ケンガンアシュラ
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見上げた白い天井は、幾分と高く思えた。それもそうか、普段立っていれば 長身過ぎる程の身体が頭上を圧迫している。高く広がった天井を眺めるよう、床に背を預ければ 熱を持った皮膚も次第に落ち着く気がした。
「本当に、医務室へ行かなくていいの」
控室の床へ仰向けになった俺に、彼女は膝を着き 終始不安気な表情を浮かべている。――拳願絶命トーナメント、第二回戦目。一回戦目で マーダーミュージック所属の沢田は、雇用主の棄権により不戦勝を余儀なくされた。それによって勝ち上がった、東洋電力所属 ユリウス・ラインホルトとの対戦。奴との仕合は数分前に やや危ういながらも勝利。しかし、安堵してもいられない。本来、使うのはもう少し先だった 対滅堂の牙用の技 “爆芯”を使った事で、奥の手を他の闘技者にも見られてしまったのだ。そして何より。
『平気だ、あまり他へ情報を漏らしたくない』
足首の負傷。爆芯を放った
「顔の皮膚は、培養皮膚の用意があるからって。古海社長がすぐに持って来てくれるらしいけど……少し遅いな」
畳んで居た膝を伸ばし、立ち上がろうとする彼女を引き止める。今更
『名前、行くな』
「でも」
『俺なら平気だって言ったろう。それと、お前が話し掛けてくれないと あっという間に寝ちまいそうで駄目だ』
頼むよ、と掴んだ細い手首に握力を掛ける。子供の頃から何度も繰り返しコントロールして来た力加減。日常も難なく送れるようにはなったものの、特に自分の女となれば繊細に扱う事への余念はない。
「疲れてるんだし、一度しっかり寝なきゃ」
『お前が居るんだ、寝る時間さえ惜しいよ』
世辞ではない本音。普段何かと二人の時間が取れない分、こんな場所ではあるが ただの一時も離れたくはない。負傷していない方の瞳で、しかと視線を送ると 薄く頬を染めた彼女が再び傍へと来てくれた。距離が縮まる際、ふいに感じる控えめで甘い香りに、心臓が小さく跳ねた。
「古海社長が来るまでだからね」
『十分』
苦笑にも似た 細い溜息を漏らした彼女が、所々と血で汚れた俺の短い髪を 優しく
「ねえ、若槻さん」
『どうした』
仰向けで見上げれば、映る先は彼女の瞳。瞬間、緊張なのか、動揺なのか。心臓の躍動が早まっては、皮膚に冷たい汗が浮かぶ。女を泣かせる趣味は全く以て皆無、しかしどうした事か。頬を伝って流れた雫が、床を濡らしてしまっていて。
『………ど…どうし、どうした。俺が何した、……その。兎に角なんだ、すまん、頼む、泣かないでくれないか』
猛虎と呼ばれるこの自身も、女の前では牙すら消える。むしろ、狩られて皮を剥がされた挙げ句 絨毯として尻に敷かれている程に。決して怖い、と言う意味じゃない、その優しさに頭が上がらないのだ。大して恋人らしい事も出来ていない上に 時間もまともに作ってやれない。それでも、会えばいつでも笑って隣に居てくれて。だからせめて 愛想を尽かされまいと だいぶ必死で居る。起き上がり抱き締めたいが、何せ身体が言う事を聞かない。すると静かな部屋に、消え入るよう細い声が浮かんだ。
「……死んじゃうかと…思った」
『……』
「……私の事置いて、どこか遠くへ行っちゃうかと思って……怖かった……」
喉奥から溢れた最後は、小さな悲鳴を含んでいて。そんな最中でも俺の髪を
『名前』
「……ん」
『お前を置いて、俺がどこかへ行くはずないだろう。愛想尽かされる瀬戸際なのは、いつだって俺の方さ』
首を横へ振る彼女へ手を伸ばす。切れた掌や指先は いつの間にか勝手に止血され、固まった黒い血で塞がれていた。彼女の白く、柔らかな頬へ触れると、汚れた指先だと言うにも関わらず、それは愛おしそうな表情を覗かせて。
『それに、俺の身体は通常のそれじゃない。派手に怪我したとしても、すぐ治る。だから、お前に断りもなく勝手に離れる事はないんだ、いいな』
言い終わると短く頷き、瞳の雫が落ち着く様子に安堵した。このまま泣き続けられたら、先の仕合より神経を削るに違いないのだ。それに、そろそろ古海さんが培養皮膚を持って来てもおかしくない頃。女を泣かせている姿を目撃されれば、いくら温厚な彼でも その目を三角にするだろう。
「あとね、若槻さん」
『………頼む。本当に泣くのは勘弁してくれ』
焦る声色で返せば、彼女は目を丸くしたあと おかしそうに笑い始める。泣かないわよ、と繋げたあと 少しの間を以て伝えられた。
「………格好良かった、さっきの仕合」
ふいの声に呆気に取られるが、やはり漢としては“格好いい”。そんな一言で単純にも調子が良くなる物。
『そりゃ嬉しい。まあ、ご褒美なんかがあれば、もっと嬉しいが』
歳の割にふざけてみたくなって、意地の悪い視線を向けてみる。きっと、「全く、もう」「ないわよ」なんて苦笑されるが関の山。しかし、それは意外にもあっさり、そうして当たり前に。
「あるわよ」
『…』
驚いて目を見開けば。彼女の黒い瞳には、間抜けにも 口をぽかんと開けた自分が居て。言葉の続かぬ俺に、彼女は何やら含みを持ちながら。
「生姜焼き」
『……ああ、また作ってくれるのか。名前の生姜焼き、旨いんだよな。こう、少し甘めの感じが飯と』
「を、食べる家」
『……』
駄目だ、今度こそ本当に頭が回らなくなってしまった。先の仕合で体力を消耗した所為か、唐突なその声に 脳はシナプスの回路を鈍らせる。とうとう固まった俺を目に、彼女は手持ちのハンドバッグから軽めの金属音を響かせた。重なる金音に視線を配れば、そこに映るは二連になった鍵。
「若槻さんと、私の住む家。これで、いつだってあなたの好きなご飯を作りながら あなたの帰りを待って居られる」
『……名前』
「ごめんね。ご褒美なんて言いつつ。……ただ、会えない時間を少しでも埋めたくて。3LDKの賃貸マンションなんだけど」
勝手に契約しちゃった、と苦笑を零す。確かにそうだ。大して恋人らしい事も出来ていなければ、まともに時間を作ってやる事も出来ていない。歳も歳だし、将来を見据えて同棲も視野に入れてはいたが。彼女を縛り付けてしまうのでは、と無駄な勘繰りと小心が重なり なかなか伝える覚悟が出ずにいた。まさか先を越されてしまうなんて事は考えにも及ばなかったが。
『いや、凄く嬉しい、物凄く…。いつも寂しい想いばかりさせて、すまん』
「……ん、」
『……我儘だと思うが 一つだけ聞いて欲しい』
「なに」
もう、身を起こす事すら精一杯の身体に力を込め ようやくと起こした腕を伸ばしては 彼女をきつく抱き締める。細く、滑らかな肌が 静かな熱を伝え。その温もりは 頭の天辺から足の爪先まで、緩やかに駆けていく。
『……生姜焼きを喰ったあとは、お前の膝で、また居眠りがしたい』
「意外と甘えん坊だからね、若槻さんて」
『…………猛虎とは聞いて飽きれるな』
言ってみたは良いものの、何となく情けなくなって肩を落とす。そんな俺に、彼女は長い睫毛を下ろして、桜色の唇を向けるのだ。
――…