ケンガンアシュラ
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段差を挟む度、ペダルを踏む自転車が揺れては、籠へ入れてある飲み物類が小刻みと波打って。跳ねた拍子に籠外へ飛び出してしまうんじゃ、そう慌て掌を被せると 少し前を走る彼が『Is everything ok?』と、ちらりこちらを振り返るのだった。薄暗の空へ、少しずつ陽が登り始める。
「平気、平気、気にしないで」
籠を抑える掌をハンドルへ戻し笑って見せれば、彼はまた。登り始めた光の方を向いて、隆々と湧く筋肉を休む事なく走らせていく。せっかくの休日なのだから、たまには朝寝坊したっていいはずなのに。いつも同様、起床後、顔を洗って歯を磨いて。トレーニングウェアへ袖を通すや否や。数十分前まで 隣、穏やかな寝顔と別人のそれ。感心と共、まだ完全に覚めない身体で、外のカーポートに置いた自転車の鍵を開ける頃には、既。籠へは、一瞬で準備されたであろう飲み物類が乗せられていた。直後、寝起きなどまるで嘘のように、力強く走り出す彼の後ろ姿を こうして自転車で追っている。
『名前、疲れてねえか』
「私は自転車だから大丈夫よ、アダムは」
『平気だ、今日はルート変えて海岸の方 行こうと思う』
「わ、海行くの久しぶりね、賛成」
私の弾んだ声に、振り向きさえしないものの、おかしそうに笑っては吹き出す様子が 揺れる背中で見て取れる。『さすがに海水浴は無理だぜ』声のあと、いつも走る道から逸れ、海岸に続く防風林が待つ通りに向かって行くのだ。
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独特な潮の匂いに包まれ、瞳に広がった青い海に思わずため息が溢れる。昇ったばかりの朝日に照らされた青は、硝子のような煌めきを水面に映していた。自転車を停め、上がった息を整わせる最中の彼へ、籠に入れて置いた飲み物を促す。
「お疲れ様、休憩ね。どっち飲む、プロテインか、BCAA」
『プロテイン』
ダウンジョグはしたものの、まだ息が少しと苦しそうだ。気温が低い早朝に 額へ汗を滲ませて。雫を払い落とすよう掌で拭う。何度目かの深呼吸で元になった呼吸をする彼へ、キャップ付きのシェイカーを手渡した。
『…、ダマになってんな』
「ブレンダーボール入ってる?」
『あ、入れ忘れちまってた、ま、仕方ねえ』
飲み
「ねえ、そう言えば。どうして今日、ルートを変えたの」
いつもは敢えて、アップダウンの烈しい坂道に成るランニングコースにしているのだ。単純に筋持久力を鍛えられるし、心肺機能向上にも役立つ。元々ホッケーファイトで培った脊柱起立筋の発達により、鍛え抜かれた強靭な体幹が武器の彼だが、さらに長所を磨かんとするコース取り。――…なのに今日はどうして。首を傾いで瞳を覗けば、シェイカーから唇を離した彼が、ぽつり呟くのだ。
『ベイビー昨日の夜、携帯で海、見てたろ』
あまり合致がいかなくて、何の事か頭を捻る。そうして辿った
『最近、稽古と仕合で時間取れてなかったし。それと、名前は全然、我儘言わねえからな』
飲み干したプロテインを自転車の籠へ戻し。申し訳なさそうな表情を浮かべる彼が、愛おしくて堪らなくなる。特別、海へ行きたかった訳じゃないが、気付けばこうして何でも叶えてくれようとする所が、見た目に反して、それは
「え、言ってるわよ」
『例えば』
「朝はパンじゃなくてご飯が良い、とか、食後はコーヒーよりカフェオレが良い、とか、ね」
私の応えに彼は瞳を大きくしたあと、何度か睫毛を
『もっとプリンセスらしい我儘言っていいんだぜ、名前は俺のプリンセスなんだ』
「ええ、どうしようかな」
彼は私を“プリンセス”と呼ぶ。大概、珍しい呼び名ではないらしいが、何となくこそばゆい気も。それにしても、プリンセスらしい我儘とは一体何だろう。ふと、波打つ水光の中、瞳の端で別の光を捉えた。目を凝らせば、海岸の波打ち際。
「あ、アダム見て、あの貝殻」
『what?』
「凄く綺麗」
目を細め見渡す彼へ、貝殻の場所を指差す。すると、彼もまた視線の先で捉えたよう。足元が滑る砂浜へ向かい、次の波に連れて行かれそうだった小さなそれを拾い上げ、こちらへ持って来てくれた。大きな掌に乗せられた 幾つかの乳白色をした小さな巻き貝。陽の光と水面の煌めきに照らされたそれは、覗く角度で不思議と色が変わっていく。
「ねえ、お願いがあるんだけれど」
『
全くを以て、彼の言うプリンセスらしい我儘じゃないかもしれない。どうしたって、彼の傍に居るだけで、既に満足しているのだから。あれが欲しい、これを買って、と言った我儘など到底浮かばぬが事実。それでも、私が思う我儘を彼は笑わず叶えてくれるに違いない事。
「この貝殻たちで、モビールを作ってくれない。寝室に飾りたいの、波の音が聞こえそうでしょう」
あなたとここへ来た事を想い出にしたくて、と付け加えると、彼は嬉しそうな顔をして『I think so』と微笑んだ。そして、掌に在る貝殻を 持って来てきたフェイスタオルに大事そうと包み入れ、自転車の籠の中へとそっと置く。
『じゃあ、帰るか』
「え、まだ距離足りてないじゃない」
いつもなら、若干のインターバルを取ったあと、もう一走りするのが常。今日は距離にすると、日常の半分にも達していないはず。私が自転車の鍵を開け、サドルに腰掛ければ。
『いや、久しぶりのお願いが嬉しくてよ。まあ、我儘とはちょっと違えけど、俺も。急にモビール作りしたくなっちまったからさ、今日は帰って飯にしよう』
声のあと、今しがた来た道を折り返すよう帰路に着く。ペダルを踏むと、背にある太陽が身体を温めて始めて。それが、彼に抱き締められた時の熱に似てる物だから、何だか無意識と嬉しくなってしまう。瞬間、砂利を踏んだ際、自転車の籠に揺られる、大事にしまわれたフェイスタオルの中身が ちらと顔を出すのだ。
「アダム、もう一つお願い事してもいい」
『何でも』
貝殻を見ると、どうしてもあれが食べたくなってしまうのは 何故だろう。籠に揺られる巻き貝を見つめながら、彼へ伝える。
「…貝殻の、ほら、ええと、何て言ったかな、あのパスタ」
『コンキリエ』
「そう、朝ご飯、コンキリエのパスタにしない」
『あ、確か、少し余ってたよな』
「ハニーのパスタ、美味しいのよね」
いつの日か、彼の特性パスタに舌鼓した事を思い出す。記憶を辿れば、急に空腹感が押し寄せて。自然に湧いた生唾を喉奥へ通し、ペダルを踏む足に力を入れると。大して運動していないにも関わらず、お腹が鳴ってしまった。そんな私の様子に、彼はおかしそうに笑って。それでも、『どこかで小鳥が鳴いてんな』と口にする所もまた、外見に合わず
『そうだ、食後は』
「え」
『食後はいつも通り、カフェオレでいいかい』
そうだ、いつも食後はカフェオレにしていた。しかし、今日は朝から違うルートを走って来た。朝ご飯だって、米じゃなく、珍しくパスタにしたのだから 飲み物だって、何だかいつもと違う物にしたくなる。
「今日は、ミルクにしようかな、蜂蜜多めの、こてこてに甘いやつ」
『There's
水光が遠のいてもなお、自転車の籠に在る貝殻は 輝きを帯びていた。お手製のコンキリエのパスタを食べたあとは、彼がモビール作りをする様を隣で見つめる。そんな我儘な休日にしよう。