弱虫ペダル
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――…息苦しい。頭に掛かる
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“自転車は自由”だ。ペダルを回せば 幾らでも行きたい所へ行けるし、頬に充たる風は速さの証明と言えるだろう。険しい山道を駆ける心臓の躍動なんかは、締め付ける胸に確かな悦びを与えてくれる物。そう、県内強豪と言われる総北高校自転車競技部、ここなら、自由に。もっと自由に走れる、そう思った―――…はずなのに。入学早々だ、なにやら立ち姿がどうとか、髪色がどうだの、自由だと思っていた高校生活は思いの
『――…亀、か』
自覚はある。平地では亀、鈍亀だ。ロードバイクの未経験者にさえ抜かれてしまうような滑稽で、格好悪い走り
『つっても…続かねえんだよな、自主練習』
さすがは県内強豪の総北高校。当たり前に部活はきついし、勉強も手を抜いては居られない。しかし、連日過酷な部活の疲労で、日中の授業にもそろそろ影響を及ぼしそうで。思っていたより、学業と部活の両立は難しいと知った。この日の部活後も、レースに出た訳でもないのに棒になった脚を引きずっては 汗だくのユニフォームから着替える為 部室のドアへ指を掛けると。
「あ、巻島くん、お疲れ様」
『……ッス』
主将である寒咲さんと同じ二学年上の先輩であり、マネージャー。最近目にしたグラビア誌で、何となく似たような女が平面に居て。一度密かにおかずにしてから、自分勝手に気まずくなっていたりする。それにしても、一年の部員が一気に入部したにも関わらず、良くもまあ、一人一人名前を覚えられる物だ。
「今日も練習キツそうだったね。二、三年生には特に、フォームがどう、とか言われて大変でしょう」
そんな事は、嫌になる程自分の耳で聞いている。疲労した頭と身体に、畳み掛けるよう わざわざ声にされて良い気はしないし、そもそも、自転車に乗らないマネージャーなんかに言われる筋合いは毛頭ない。どいつもこいつも、“馬鹿にする程、暇なんスね”そう、皮肉たっぷりに、口を開きかけた時だった。
「私は好きだけどな、巻島くんのスタイル」
『……は』
思わず間の抜けた声が出てしまった。皮肉を言ってやるつもりが、代わり出たのは驚きと共、裏返った息。固まって立ち尽くす俺の姿を視線に捉えるや否や、彼女は少しの笑いのあと、それは真剣で、確かな瞳を向けてくる。
「リーチが長い分、迫力があって、独創的なあの走り。唯一無二、誰にも真似出来ない、巻島くんだけのスタイルでしょう」
『…』
「磨き続ければ、最強の武器になる」
ふと、距離はあるものの、彼女が開いているノートへ目を配る。それは、インターハイに照準を合わせる二、三年生の分だけじゃなく、今年入部した一年部員も合わせた個人練習のメニュー記録。すぐ横には、眠気覚ましのコーヒー缶と、インターハイ後に嫌でも訪れる受験勉強に必要な参考書の山々。きっと、並大抵の努力ではないはずだ。マネージャー業と平行して受験勉強の両立なんて。先程、皮肉を言いかけた口から 感情任せに声が出なくて良かったと、冷や汗と同時、胸を撫で下ろす自分が居る。間の抜けた声の次、やっと乾いた唇が動きだして。
『……俺、次にある、峰ケ山ヒルクライムに出たいんス…』
――…何を求めて居るんだ、俺は。
『…行けると思いますか、
静かな部室内。恐る恐る、彼女の大きな瞳を覗く。すると、少しも。それは一秒足りとも考える事なく、確信をもたらすのだった。
「行ける。あなたの今ある脚が、棒になってるその脚が、まだ少しでも動くなら」
『……』
「今ここでユニフォームを脱いじゃ駄目、そのまま走り続けて。そしたら、絶対行けるから。――…勝ちたいなら、突破するしかないでしょう」
直線の瞳に、熱く、突き動かされた気がした。両手で自身の頬を叩き、制服へ着替え部室を後にしようと思った 疲労困憊の身体を、脚を、動かす。先程までのろのろと押して来た愛車であるGIOSに勢い良く跨っては、言われた通りに磨くのだ、自身の武器を、その頂点まで。――……その日から、“オレ練”は始まった。
『突破、するっきゃないッショ…!』
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プライドとセンスを極限まで突き詰め、磨き上げるオレ練は、ほぼ休む事なく続いた。こっそり、部室の壁へ練習した日を正の字で落書きしては、スリルさえ味合うように。その
「まさか、土壇場でメンバージャージを取り上げるなんて」
いつも同様、部員の個人練習の記録と、受験勉強の参考書を山積みにしながらノートを開く彼女は、深いため息をついて見せる。入部時、ダンシングのフォームを矯正させようとした先輩が、俺がメンバージャージを着る事に対し、首を立て振らなかったのだ。しかし。
『あの先輩には、別のジャージで参戦して、山頂獲って良いって言われたッショ』
「……折れてなくて安心した」
『まさか。俺のスタイルで、俺は俺だっつう事を証明してやりゃ良い、単純な話』
「そうね。“正の字”も、あれだけ増えたんだもの、練習は嘘を付かない物よ」
『………』
言葉の繋ぎを失った俺へ、彼女は「知らないとでも思った?」と意地の悪い笑みを覗かせる。まさか、誰にも知られていないと思っていたオレ練が、壁の落書きと共に既知だったなんて。ふと一人、怖いで有名な先輩を思い出す。恐らく、壁の落書きが見つかった暁には、明日の命の保証すら危うい。無意識と掌へ湧く冷や汗を握り締め、裏返ってしまいそうな声をなんとか彼女へ向けるのだ。
『あ、あの、その事はどうか内密にして頂きたいと言いうか…』
「平気、平気、誰にも言わないわよ」
彼女は続け「二人だけの秘密ね」と人差し指を口元に充てるジェスチャーをする。安堵で肩を落とした時だ。高校入学から暫くと伸ばしていた髪が、部室の窓から細く
「髪、伸びたわね」
『え、…まあ………ハイ』
「……ねえ、巻島くん、もう一つ秘密、増やしても良い」
『……は』
何の意か、点で分からず。いつの日か 同様、間の抜けた声を漏らしてしまった。そんな彼女は広げていたノートを閉じて、隙間風に
『…あ、名前先輩、…えと、あの…』
「髪」
穏やかな瞳の奥にある、歳上の余裕。見上げられれば、恥ずかしくて反らしてしまいたいのに、それが出来ないのは、何故だろう。そうして、彼女の細い指が 俺の玉虫色の髪の毛を優しく
「長い方が、似合ってる」
瞬間、耳元から離れた指先。行く先は、ユニフォームの胸元。体勢を崩し曲がった上半身は、同時と彼女が背伸びをした事で、近づき、熱く、触れていく。キスをする時は目をつむる物だと どこかで習ったはずなのに、驚きが勝り、瞳は大きく見開いたまま。世に言うテンプレートなキスは、ここにはなくて。
『…先、輩』
「二人だけの秘密よ」
顔が熱い。きっと、白い肌の所為で、より赤くなっているに違いないのだ。心臓は、今すぐにでも口から飛び出してしまいそうな程、尋常成らざる勢いで脈打つ。頭がどうにか、どうにかなってしまいそうだ。唇が離れたあと、赤面し固まる俺へ、彼女は濃く、甘い、その香りを漂わせながら。反らす事なく、その瞳を直線に。向けられるは、秘密と余裕。
「髪が、もっと伸びたら、また、ね」
――…息苦しい。頭に掛かる
『………頑張りマス』
「峰ケ山、それとも髪を伸ばすの」
『――…イジメんのは……ヤメテ下さい』