、間を開けてから静かに返されたのは。
「…ジャムの、蓋が開かないんです」
『………は?』
「いちじくのジャムなんですけど。買ったのに蓋が開かないから どうしようもなくて」
頼み事にしては 随分と小さな物だった。
『任せとけ。俺の
「粉々じゃないですか」
そうして おかしそうに眉を八の字にして笑う彼女。初めて見る彼女の砕けた表情に、また。引力の如く、導き惹かれる。高鳴る心臓の躍動を落ち着かせ、平然を装った。
『それで。そのジャムはどこにあんの』
「…………家です」
やはり、地下の電灯が赤みを帯びているからか。彼女の頬は十分に染まっている。しかし、短いその一言が何を表すかなんてのは殆ど明白で。
『名前ちゃんて、俺より断然。積極的かもな』
「馬鹿言わないでください。開けたらとっとと帰って貰いますよ」
『へいへい』
そう言うと、彼女は再び身を返し ファイトマネーの手続きへと その爪先を向かわせる。コンクリートに響く規則的な音が、俺の心臓の躍動と全く重なり やけに心地が良い。
『名前ちゃん』
「…何ですか」
凛とした背中。ぴたと足を止め、振り返る彼女へ 先程同様の事をもう一度。
『俺、ここで待ってる』
互いの視線が重なる。そうして飽きれた表情を覗かせて、しかし今度は。苦笑するも 柔らかな瞳で笑うのだった。
「好きに、してください」
コンクリートに響く彼女の足音を少しだけ。心臓の躍動が追い越した。