バクテン!!
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波はいつも 穏やかだ。押しては引いてを繰り返す一定の静音は、日常で感じる苛立ちや戸惑い、全てを優しく包んでくれる。潮の香りがなんて心地良いのだろう。肌を撫で、するりと抜けていく滑らかな風は 幼い頃、泣きじゃくる私をあやすような 優しい母の手に似ているような気がして。何とも言えない安心感がそこにはあった。
「やっぱり、ここに居た」
しかし彼の瞳に映る海は、果たして私が感じる想いと同じだろうか。思うに、彼がこの防波堤を見つめる理由は ただ一つ。それは簡単に察してしまえる分、また 心が締め付けられるのも容易 い。
「皆、探してるよ。亘理くんも、言い過ぎたって焦ってた。“信用してないんじゃないか”って、言った事」
瞳に映る青。今や面影のない静寂なこの海は、かつて一変し、怒り狂ったかのように全てを飲み込んで行った。………“全て”。それは、彼の両親もまた 例外ではない。
『…亘理先輩のせいじゃありません』
何か喋らなければ、そう感じたのか。ぽつり呟いたあと、波音にも消えてしまいそうな声で小さく続けた。
『そう、伝えて置いて下さい』
昨日の放課後から部活に姿を現さず、今日は学校も欠席した美里。姿を消した彼を心配し、部内の皆は慌てふためき もはや練習は手付かず状態。
理由は明白。県大会を突破した男子新体操部に新たに課せられたのは、地区大会へ向けた 今までより さらに難易度の高い組み技。自分のタイミングではなく、チームメイトの力で宙を舞うそれは、かつて彼が中学時代 仲間と接触した 心にしこりの残る技。それは消えない記憶を呼び覚ますには十分過ぎた。
「それは、亘理くんの目を見て言ってあげて」
私は 彼の立つ防波堤のコンクリートへ腰を降ろす。海風が強く吹いた為、スカートが捲 れないよう しっかり前を抑えた。すると、微妙な距離を保ちながら彼は私の隣に座り 風に靡 かせる黒髪を 気まずそうに掻く。
『…信じてない訳じゃありません』
「分かってる」
『亘理先輩の事は勿論、土台になってくれる 七ヶ浜キャプテンも、女川先輩も』
風が止むと、ごくり。彼の喉仏が上下する音が聞こえて。
『……ただ…信じるのが、まだ少し怖いんです』
「…」
『人の力を借りて飛んで。それで誰かを傷付けるくらいなら、初めから一人で飛んでいた方が良いって。でも団体で演技する以上は…皆の事…信じなきゃって……』
きっと彼の頭の中では、中学時代の苦い記憶がぐるぐる回り巡っている事だろう。彼自身 志田監督の事は勿論、先輩、双葉 皆を信じて演技に望んでいる。しかし、身体の奥底に眠る記憶が それを簡単には許してくれないのだ。
『亘理先輩に、“信用してないんじゃ”って言われた時、心臓が壊れそうになりました』
なんて、悲しい表情をするんだろう。なんて、苦しい声を出すんだろう。見ている方が、聞いている方が 思わず目を伏せ 耳を塞いでしまいたくなる程。しかし、彼の心の丈を受け止めにこうして迎えに来たのだ。一番苦しいのは彼自身。私は彼に向き直り、瞳を合わせる。
『…先輩たちに そんな風に思わせてしまうくらい、露骨に演技に響いていたんだって。そう思ったら情けなくて、恥ずかしくて。行かなきゃとは思ったんですけど……学校も部活も休んで、ここに来てしまいました』
「………そっか。原点に帰って、答えは見つかった?」
『…いいえ…まだ、全然』
彼は苦しそうな表情をそのままに 首を横に振った。黒々とした髪が風に揺れる。僅 かだが、瞳も膜を張り 揺らいでいる気がしたが、敢えてこそへは触れなかった。繰り返される潮の満ち引きを耳に 私は少し考えたあと。
「そうだ、甘えてよ」
『…は?』
思いついたのは 突拍子もない提案。普段ポーカーフェイスを貫く彼でさえ、目を点にして はたはたと瞬きを連続させる。驚き、空いた口が塞がらない彼に私は続けた。
「それとね、きっと。美里くんが思う程 難しい事じゃないよ」
『……』
「家族や、友達、恋人だってそう。皆 美里くんが大好きなの。勿論、私も美里くんが大好きよ。…ね、難しく考えないで。確かに、信じるって言葉は少し重たく聞こえるけど…。それを“好き”に置き換えてみて。そしたら 美里くんが思ってるより、ずっと単純だと思わない?」
『……信じるは……“好き”?』
「そう。だから、自分を好きだって言ってくれる人たちに 思い切って甘えて寄り掛かってごらん。」
寄り掛かった先で触れた温もりが、彼の心を温めてくれるに違いない。
『……寄りかかったら、迷惑になる』
そうだ。彼は十年間、こうして誰にも弱みを見せずに“迷惑掛けないよう” “何でも自分でやらなきゃ” そう想い過して来たのだ。気持ちの根底を今すぐ変える事は難しい。それでも。
「ううん、そんな事ない。……ねえ、美里くん。美里くんは、皆の事好き? あ、私も含めてね」
『――っ…。え……と……。す、好きです。名前先輩も……含めて』
瞬間、彼は ハッと何かに気付かされた表情を覗かせる。
――“信じる”は“好き”。
「なら、それはもう。美里くんは皆を“信じてる”って事なんだよ」
彼の瞳が熱く揺らいでいく。
『……俺は、いつ。皆を信じられる日が来るんだろうって………本当は…ずっと、怖くて堪らなかった』
手を伸ばし、黒く細い髪に触れる。瞳が重なると、瞬きの途中で 彼の目尻から雫が溢れ、海へと溶け混んでいった。
「美里くんは、とっくに皆を信じてる。だから 変に信じなきゃ、なんて思わなくていいの」
風音に紛れ、彼の短く低い声で「ありがとうございます」そう聞こえた。流れた海風で、彼の目尻が乾ききった事を横目で ちらと確認してから。私は もう一度呟いた。
「ね、ほら。だから、甘えてよ」
その言葉に 彼は徐々に頬を赤く染め、たじろぎを隠せず視線を混乱させている。
『…いや……あ…甘えるったって。そんなのどう、やって………』
慌てる様子がおかしくて、思わず吹き出しそうになるが ここで笑ってしまえば簡単に機嫌を損ねてしまうだろう。頬を膨らます表情も目にしたい物だが、それはまた今度。
「そうだな。…あ、膝枕はどう?」
『………ひ?……ざ……枕』
「はい、おいで」
スカートに隠れた太ももに手を当て 合図をしてみせる。しばらく眉を潜 めて悩み抜いたあと 彼は細いため息を一つ着いた。そうして私の眼差しに観念したのか体勢を崩し、そのさらさらな髪ごと 頭を預けて。しかし恥ずかしさが勝ったのか、始めは仰向けに寝転がった彼だったが すかさず身体を横向きにした。顔は海を見つめるようにして 私からは覗けはしないものの、触れて伝わる熱が、彼の染める頬の色を確かに感じさせる。
『名前先輩』
「ん?」
『双葉や、先輩たちにも…。その……甘えてみても……いいと思いますか』
「うんと喜ぶと思うよ」
ふ、と静かに 微笑みを漏らす吐息が聞こえると、私もつられて口角が上がった。寄せては返す波の音。それに合わせるような彼の呼吸。
『じゃあ、あと百回』
――きらめく水平線が 明日を照らしていく。
『百回、波が往復したら。寮に戻ります。それで……とことん練習に付き合って貰えるよう…。甘えてみます』
「いいと思う。………ねえ波、一緒に数えよっか」
『………交互に数えて、百に当たった方が 串たこ奢るっていうのはどうですか』
「あ、負けないんだからね」
『俺の方こそ、負けません』
いつの間にか 明るさを取り戻した彼の声色。それからすぐに、思っていたよりも大きな声で『いち』と楽しげに数え始めるのだった。
震災関連のあとがき
「やっぱり、ここに居た」
しかし彼の瞳に映る海は、果たして私が感じる想いと同じだろうか。思うに、彼がこの防波堤を見つめる理由は ただ一つ。それは簡単に察してしまえる分、また 心が締め付けられるのも
「皆、探してるよ。亘理くんも、言い過ぎたって焦ってた。“信用してないんじゃないか”って、言った事」
瞳に映る青。今や面影のない静寂なこの海は、かつて一変し、怒り狂ったかのように全てを飲み込んで行った。………“全て”。それは、彼の両親もまた 例外ではない。
『…亘理先輩のせいじゃありません』
何か喋らなければ、そう感じたのか。ぽつり呟いたあと、波音にも消えてしまいそうな声で小さく続けた。
『そう、伝えて置いて下さい』
昨日の放課後から部活に姿を現さず、今日は学校も欠席した美里。姿を消した彼を心配し、部内の皆は慌てふためき もはや練習は手付かず状態。
理由は明白。県大会を突破した男子新体操部に新たに課せられたのは、地区大会へ向けた 今までより さらに難易度の高い組み技。自分のタイミングではなく、チームメイトの力で宙を舞うそれは、かつて彼が中学時代 仲間と接触した 心にしこりの残る技。それは消えない記憶を呼び覚ますには十分過ぎた。
「それは、亘理くんの目を見て言ってあげて」
私は 彼の立つ防波堤のコンクリートへ腰を降ろす。海風が強く吹いた為、スカートが
『…信じてない訳じゃありません』
「分かってる」
『亘理先輩の事は勿論、土台になってくれる 七ヶ浜キャプテンも、女川先輩も』
風が止むと、ごくり。彼の喉仏が上下する音が聞こえて。
『……ただ…信じるのが、まだ少し怖いんです』
「…」
『人の力を借りて飛んで。それで誰かを傷付けるくらいなら、初めから一人で飛んでいた方が良いって。でも団体で演技する以上は…皆の事…信じなきゃって……』
きっと彼の頭の中では、中学時代の苦い記憶がぐるぐる回り巡っている事だろう。彼自身 志田監督の事は勿論、先輩、双葉 皆を信じて演技に望んでいる。しかし、身体の奥底に眠る記憶が それを簡単には許してくれないのだ。
『亘理先輩に、“信用してないんじゃ”って言われた時、心臓が壊れそうになりました』
なんて、悲しい表情をするんだろう。なんて、苦しい声を出すんだろう。見ている方が、聞いている方が 思わず目を伏せ 耳を塞いでしまいたくなる程。しかし、彼の心の丈を受け止めにこうして迎えに来たのだ。一番苦しいのは彼自身。私は彼に向き直り、瞳を合わせる。
『…先輩たちに そんな風に思わせてしまうくらい、露骨に演技に響いていたんだって。そう思ったら情けなくて、恥ずかしくて。行かなきゃとは思ったんですけど……学校も部活も休んで、ここに来てしまいました』
「………そっか。原点に帰って、答えは見つかった?」
『…いいえ…まだ、全然』
彼は苦しそうな表情をそのままに 首を横に振った。黒々とした髪が風に揺れる。
「そうだ、甘えてよ」
『…は?』
思いついたのは 突拍子もない提案。普段ポーカーフェイスを貫く彼でさえ、目を点にして はたはたと瞬きを連続させる。驚き、空いた口が塞がらない彼に私は続けた。
「それとね、きっと。美里くんが思う程 難しい事じゃないよ」
『……』
「家族や、友達、恋人だってそう。皆 美里くんが大好きなの。勿論、私も美里くんが大好きよ。…ね、難しく考えないで。確かに、信じるって言葉は少し重たく聞こえるけど…。それを“好き”に置き換えてみて。そしたら 美里くんが思ってるより、ずっと単純だと思わない?」
『……信じるは……“好き”?』
「そう。だから、自分を好きだって言ってくれる人たちに 思い切って甘えて寄り掛かってごらん。」
寄り掛かった先で触れた温もりが、彼の心を温めてくれるに違いない。
『……寄りかかったら、迷惑になる』
そうだ。彼は十年間、こうして誰にも弱みを見せずに“迷惑掛けないよう” “何でも自分でやらなきゃ” そう想い過して来たのだ。気持ちの根底を今すぐ変える事は難しい。それでも。
「ううん、そんな事ない。……ねえ、美里くん。美里くんは、皆の事好き? あ、私も含めてね」
『――っ…。え……と……。す、好きです。名前先輩も……含めて』
瞬間、彼は ハッと何かに気付かされた表情を覗かせる。
――“信じる”は“好き”。
「なら、それはもう。美里くんは皆を“信じてる”って事なんだよ」
彼の瞳が熱く揺らいでいく。
『……俺は、いつ。皆を信じられる日が来るんだろうって………本当は…ずっと、怖くて堪らなかった』
手を伸ばし、黒く細い髪に触れる。瞳が重なると、瞬きの途中で 彼の目尻から雫が溢れ、海へと溶け混んでいった。
「美里くんは、とっくに皆を信じてる。だから 変に信じなきゃ、なんて思わなくていいの」
風音に紛れ、彼の短く低い声で「ありがとうございます」そう聞こえた。流れた海風で、彼の目尻が乾ききった事を横目で ちらと確認してから。私は もう一度呟いた。
「ね、ほら。だから、甘えてよ」
その言葉に 彼は徐々に頬を赤く染め、たじろぎを隠せず視線を混乱させている。
『…いや……あ…甘えるったって。そんなのどう、やって………』
慌てる様子がおかしくて、思わず吹き出しそうになるが ここで笑ってしまえば簡単に機嫌を損ねてしまうだろう。頬を膨らます表情も目にしたい物だが、それはまた今度。
「そうだな。…あ、膝枕はどう?」
『………ひ?……ざ……枕』
「はい、おいで」
スカートに隠れた太ももに手を当て 合図をしてみせる。しばらく眉を
『名前先輩』
「ん?」
『双葉や、先輩たちにも…。その……甘えてみても……いいと思いますか』
「うんと喜ぶと思うよ」
ふ、と静かに 微笑みを漏らす吐息が聞こえると、私もつられて口角が上がった。寄せては返す波の音。それに合わせるような彼の呼吸。
『じゃあ、あと百回』
――きらめく水平線が 明日を照らしていく。
『百回、波が往復したら。寮に戻ります。それで……とことん練習に付き合って貰えるよう…。甘えてみます』
「いいと思う。………ねえ波、一緒に数えよっか」
『………交互に数えて、百に当たった方が 串たこ奢るっていうのはどうですか』
「あ、負けないんだからね」
『俺の方こそ、負けません』
いつの間にか 明るさを取り戻した彼の声色。それからすぐに、思っていたよりも大きな声で『いち』と楽しげに数え始めるのだった。
震災関連のあとがき