バクテン!!
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
三月と言えど、東北は未だ少しと寒さが尾を引いて。シャツ一枚で過ごすには、あともう一息といった所だろうか。ブレザーとカーディガンへも袖を通した事だし、さすがにアウターは必要ないと思いつつ。今回行われるスポーツフェスティバルは夕刻からだ、陽が落ちれば肌寒さに肩が縮まると考え、一応。春色のトレンチコートを手荷物として 仙台行きの新幹線へと乗り込んだのが三十分程前の出来事。
『寝てろ、着いたら起こしてやる』
誰に合わせて暖房を調節して居るのだろう。必要以上に温まった車内は酷く眠気を誘う物。無意識、首が頭の重さに耐えきれず、額が重力に負けた瞬間だ。隣の席に座る彼の声で、半分夢の中に居た意識が戻って来る。重い瞼を
『あと一時間あるからな』
「…ん…平気、ありがとう」
居眠りしている場合じゃない、向かうは仙台。予想外の形でインターハイを敗退したアオ高男子新体操部が、自身等、志田監督へとサプライズを送るスポーツフェスティバル。一からアオ高に新体操部を設立させ、熱心に選手を育てて来た監督が彼等の元を離れると聞いた時は、驚きで 暫く瞳を丸くした物だ。新キャプテンである亘理が、インターハイでは魅せられなかった完璧な演技で監督を送り出したいと シロ高の門を叩いた時の雪は既、柔らかに溶けては消えている。彼等との合同練習もあっという間に日々と過ぎ、こうしてついに当日を迎えているのであった。
『お前だって、栗駒さんと一緒に俺らのサポートやら飯作りで疲れてんだろうが。寝れる時に寝とけ』
「そう言う 亨の方こそ」
雪の積もる日、亘理がその頭を下げに来てからと言う物 彼や馬淵監督を筆頭に鈍った身体に活を入れるような厳しい練習が幾日も続いて。当然、七ヶ浜が居る手前、平然を装い 半ば張り合おうとする彼だって、その身が疲弊していない訳じゃない。
『俺はこの通り、頑丈だからな。心配すんな』
団体練習が終った後、誰にも姿を見せずして変わらずストイックに個人練習に励んでは、そのこめかみから流れる汗を 何度も何度も拭っていた。そうして翌日には何食わぬ顔で通常のポテンシャルを維持し続けるのだ、相当、繊細な神経を張り巡らせている事だろう。
『それに、シロ大の練習はこんな
心配には及ばないようだ、さすが常勝シロ高を纏めて来ただけある貫禄。そう、安堵した私が肩を落とした時だった。何処からともなく、これは腹の虫の音だろうか。ふと、隣に座る彼へ視線を向ければ、先まで真剣。太い眉を潜めていた表情を緩ませ、苦笑を浮かべている。それもそうか、新幹線へ乗車する前も、当たり前に早朝から個人、団体で朝練をして来たのだ。朝食は摂ったものの、成長期真っ盛りなその体躯ではエネルギー切れも一足早い。
「朝から沢山動いたもんね、仙台着くまでまだ時間あるし、軽食でも摘む?」
『…そうだな、着いたら案外バタつきそうで飯食う暇すら逃しそうだ』
その応えに私は一つ頷いて、ボストンバッグから保冷機能のあるランチバックを取り出した。中から、アルミホイルに包まれた軽食を彼の瞳に映してから。
「どれがいい、アップルパイか、林檎のカップケーキ。それか林檎のコンポート」
『何で全部、林檎なんだよ』
運動部の軽食。てっきり、おにぎりか何かと思ったのだろう、彼はその細い目を丸くして。以前だ、有り難くも、彼の実家から食べ切れない程 赤赤とした林檎を箱で貰っていた。毎回、寮での食後に皮を剥いて出して居たのだが、思うより中々消費が追いつかず。新鮮な物は生で食すのが一番と解ってはいるも、悪くなってしまっては元も子もない。その為、思い切って火を通し、こうして軽食として持って来た訳である。事の説明をすれば、彼は成る程、と納得し。少しばかり悩んだ末、カップケーキを指定するのだった。
『昨日、夜遅くまでキッチンに明かりが付いてたのはそれか。ま、眠くもなるよな』
悪いな、と二度目の苦笑を溢す彼もまた。私がキッチンの電気を消すまでずっと。体育館でマットの音を響かせて居た事だろう。本当に、何処までストイックなのだ。連れ苦笑したあと「そっちこそ」と加え、冷えて味が落ち着いた林檎のカップケーキを手渡した。
「どうかな、三つ同時に作っちゃったから 味、ちょっと自信ないかも」
『いつも寮で作ってくれる飯だって旨めえんだ、こいつも旨いに決まってる』
そんな事を言われると、何だかより緊張してしまう。手渡したカップケーキは、大きめに作ったはずなのに 彼の口元へは一口。まるで魔法でも使ったかのよう一瞬で消える物だから 驚きと、おかしさで思わず笑ってしまう。
『旨い』
「一口が大きいのよ、ちゃんと味わったの」
『味わっただろ、“旨い”っつたの、聞こえなかったのか』
それは聞こえたが、まあ仕方がない、腹が減っては何とかと言う物だ。恐らく、現地に着けば嫌でも腹が減る程に 最終の合同練習で馬淵監督から絞られる事だろう。食べれる時に食べて、体力を付けて置かねば。私は、ランチバックから二つ目のカップケーキを取り出し視線を促した。瞳を捉えた彼は『貰おうか』と、短く応えた後また。角切りにした林檎が沢山詰まったカップケーキを その大きな手で受け取る。――…暖房の効く、温かな車内では。イヤホンを耳に音楽を聴く選手、難しい本に目を通す選手、寮から持ち出したお菓子を漁る選手。一見、皆、ばらばらに見えるのに、演技の際はまるで一つの生き物のよう ぴたり息が合わさるのだから、不思議でしょうがない。この六人での演技は、きっと。今日、仙台で行われるスポーツフェスティバルが最後になるだろう。彼と陸奥は大学に上がり、後輩たちもまた。それぞれ、新たな境地、心境で思い思いの新体操を創り上げていく。沢山の煌々が待つ世界へ、それぞれに。それでも、そんな気とは裏腹、新たな門出を寂しいと思ってしまう事も事実で。
「ねえ、亨」
『あ』
――… 泣いて、転んで、跳んで、回って。時にぼろぼろになりながらも、確かにここにあるのは、三年間紡いだ青春そのもの。
「また…皆で過ごしたいね」
『……』
「大迫力にマットで演技する所をビデオに収めたり、つまらない事で喧嘩したりしてるの傍で笑ったり、私の作ったご飯美味しいって食べてくれたり」
『……』
「そんな風に、何気ない一日がずっと。ずっと続いて、終わらなきゃ良いのにな」
いけない、今日で最後と考えを巡らせた途端、センチメンタルになってしまった。これから勢いを以て演技に臨む彼へ掛ける声ではない。本来なら、激励の言葉を述べるのが正解だろうに、何を今更。戻らない日々を胸に抱いているのだ。ふと、言葉を取り繕おうとした矢先。隣に居る彼の、大きく、温かな手が伸びては 私の指に静かと重なる。
『終わらねえよ』
「…」
『確かに、今まで通り六人で演技したり、笑ったり、喧嘩したりっつうのは難しいかもしねれえが』
触れゆく指が、合わさって、絡まって。熱が伝わり響いてこの鼓動を早めさせる。巡る季節の度に変化する、場所や人。それでも、ふい、瞳が重なり呟かれるは、これからも変わらぬ一つの約束。
『お前が言った最後のは、俺が、終わらせねえ』
――……“私の作ったご飯美味しいって食べてくれたり”
瞬間に、繋いだ指先から熱が溢れる。熱い。火照った頬を 空いた手ではたはたと仰いでみても、どうやら車内の空気も相まって、上がった体温が覚めるのに、だいぶ時間を要す気がした。そんな私へ彼は、凛々しい眉と瞳を覗かせて。
『ちなみに、一生分、食うつもりでいる』
「…胃袋、掴んじゃった」
『とっくの昔だろ』
手荷物で持って来た春色のトレンチコート。この体温じゃ、羽織る機会は無さそうで。やはり、寮へ置いてくれば良かったと、目的地まで一人反省会を開く事とする。