ケンガンアシュラ
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いつかの誕生日だったろうか。派手過ぎず、肌に馴染む控え目な色とデザインの腕時計を貰ったのは。センスが良い、と褒めれば必要以上に調子に乗る様子がすぐ浮かび その場は短く「ありがとう」とだけ礼を述べた事を思い出す。それでも、毎日身に着ける腕時計。視線を落す度、彼が近くに居るような気がして 心に静かな熱をくれていた。
――…目を配れば約束の時間まで まだ少し時間があるよう。この日の夜、私が知る由もない某所で
「そろそろ来るかな…」
携帯アプリには、『ファイトマネー受け取ったから、すぐ向かう』と、少し前に通知が来ていた。恐らく、仕合が行われたのは待ち合わせ場所の近くなのだろう。待ち合わせ後は、その足でバーへ向かい 飲み語らう予定にしている。ふと、背後に人気を感じ取った。彼とも思ったが 振り返る間もなく、響いた声色によってそれは
「彼女、今ひとり」
繁華街でもない夜、キャッチとはまた別となれば 軟派の一択。明らかに浮いている男の服装は、クラブ帰りか何かかもしれない。
「今は一人ですけど」
連れが来るので、と続ける手前。それは男の腕が伸びて来た事で見事に遮られた。“彼”と比べてしまえば 体躯の半分もない細身な男。しかし、男である事に変わりはなく。掴まれた腕を 反射的に振りほどこうも、ぴくり動かないのだ。
「なら、ちょっと付き合わない。良い薬持っててさ。キメてやると最高なんだぜ」
誰が好んで、違法ドラッグの道連れになるか。それよりも、男に掴まれている腕だ。先程からなんて気分が悪い、男は 私のお気に入りである腕時計まで覆い掴んでいる。
「離して」
「一回きり、な」
「他を当たってください」
他を当たられても困るが、腕が離れない以上 それ以外の言葉は浮かばなかった。しかし、微か。上着のポケットの中で、長いバイブレーションを感じる。安堵とし、昂った緊張とも、この気分の悪い肌の感触とも、別れは直後となるだろう。
「連れなくすんなよ、こんな夜に一人で居て。どうせナンパ待ちだろ」
「…逃げた方が良いですよ」
「なんだと」
「殺される前に、逃げた方が良いって言ってるんです」
その言葉に男は、瞳を大きくさせたあと。静かな夜には不気味なほど 不快と轟く高笑いを乗せていく。恐らくは、脅しか何かと思っているに違いない。それはどうだろう、言葉が真実と成るには いとも
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『
見上げた彼は、自身の人差し指を無造作にジーンズで拭おうとしている。慌ててハンドバッグからハンカチを取り出し、彼に差し出してみせた。
「駄目よ、服が汚れるじゃない」
『いや、名前ちゃんのハンカチ汚す方が駄目だろ』
「いいから」
そう言って強引に指先を包み込むよう拭えば、彼はやれやれと その大きな肩を落す。拭い終わったあと、がさつなのか几帳面なのか、『洗って返す』とハンカチを引っ張られ、ぐしゃぐしゃに丸められたそれは 彼のジーンズのポケットへと押し込まれていった。
『つうか、怪我は』
「理人が来てくれたから平気」
男の高笑いの直後、背後から指先がゆらり揺れ。回り込んだと思えば、それは器用に。私の腕を掴んでいた男の二の腕目掛けて
『電話に出ねえから心配したぜ』
「腕を掴まれてて取り出せなかったのよ」
言い訳のよう応えると、彼は二度目のため息をつく。
『悪いな、こんな時間に待ち合わせなんかして。昼間はこれでも一応、社長やってっからさ』
彼が多忙を極めている事は前々から。仕合のあとしか時間が取れない事も了知である。私も自身の仕事や日常があるし、同棲だってしていないのだから、会える時間がほぼほぼ特定となる事は仕方のない物。恋人同士、すれ違いもあるが、少しでも会えるとならば 彼は無理くり時間を空け、今日のように待ち合わせてくれる。――…それが堪らなく嬉しい、なんて言うのは また。調子に乗りそうなので言わないで置く。
「よ、社長」
『あ、馬鹿、茶化すな』
太い指で、軽く額を小突かれる。大袈裟に「痛い」と言えば、楽しそうな声で笑いながら 待ち合わせ先のバーへと歩き出すのだった。ふと、数分前まで手首に感じていた生温い嫌な感触を思い出す。お気に入りの腕時計、誰にも触らせた事などなく 貰ってからは日々大切に扱って来たと言うのに。まさかあんな乱暴に握られるなんて、すっかり落ち込んでしまう。そう肩を落とした私の姿が、瞳の端に映ったのか 自然に彼の視線が寄せられて。
『なんだ、やっぱ、どっか怪我したんじゃねえだろうな』
「違うわよ、ただ」
頬を撫でる夜風が気持ち良い。こんな日くらいは、素直になっても良いだろう、と私は胸の内を彼に伝えた。腕にしているこのプレゼントが、どれだけお気に入りで、どれだけ大切にしているか、貰った時、どれだけ嬉しかったか、そんな心情さえも包み隠さず。――…夜は酷い、普段伝えられない事も、優しい月明かりが背中を押すよう。それは簡単に唇からするする溢れ出てしまうのだから。そうして伝えた矢先、彼が急にぴたと歩みを止め、来た道を辿るよう向き直るではないか。
「ちょっと、理人、どこ行くの。バー、あっちよ」
声を掛けながらも、彼の背中を追い 足早で腕を捕まえる。いつもは大きな歩幅を私に合わせて歩いてくれる彼が、今はどうした事か。大股で歩かれては こちらが駆け足になってしまう程。必死と追う最中、掴んだ彼の袖を引っ張ると。
『アクセサリー売ってる通り、こっち方面だもんな』
「え…」
『店閉まるまで、まだ少し時間あるだろ』
「だからってどうして」
問いは明らか。彼は私の腕を引き、お気に入りのそれを肌から離していく。外された腕時計は、また。先程ぐしゃぐしゃに入れ込まれたハンカチの待つ、彼のポケットへと消えていくのだった。
『新しいの買ってやる』
確かに、乱暴にされた腕時計を再度付ければ、事を思い出し今日の気分の落ち込みに ため息を溢すだろう。センスの良い、お気に入りの色とデザインだったが、新調して新たに思い出を重ねるのも悪くない。そうして「ありがとう」と あの時同様、短い礼を口にする時だ。彼の言葉には続きがあって、それは静かな夜に、深く響き渡る特別な音。
『指輪でいいよな』
「……」
唐突な音。それは、頭の思考を一時停止させるには十分過ぎた。脳内で文字を起こし、
『え、まずった』
「………まずっては……ないけど…、ただ、びっくりして」
『なら、オーケーって事で、合ってる』
これが
「……ありがとね、一郎」
『本名やめろっての』
夜風に当たりながら。――…宝物が、宝物をくれる、特別なこの日。世界の全てが、宝物に見える気がした。